

2009.07.06
昨日の静岡県知事選挙で自民党が敗けましたが、振り返ってみて、今のような厳しい状況に一体どの辺から陥ってしまったのだろうと、考えてみました。私の記憶から言うと・・・小渕さんが亡くなって、森さんが首相になった頃からかなという気がします。その後、小泉さん、安倍さん、福田さん、麻生さんと流れて来ましたが、その間、時間を掛けて、少しずつ・・・、少しずつ・・・、信頼が損なわれてきたという気がします。これだけ大きな力を持った存在でも、この「少しずつ」の蓄積によって、今のような厳しい状況を招いてしまうのですから、本当に私たちも気を付けていかなければいけないと、自戒する次第です。
吉祥寺にある有名な大型専門店で、たまに買い物をするのですが、毎回イライラさせられます。とにかくレジを待つのが長い。お客様がいっぱいで、レジの人も総出で一生懸命対応しているのなら、全然気にならないのですが、お客様の列が長いのにもかかわらず、レジ係りはいつも少ない。また今は、先ずお客様を一列に並ばせて、順番に空いたレジに誘導するシステムの方が普通なのに、ここではそんなことはしない。今まで通り、お客様を個々のレジに並ばせて、そのレジが進むか進まないかはお客様の運次第。隣のレジがどんどん進んで、イライラしているお客様がいても、全く気にならない。ヘタをすると10分くらい待たされる。
最近、開店直後の空いている時間に入ったら、お客様も少ないが、レジ係はさらに少なかった(だから、やっぱり待つ)。ここまでやれば、逆に感心です。でも・・・コスト削減もいいけれど、過ぎたるは及ばざるが如し。サービス業ということを忘れて欲しくないです。だから、いつも精算を済ませると「もうここへは来ない」と思う。でも、また忘れて来てしまうのですが・・・。
つまり、このように、本当に小さなことですが、積もり積もると、結果として大きな事態を招くということがあります。結局のところ、相手(国民やお客様)をどれだけ尊重するかだと思います。逆に言うと、仮に本当に小さなことでも、(馬鹿にせずに)愚直にやり続けていけば、(もちろん即効性は無いけど)いずれは大きな信用につながる可能性があるということです。これはビジネスでも政治でも人間関係でも同じこと。だから、これからも、小さなことを大切にして、小さな改善を続けていこうと思いました。
これからは「ナノ」の時代。より小さなものを扱う時代。大きなことをするためには、小さなことに関心を持たなければならない。現実的な時代の流れを見ながら、またひとつ原理原則を理解することが出来ました。感謝です。
2009.07.02
過去に一度でも、世間からの「スポットライト」を浴びてしまうと、「どうしてもそこに戻りたい。そこに留まりたい」という強烈な意識が芽生えてしまうのでしょう・・・。その(時に、病的なまで)の執着心のおかげで、人生が盲目的になり、とても素晴らしい実績や評価や人気を得ながらも(あるいは多額の資産を築き上げながらも)、結局は厳しい晩年を送る・・・。あるいは信用の失墜を招く・・・。最近のいろいろな人の、いろいろな事を見ていると、すべての人間が持っているどうしようもない弱さというものを感じます。
有名になり過ぎたり、資産を持ちすぎたり、人気が出すぎたりすると、きっと取り巻きの人たちの「欲」にも翻弄され、かつてはキラキラと輝いていた本人の純粋な気持ちが、だんだんと失われていくのでしょうか・・・。もちろんそういう人生を造り上げたのは、100%本人の責任なのですが、外側から客観的に見ていると、何か・・・とても可哀想に思えます。「執着しない生き方、勘違いしない生き方、自分自身を(本当の意味で)大切にする生き方こそが、これからは大切なんだよ」と、教えられているような気がします。
さて最近の発表で、有効求人倍率がまた下がりましたが、確かに企業の景況感が底を打った(らしい)のは、大規模なリストラ効果のおかげですので、当然、国民全体としては、さらに厳しい状況になってきたと思われます。職を求める人が、これからさらに増えていくでしょう。だとすれば、今の職場(仕事)に、もっと感謝をして、前向きに努力することが大切です。今までのような「気楽に転職」などという幻想は終わり、これからは本当に自らがリスクを背負って、勇気と覚悟と高い志を持って、現実から逃げないことが重要になってきました。だから、社会がそのような「あるべき姿に戻ってきた」という意味においては、時代は、より良く変わってきたと感じます。
こうなってくると、過度なスポットライトを浴びた人たちよりも、日が当たらずとも(誠実にコツコツと、なおかつ苦しみながら)いろいろな経験を積んできた人々の方に軍配が上がる日が近い。そこには、変な執着も無く、勘違いも無く、自分自身の身の丈に合った生き方しかない。崩れるものが、そもそも無い。これが一番強い。やはり、「無為自然」の社会がやって来る。だから、毎日を感謝の心で生きていく。前向きに、楽しんで。そして、時にはリスクを持って挑戦する。人のせいにしない。あきらめない。途中で投げ出さない。逃げない。・・・やっと当たり前の時代になりました。
本物の人とは一体どういう人なんだろうと、最近よく考えます。多分、「最後までやりぬく人」なのかなと、思います。誰かが見ていようと、見ていなかろうと、最後まできっちりとやりぬく人。そのことは、絶対に神様が見てくれているはず。きっと、いま求められている人とは、そういう人なんだろうと。最後まで、真実を言い続ける。最後まで、あきらめない。最後まで、責任を持つ。本物の生き方をして、常に最善を尽くせば、不思議と良い方向へ誘導される。そういう人が最近、増えてきたように思います。
本物の経営も同様で、「ただ目立つだけ」「ただ有名になるだけ」ではなく、誠実にきっちりとやりぬくかどうかが肝心です。そのような企業の生き方、理念の復興です。本物の人たちによる、本物の会社をつくる。丸二は、そのような会社であり、そのように動いています。感謝します。
2009.06.26
トヨタの新社長が「海図なき航海」と表現したように、まさにどこへ向かって行ったらいいのかが見えにくい経済状況になってきました。何かが大きく変革する瞬間というものを、今生きている世代の多くは経験したことがないので、国も大企業も、まさに右往左往という状態なんだと思います。その点、中小企業は、良いも悪いも、(常に)自分たちの得意なもの、強いもの、あるいは夢・志に一点集中する以外に道は無いので、ある意味、落ち着いて(かつダイナミックに)行動できるような気がします。
加えて、もしその方向性が、これからの大変革後の新時代にマッチしていたとしたら、思いがけないほどの大成長を遂げられると思います。だから、今こそ、大きな夢と志を持って、奇策に走らず、すでに新しい時代に入っているという意識を持って、王道を行く。新しい時代に相応しい考え方や行動や立ち振る舞いをしていく。これでいいのではないでしょうか。私たちの周りにも、もうすでに新時代を生きている人たちがたくさんいます。そういう方々と一緒に新しいビジネスを考えていくと、自然に現状突破ができるような気がします。
さて最近は、TVや新聞を通じて、「崩壊とはこのようにして起こる」という、まさに教科書のような出来事が続いています。でも、できるだけ今までの時代を否定しないように心掛けています。なぜならば、そのような時代があったおかげで、今の自分自身や今の社会が在るのだし、そのおかげで、素晴らしい新時代が始まろうとしているから。だから、やっぱり、「感謝」と「ありがとうございます」だなと。
時代の流れを人間の力で変えることは不可能です。であるならば、できるだけ皆が新しい時代や社会にスムーズに移行できるように、人々を導く役割が必要です。かつては、それこそが政治家の仕事だったと思うのですが、今の状況を見ると、(いい意味で)ちょっと変わってきたようです。つまり、主体が自分自身に移ってきたと。
つまり、個人のレベルが上がってきた故の、ひとつの終着点が来たということです。もう大きな力や組織に頼らず、私たちはしっかり生きていくことができる・・・そういう真の力が(気が付かないうちに)身に付いてきたのかもしれません。そのことに気づくことが今、必要なのかもしれません。これは、素晴らしいことです。だから今、世界は・・・、人類は・・・、進化しているのかもしれません。
2009.06.22
18日、臓器移植法改正4法案のうち、脳死を人の死と認め、15歳未満の子どもからの臓器提供を可能にする案(A案)が可決しました。これによって、脳死臓器移植の拡大が期待できるので、ドナーを待っている方々にとっては朗報ではないかと思います。ただ・・・私個人としては、「脳死は人の死」と定義までしてしまうことに、少なからず抵抗感が残ります。
仮に脳が停止しても、心臓が動き、体の機能が活動しているのであれば、それは「生」ではないかと。生まれる時に、天から与えていただいた(貸していただいた)肉体が、まだ生命として生き続けようとしているのであれば、それは「生」のひとつの立派な形ではないかと。その認識の上に立って、本人や家族の判断(思想・哲学・死生観)によって、臓器移植の可能性をさらに拡大することは、確かに理解できることです。
今回のような法案は、現在の景気対策や国づくりの問題とは、随分遠いところに位置する問題なので、解散総選挙への直接的な影響は無いと思いますが、ただ、今回の投票で反対票を投じた方々の名前だけは、とりあえず頭に入れておこうと思いました。つまり、この人たちは・・・(多分)私と同じように、「脳死は人の死」だと本当に言い切っていいのかなぁ・・・と、素直に思い悩んだような気がするからです。臓器提供の機会を増やすことには賛成でも、「脳死は人の死」とまで決めていいのかと。だからD案の方がいいのかなぁ・・・とか。
「(天から)与えられた肉体」という観点が出てくると、臓器移植に関する捉え方も、今後大きく変わっていくと思います。それは、人の生き方・人生観につながり、最終的には国や世界を幸福にする思想・哲学にもつながっていくと思います。だから、今回の法案は、そのための第一歩になって欲しいと思います。現状の景気対策や、社会保障、防衛対策をどのようにするかという「表」の重大案件と共に、ゆっくりと、じっくりと、認識を深めていって欲しいと思います。私たちも、一緒に考えていきたい大きな問題だと思いますので。
2009.06.18
選挙のシーズンが近づいてきました。ここ武蔵野市においては、これから東京都議会議員選挙、衆議院議員選挙、市長選挙と3つの選挙が行われます。ところで、よく政治家の方々が、「○○だから選挙が戦えない」という言葉を発します。「首相が○○だから勝てない」「代表が○○だから負ける」と、自分自身が選挙に勝てるかどうかだけを考えている。
本音は良く分かるけれども、何となく見ていて格好悪い。思っても言わない方がいいこともある。首相が誰であろうと、代表が誰であろうと、「私」はこういう考え方で、こういう政治を行いますという強い信念さえ発して行けば、きっと周りが応援してくれる。仮に負けても次がある。そういう正常な世の中に、だんだんとなっていくような気がする。
さて、空からおたまじゃくし(!)が降る時代です。もう今までの固定観念を捨てて、新しい時代に備えていかないと、あっという間に取り残される。足利事件で冤罪となった菅家さんに対して、栃木県警本部の石川正一郎本部長が心を込めて直接謝罪をしましたが、今まででは決してあり得なかったこと。こういう、ほんの一歩の前進ですが、みんなで評価し合っていくことが大事かと思います。
そうすると、新しい時代を切り拓こうとする「志」を胸に秘めた多くの人々が、これからどんどん表に出てくるはずです。だから、ほんの小さなことでもいいから、勇気を持って何かに挑戦した人を評価する風土を養っていきたいものです。仮に失敗しても・・・、うまく行かなくても・・・。
ですので「やってみる」という姿勢が大事です。「今までうまく行かなかったやり方でも、もしかしたら通用するかもしれない」とか「今まで絶対に無理だと思っていたけど、やってみたら思いがけない成果が出た」というような声が、あちらこちらから聞こえてくる。そういう時代になったと感じます。結果を恐れずに自分を信じて、良心に従って最善を生きる。その時の口癖は「何とかなる!」「やってみる!」です。
2009.06.17
昨年、直木賞作家・重松清氏のベストセラー小説「その日のまえに」を大林宣彦監督が映画化しましたが、そのDVDを観ながら、いろいろなことを考えます。「その日」とは、つまり「人生最後の日」であり、すべての人にいつか必ずやってくる日です。「その日」をどのように迎えるかという意味合いにおいて、「余命わずか」と宣告された人ほど、その日までの人生を最も真剣に生き抜く者はいないのでしょう。本当は、すべての人がそれぞれの「その日」に向かって真剣に生き抜かなければならないのに・・・。
もちろん、これは小説であり、映画ではありますが、現実に多くの人々の経験の総和でもあります。人生をより良く生きてこそ、真剣に生き抜いてこそ、本当の幸福が得られるとするならば、私たちも、この映画の主人公「とし子」と同様に、いつも笑顔で、最善を生きていかなければならないのではと反省するのみです。
実はこの映画、確かに重松清氏の同名小説が原作で、いくつかの連作短編をうまく組み合わせながら、ストーリーも忠実を保っているのですが、実際は(原作の中でほんの少しだけ登場する)宮澤賢治の「永訣の朝」という詩の世界観の方こそが、真の主題になっているように感じます。故に、原作のイメージとの違和感は強く、評価が大きく分かれるのも無理はありません。ただ、私としては、これほどまでに宮澤賢治の宇宙観と現代社会における日常とが見事に(かつ摩訶不思議に)ブレンドされた作品を見たことが無く、あまりにも深い感動を覚えてしまうのです。
現在の世の中は、急速に変化を遂げながらも、新しい目標として「家族愛」あるいは「人類愛」へと再設定したように感じます。そういう背景に中で宮澤賢治の世界観は、日本における未来像のひとつの雛形になるのかもしれません。そういう時代性の中で、このような一風変わった(決してマスコミには取り上げられない)作品がひっそりと生まれたことに、何か面白さを感じます。
このDVDには大林宣彦監督のインタビューが入っていて、なかなか見ごたえがありましたが、その中で面白い話がありました。米国で「9.11同時多発テロ」が起きた後、映画監督のジョージ・ルーカスが「私は、スターウォーズを作るべきではなかった。スターピースを作るべきだった・・・」という心情を告白し、その後、自宅の庭の小さな虫や植物の映像を撮り始めた・・・というお話。つまり、イメージは現実化するということです。
「スターウォーズ(宇宙戦争)」のイメージが世界中の人々の意識に刷り込まれれば、現実社会でもテロや戦争として現実化する。逆に「スターピース(宇宙平和)」のイメージが世界中の人々の意識に刷り込まれれば、現実社会でも愛・平和として現実化する。こういうことだと思います。いよいよ、時代の逆転現象が始まりそうです。
建築の世界も、「そもそも住まいとは何なのか」とい問いから再スタートしなければならない時期に来ています。住まいとは、住む人の「健康」「安全」「幸福」を護る社(やしろ)であると、私は思っています。住まいによって、人の人生も変化していくと思います。そういう「人生との関わり合い」としての住まいを考えていくことで、これからの建築の未来像は築けるのではないでしょうか。世の中が変わり、建築も変われば、人生も変わる。きっと、宮澤賢治の言う「全体幸福」の道へと。とても、いいことではないでしょうか。
2009.06.11
最近のお気に入りCDです。ヨッフム指揮/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団によるブルックナー:「交響曲第7番ホ長調」と「交響曲第9番ニ短調」の2枚。ブルックナーの音楽は、あまり一般的には馴染みが薄いと思われるので、なかなか説明しにくいのですが、一言で言うと「無為自然」という感じです。人間が一生懸命に考えて作曲した音楽というよりも、天からそのまま降ろされたような音楽。だから、良い曲とか悪い曲という見方よりも、受け入れられるかどうかという選択肢の方が相応しい。実際に初めて聴いてみて、すぐに受け入れられる人は極めて少ないと思います(私もそうでした)。でも、ある日突然ド~ンと入ってくる。そんな音楽です。
「無為自然」、つまり「あるがままに生きる」ということは本当に難しいことですよね。人間だから、あ~しよう、こ~しようということの繰り返しや葛藤の中で、日々を生きています。それによって、成長することもできます。でも、時には全てをゆだねて、今の流れに身を任せて、その結果が一体どうなるかを見てみたい気もします。案外そういう風にした方が、想定外の幸運と出会えるような気もします。そんな風に考えていくと、ブルックナーの音楽と感謝の心とは、意外と近い存在なのかもしれません。つまり、現実を素直に「受け入れる」という謙虚な姿勢において・・・。
さて最近、いま話題になっている村上春樹氏の最新刊「1Q84」の上下巻を買いました。まだ上巻の冒頭しか読んでいませんが、これから面白くなりそうな予感がします。こういう小説家とか、作曲家とか、アーティストと言われる人たちの頭の中は一体どうなっているのだろうと思います。本当に100%その人の頭の中だけで考えられているのだろうか・・・。否、そうではなく、きっとその中の一部は、天から降りてきたに違いない。とても人間業とは思えないから。もちろん、私のような普通人にも、たまに「あっ」と思うようなアイデアが頭に浮かぶことがあります(大半がボツ)。でも、才能のある人のレベルではありません。もっと天とつながりたいなぁと、こういう本を読みながら、ふと思います。
昨日、世界の子どもにワクチンを提供しているNPO主催のチャリティー・ランチに参加させていただきました。今回の新型インフルエンザの問題を見ても、ワクチンの重要性は今後さらに増してくると思います。日本はそういう意味では、確かにいろいろな問題がありますが、地球上で一番安全な国だと思います。もちろん北朝鮮との緊張等はありますが、他の国に比べたら、毎日の生活が脅かされるレベルでは無く、本当に幸福です。その日本が、地球をより良くするために立ち上がる日が来ると思います。確かに政治は混迷の極みですが、今は昔と違って、国や地域は政治だけで動いているわけではありません。これからはもっと精妙な、一人ひとりの意識の集合体によって動いていくと思います。だから、今の状況に一番感謝すべきは私たち日本人。現状を素直に受け入れて、これからの世界のために、一肌脱ごうと。ブルックナーを聴くと、そんな豊かな気持ちになれるのです。
2009.06.05
久しぶりに、日本一の高額納税者である斉藤一人さんの最新刊「この不況で損する人、この不況で得する人」を読んでみましたが、付録で付いていたCD(本と同じ内容)で聴いた方が意外と面白く、今の時代の非常に大きな捉え方を実感として理解することができました。その中身について細かく書くわけにはいきませんが、私流に言うと、やはり「感謝」なんですね。不況を終わらせるのも、不況と無関係に生きるのも、答えは「感謝」しかないと。斉藤一人さんのような日本一の商売人の方が言うから、本当に説得力を感じます。
そう考えると、丸二の企業理念である「ありがとうございます」の必然性も、だんだんと理解されやすくなってくるような気がします。個別の物事とか身近な人への感謝はもちろん大事ですが、それを遥かに超えた、全てのものに対する感謝こそが斉藤一人さんの言わんとしていることではないかと思います。そのような意識を持つことができるようになれば、きっと世の中はさらにハッピーになっていくでしょう。つまり丸二とは「建築」という貴い仕事から得られた様々な経験を通じて、人間としての成長を実現していく場なんだと、あらためて判ります。
そのような捉え方で今を楽しく生きていけば、不況が終わった後の新しい時代において、必ずや人々から喜ばれる会社や個人になっているはずですし、それが今からとても楽しみです。GMの破綻や新型インフルエンザ等、世の中では毎日のように大変なことが起きていますが、そういう物事とは別のゾーンの中で生きていく。そのためにも「感謝」は大切なキーワードだと思います。だから「感謝」とは、(表現は変ですが)昔のTVの「ウルトラマン」で出てきたような一種の「バリアー」みたいなもの。必ず自分自身を守ってくれるものだから。
さて、5月の自動車販売台数でトヨタのハイブリッドカー「プリウス」がトップになりました。ホンダの「インサイト」もよく売れている。いよいよだと思います。時代は着実に変化し始めました。ついこの間まで、「そんなのは・・・」とか、「まだ先じゃないか・・・」とか言われていたものが主役にとって代わる時が近づいてきています。これらは、まだ序の口。これから本格的に、「本物」志向や「心」志向が始まったら、一気に物事は引っくり返る。そんな気配が感じられます。さてそうなった時に、毎日楽しく豊かでいられるようになりたいなぁ。だから丸二は、「ありがとうございます」で、日々1mmの前進なのです。
2009.05.26
昨日、丸二が入会している日本建築医学協会の方からのお勧めで、興味深いセミナーに参加いたしました。講演タイトルが「知的障害児は天才性を秘めている!」というもので、講師は鈴木昭平先生。要するに、「知的障害は治る」という内容だったのです。確かに、多動児や知的障害児のお子さんが身近に増えて来ていることは感じていましたが、「治すことができる」という認識はあまりなかったので、もしこのようなことが現実に可能であるならば、悩んでいる多くのお母さんやお父さんにとって、福音になるのではと思いました。
鈴木先生のお話によると、結局のところ、大切なのは「血流」であり、脳の神経回路を増やして「良い血液」をちゃんと流せば、知的障害は改善するということなのです。そのために、そのお子さんに対して、カードを使って高速で情報をインプットしたり、自然のサプリメント等で血流を良くしたりという、具体的な手法があり、実際にそのような方法で、多くの知的障害の子どもたちが普通の生活ができるようになるまで改善したとのこと。これは、本当にすごいと思います。
また、「良い血液」をつくるためには、常に小腸をクリーニングしておくことが大事で、便秘は良くないと。血流にしても、小腸にしても、これらは大人の健康管理にとっても大変参考になりました。また、子どもさんにとって何よりも効く薬は、お母さんの笑顔だそうです。お母さんの優しい顔、優しい声が子どもの極度のストレスを開放し、それが脳の血流を良くする。結果として、知的障害がどんどん改善されていくということです。
つまり、現代のストレス社会からのマイナス影響を、一番素直に受けてしまって、知的障害が起きているのかもしれません。だとしたら、逆にそのようなストレスから開放させる技術・手法を発見すれば、改善することができるというわけです。こういうことを知ると、マイナスの言葉がどれほど相手と自分自身の血流を悪くしているのかも分かります。血流が悪くなれば、脳も働かなくなり、良い発想ややる気が起きるどころか、逆にもっとミスをしたり、自暴自棄になったりしてしまいます。今回のお話は、知的障害児だけではなく、現代社会を生きるすべての人にとって有意義なものでした。鈴木先生につきましては、詳しくはこちらをご覧ください。
今の世の中は、一見、とても厳しく、悪くなっているように見えますが、必ずそこには思いがけない解決のヒントや兆しも落ちていると思います。すぐに手が届くほど、とても身近な場所に。そこに気づくチャンスがたくさんあるのが「今」だと思います。だから、何事も諦めないことが大事なんですね。不可能と思い込んでしまった先には、約束どおり「不可能」が待っている。でも「絶対にできる」と信じて、前向きに歩む先には、必ず「可能性」が広がっている。そんな、先々に向けての大きな光の一つを、昨日は感じることができました。
大丈夫、きっとよくなる。
2009.05.23
先日、年に一度の「安全衛生大会」を開催し、約80社の協力会社の方々と共に、現場の安全管理について確認しあいました。今ほど、あらゆる分野において「安全」が最優先になってきた時代はないと思いますが、私たち建設産業人にとっては、どのような時代でも現場の安全は大きなテーマです。
現場の安全を維持する原動力は、当然そこで仕事をしている全ての人たちの意識であることは言うまでもありません。そのためにも、常に冷静で、落ち着いた気持ちでいることが大切です。焦って何かをしたり、慣れた感覚で無意識でやったりすると大きな事故につながります。そういう意味では、常に心の状態を整えておくことが重要です。
一方、最近の世の中の情勢に対しても、きちんとした認識力を持っていないと、大衆の動きに大きく振り回されたりして、誤った判断をしてしまう危険性があると思います。例えば新型インフルエンザにしても、大きな問題になる前に何かしらの準備をしておけば、実際の騒ぎになった時に、変な不安や恐れを持つことなく平気でいられます。心配すればするほど、その対象は近寄ってくると言われますので、逆に言うと、心配のない状態にしておけば、それらは近寄ってこないわけです。
これからの世の中は、いろいろな事件や事故が増えるように見えると思いますが、自分自身のしっかりとした認識力を持って、安心して生活をしていけば、むしろチャンスが近寄ってくるのではないかと思います。すべては自分自身の意識の持ち方次第のようです。時代が大きく劇的に変化しているのは事実ですので、どうせならビッグなチャンスが近寄ってくる生き方や仕事をしたいですよね。そのためには、やはり心を磨いていくことしかないように感じます。
一昨日、2010年度の新卒採用のための「会社説明会」を行いました。今年で6年目となります。この説明会の中で、入社してまだ数年目の若い社員さんが、丸二の企業理念の中の「迷ったら良心に問え」という言葉を紹介していました。とても嬉しかったです。結局、いま必要なのは、これだと思いました。迷ったら良心に問い、その答えのままに行動する・・・これができたら、これからの時代はまさにビッグ・チャンスに満ちていると思います。
丸二という会社が、今まで本当に苦労に苦労を重ねながら得てきた様々な技術や信用は、この「迷ったら良心に問え」とい考え方がベースにあったからだと、あらためて気づくことが出来ました。今後もこの考え方さえブレなければ、世の中で何が起きようとも、会社も個人も成長し続けることができると思います。だから真の安全とは、自らの心(意識)が生み出すものだと思います。