


2008.11.20
16日の日曜日に、日本建築医学協会主催のシンポジウム「癒しの環境と建築医学」が開催され、丸二もいつものようにブース出展をさせていただきました。今回は参加者が400人を超えたということで、大盛況!!本協会が発足した当時から比べると、本当に時代が変わってきたという印象を強く受けます。
「環境」と「場」が、どれほど人間の心と脳と体に影響を与え、それが人々の健康、人間関係、ビジネス活動を大きく左右しているという現実を知ることにより、真剣に取り組む人が増えてきたのでしょう。まして、今のような経済環境の中では、心と体を常に健康にしておかないと、大変です。国の財政が厳しくなってきたのであれば、医療費の削減も確かに必要です。そのためにも、病気になりにくい環境プログラムを住まいや地域の医療施設にインストールすることは、色々な意味においても急務だと思います。
この日本建築医学協会は、「健康的な住環境を推進する議員連盟」の後援もあり、国の政策に対する道標の役割も担っています。つまり今後は、建築という分野において、国民の健康と財政再建を両立することが可能になってくるのです。これは本当に凄いことだと思います。ただ不要な道路をつくるような「浪費型」ではなく、街や地域の「場」を改善する「創造型」の政策で、人々の健康と景気の浮揚の両方を狙って欲しいと思います。住まいが人を病気にしているという現実から目を背けてはいけません。建設業界としては、耳の痛いこともたくさんあります。でも、そこを切り拓いていくことが、業界のためのみならず、社会全体への貢献につながると思います。
今こそ、勇気を持って取り組む時です。この収縮の時代では、本当に必要なものしか生き残れません。供給者側(建設会社、設計者)の利益やエゴは、もう限界値まで来ています。これからは住む人の健康・安全・幸福の追求です。そういうものに取り組むには、相当の時間とエネルギーが必要です。丸二は15年をかけて、ひとつの答え(=技術)を持つことが出来ました。これが最大の資産でもあります。これからの厳しい時代の中で最も必要とされる心と脳と体の健康を、私たちは「建築」という分野で実現していきます。
2008.11.08
いろいろなことが起きています。アメリカで初の黒人大統領が誕生し、世界の流れが未知の世界に入ろうとしています。今までの流れを断ち切って、新しい世界を創っていこうとするパワーの誕生。さすがアメリカ。一時的な混沌や混乱を覚悟の上で、それを乗り越えていこうとする勇気が、今回の「CHANGE」を実現させたのでしょう。結果的に、オバマ新大統領が優れた政治を行えるかどうかは、それこそ未知の領域ですし、実際は相当大変だと思いますが、少なくとも「現状のままではダメだ」という判断が下されたのは間違いありません。
日本の場合も、いろいろと事情が違うにせよ、「現状のままではダメだ」という意識は明らかに生まれて来ています。その変化を(アメリカのように)政治そのものに求めるのか、そうではなく、むしろ自分自身の内面の方に求めるのか・・・それは国によっても、個人によっても違います。でも、どちらにせよ、世界でも日本でも、「人心改革」のスイッチは押されたように思います。
そんな中、小室哲哉氏が大変なことになってしまいました。流れの変化とは本当に恐ろしいものです。巨大な幸運の波の後は、巨大な不運の波が来るのでしょうか・・・。この流れの変化は、個人の能力を超えた力を持って押し寄せるので、誰しもが飲み込まれてしまうのでしょう。抵抗不能。そういう意味で、小室氏の人生は、私たち一般人から見ると、確かに極端に誇張された見え方をしていますが、すべての人々の問題でもあると思います。「人の事は言えないなぁ・・・」と、素直に思います。
小室氏にように、とてつもない才能があったが故に、巨大な幸運と巨大な不運が生み出されたとしたら、自分自身に特別な才能が無かったことに、むしろ安堵すら覚えます。うん、このまま「中庸」の路線で行こうと。何か変な自信に満ち溢れます。そして、その中で小さな幸運の流れが来ても、決して奢らず、謙虚に、質素に生き、もし小さな不運の波が来ても、辛抱して、誠実に生きる。こういう学びを得る事が出来たとしたら、小室氏の生き様は、ひとつのシグナルとして、感謝して受け取ることができると思います。ぜひ、ここを辛抱して、復活して欲しいと思います。
流れを変えていくには、自分自身を変えていく以外ありません。でも、どのようにして変えていくかは、なかなか難しいものです。それでも日々1mmずつでいいから、「何か」を続けていくこと。継続は力なり。小さなことの積み重ねは、いずれ大きな流れを生み出すはずです。日々、今できることに、最善を尽くすこと。抽象的ですが、これしかないと思います。
2008.10.30
ナイト・ウォーキングを始めて、約2週間。徐々に生活習慣の一部になりつつあります。毎日毎日、その日にあったことを思い返しながら、気持ちがきちっとリセットできる感覚が身についてきました。「一日一生」と言いますが、「今日」という人生を終え、「明日」という人生を始める。そのような時空間の移動のための短いインターバルとして、(私にとって)ナイト・ウォーキングはうまく機能しているのかもしれません。実際、目に見えるのは暗闇の中に浮かぶ木と水と空、聞こえるのは虫の声、感じるのは風の流れ。日々の気持ちをリセットするのには、もってこいの環境です。
歩きながら思うのは、自分自身が見たり、聞いたり、感じたりするものは、すべて(そもそも)自分自身がつくりだしているものではないかということです。実際、日常の自分自身の意識がどこにフォーカスされているかによって、目の前の現実も変わってきますし、仮に同じ状況でも、捉え方が変わってきます。結局、「どう感じるか」が大切なんですね。
毎日同じところに同じ木が立っていて、いかにも退屈そうに見えますが、多分その木は、毎日目の前を行き交う人々を、笑顔で温かく見つめてくれていると思います。そう感じることができれば、木のひとつひとつにも、「ありがとう」と思えます。
また昨日は、夜空に白い雲がはっきりと見えて、その模様が「龍」の形になっていました。風水では、「龍」を幸運を呼び込むものとして大切にしています(ラッキー!)。日本列島も龍の形ですし、私も辰年。そういえば、歩いている井の頭公園の形も、なんとなく「龍」に似ています。雲がそんな風に見えてしまうことで、勝手に元気になってしまうんですから、人間とは不思議なものです。
最近、ネイティブハワイアンの伝統的な問題解決法である「ホ・オポノポノ」のことを知り、実際に始めてみました。方法はいたって簡単で、たった4つの言葉を唱えるだけ。その4つの言葉とは、「ごめんなさい」「許してください」「ありがとう」「愛しています」。実に簡単。ということで、私はナイト・ウォーキングの時に、この4つの言葉をブツブツつぶやきながら歩いています。
この「ホ・オポノポノ」は、要するに自分自身の過去の想念を、きれいに消去するためのもので、ハワイの伝統的な秘法とされています。過去の想念から開放されると、現在の自分自身が自由に(主体的に)なれるということのようです。勝手な解釈ですが、パソコンを例にすると、一度古いデーターを削除する(ごみ箱に入れる)ということですね。そうしないと、新しいデーター(夢、目標)は入力できないというわけです。風水の基本も、まず「整理整頓」「掃除」ですので、理屈としてよく分かります。この4つの言葉の中に「ありがとう」が入っていたので、自分の中ではOK!ですね。
もうひとつ、この「ホ・オポノポノ」の根底にある考え方は、「すべて自分の責任」という発想のようです。地球環境が壊れていることも、株が下落していることも、郵便ポストが赤いのも・・・全部「私」の責任ということなんです。ここがピンと来ないと、なかなか前に進みません。あらゆることを自分のこととして捉えて、そのことの責任を引き受けて、「ごめんなさい」「許してください」「ありがとう」「愛しています」という4つの言葉で解除していく。そうすると自分のまわりの状況が好ましい方向に変わっていく。何か・・・、ハワイの人たちの心の豊かさや雄大さを感じます。私は西欧を懐かしく思い、南国に憧れる人間です。この南国の秘法にも愛着を感じそうです。
2008.10.23
先日、聴かなくなったクラシックCDを大量に中古CDショップ(吉祥寺のUNION)に持って行き、買い取ってもらいました。時々このように、自分の持っているモノの整理整頓をするのが好きなんですが、思い切って不要なモノを手放すと、何かとてもいい気持ちがするものです。もちろん、手放すかどうかについては、ひとつひとつアレコレ悩みます。でも最後は「エイヤー!」ですね。たまに失敗して、また同じものを買う破目になることもありますが・・・。
今回の買い取り価格は、思ったよりも高く査定していただきました。前回は吉祥寺のブックオフに持っていきましたが、やはりクラシックCDは評価が低かったようです。そこで今回は、クラシック専門の吉祥寺UNIONに行き、どれくらい差があるか試してみました。まず「すごい!」と思ったのは、すべてのCDの査定金額の一覧表をくれたのです。ここまでしてくれると、「安すぎる!」というクレームも言いにくいし、今度持ってくる時の参考にもなります。ビジネスとして、キチッとしているなという印象を受けました。
さて、問題の査定金額ですが、確かに1枚あたり200円とか300円という金額が多かったですが、たまに500~600円くらいのものや、2枚組以上のセットものだと1000円以上のもの多く、平均すると1枚(組)あたり500円~700円という結果でした。確かブックオフの時は平均200円~300円くらいだったという記憶があります。店の中は、買い取った中古CDが所狭しと陳列されており、お客様もいっぱい。売られているCDの値札をみると、1枚500円~800円くらい。買い取り価格の2~3倍で売ってるんでしょう。これでビジネスが成り立つのであれば、なかなか面白い商売だと思います。
これから、モノを大切にする時代ですし、身の回りから所有物を減らす時代でもあるので、こういうリサイクル系のビジネスはもっと大きな展開を見せるのかもしれません。思った以上の買取金額をいただいて、何か儲かった気分になりましたが、そもそも売りたくなるようなCDを買ってしまったこと自体に問題があるということに気づき、そこはきちっと反省して、これからは慎重に買おうと心に決めた次第です。でも心の中では・・「買って聴いたからこそ、要らないものだと分かったのだから、それはそれで、価値ある経験のひとつだ!」などど言う、自己弁護の声がかすかに聞こえました・・・。
さて、もうひとつ気づいたのは、この中古CDショップに入ると、何となくカビ臭い匂いがしたことです。当然、それぞれの家に眠っていたCDをかき集めているわけで、多少のカビ臭さが付いて来るのは仕方ありません。でも、カビは室内空気を汚染して、人体に入ると病気を引き起こす原因になります。だから、カビを発生しにくくする対策・・・つまり、結露が起きにくい環境をつくることが、これから大切になってくるでしょう。
そこで、「外断熱工法」です。住まいを外断熱にするにすることで、一般的な内断熱よりも、室内に結露が起きにくくなり、結果的にカビの発生を抑えることができます。もちろん、外断熱になれば、空調の効きも良くなり、省エネ効果も高まるので、環境に優しい住まいになります。また外断熱にすれば、家の中にある洋服や本やCDも、とてもキレイで清潔な状態のままリサイクルに出せると思います。このように、いろんな角度から、外断熱の効用は考えられるのです。
※めぐり会えた1枚
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ベルナルト・ハイティンク指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
ベートーヴェン交響曲第9番
その中古CDショップに来たついでに、つい買ってしまった1枚(480円)。「売りに来て、また別のを買ってしまうんだから、全然反省してないじゃないか」などど思いながらも、欲しかったのに廃盤になっていた1枚を見つけてしまったら、もう仕方がない。ベートーヴェンの「第9」は、最初は感動するけど、だんだん飽きてしまいがちな曲です。でもこのハイティンクのはいいですね。「第9」にありがちな「派手なドンちゃん騒ぎ」になっていないし、劇的な感動をやたらに演出しようという変な作為もない。本当に純粋に、ただ「中庸」を行きながら、じわじわとした感動を感じさせます。
最近やっと分かってきたことは、「とにかく偏ったモノはダメだな」ということです。超ハイスピードだったり、超スロースピードだったりして、一世を風靡する凝った演奏も数多くあるけど、結局時間が経つと飽きてきます。結局、最後に残るのは「中庸」。目立たないし、地味で、あまり人気も無いけど、じわじわと効いて来るもの。すべての分野において、だんだん、こういうものが日の目に当たって来る時代になるのではないでしょうか。エキセントリックな熱狂は終わり、本物の時代へ・・・。もうすぐかな。
2008.10.20
世界的な経済不況に突入し、時代の急激な変化が始まりました。何となく来ることは分かっていたものの、実際このように現実となると、想像以上のコトの大きさに唖然とします。社会全体が、「右肩上がりから、右肩下がりへ・・・」などと言う過去の経験則が全く通用しない、突然の「停止」状態、あるいは「シャッターが降りた状態」に陥ってしまったかのようです。でも逆に、本当に面白いのはここからかもしれない・・・、というワクワク感もあるのです。
経済が停止したことで、一番喜んでいるのは「地球環境」かもしれません。環境を破壊することで成長してきた資本主義経済がストップしたことで、地球環境の破壊のスピードが少しは緩くなるはずだからです。誰かが、いつか、下さなければならない判断でしたが、当然私たち人間にそれだけの勇気は無く、結局「天の意思」によってスイッチが押されたのでしょう。予言者ジュセリーノさんの最新刊「未来からのスピリチュアルメッセージ」を読むと、「今まで、いかに地球が困っていたか」が分かります。そういうことを理解すると、今起きていることに対する抵抗感よりも、この先にある「明るい未来」のためにするべきことに視点が移ります。
できるだけ車に乗らない。木を植える。汚染を止める。新しいエネルギーを実用化する。できることはいくつもあります。丸二の「ルネス工法」、「外断熱工法」、「パワー・コンクリート工法」は、大きな省エネルギー効果を導くものですし、「自然素材」、「建築医学」、「風水科学」は、智慧と健康と医療費の削減を導くものになるでしょう。「エゴ」のための経済から、「環境」や「健康」のための経済に変わったということが、今回の衝撃的な経済ショックがもたらした意味ではないかと思います。もちろんそれは、なかなか簡単な問題では済まされないことを承知の上ですが。
さて、この土曜日からウォーキングを再開しました。以前は朝、井の頭公園を歩いていましたが、今回からは夜に変更。朝は多くの人がジョギングやウォーキングをしていて、意外と騒々しく、落ち着かないんです。私の場合は、体力づくりのためと言うよりも、心を鎮めるための貴重な時間なので、できるだけ静かな方がいい。夜は人も少なく、目に見えるものも限られるので、気持ちが集中します。井の頭公園の木々と虫の声とそよ風だけの世界。案外、神秘的で、気持ちの良い時間を過ごせます。井の頭公園も、以前と違って、何か爽やかな場になった感じがします。せせらぎの音も、心を癒してくれます。歩きながら木や葉に触れると、自然と友達になれたようです。それが元気の素になるのです。このように、時代の急激な変化の中で一番大切なことは、心の安定を保つこと。心が健康になれば、自らが社会に貢献できる人となり、真に社会に貢献できるビジネスができると思います。とても楽しみです!!
2008.10.07
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丸二と言えば「ルネス工法」と「外断熱工法」ですが、この2つの工法の「真の凄さ」をお伝えするのは、なかなか簡単ではありません。なぜかと言うと、あまりに発想が「シンプル(単純)」過ぎるからです。「梁を逆さにする」「断熱を外側にする」、たったこれだけのことで、そこから生まれる数々の巨大なメリットや意味合いをイメージすることが、意外と難しいのです。
そこで私たちは、この2つの工法をより分かりやすくお伝えするための「漫画冊子」を作りました(無料で進呈中!!)。題して「快適100年建築」。丸二の「ルネス工法」と「外断熱工法」、そして「パワー・コンクリート工法」等の技術的な解説と数々のメリットを、とても分かりやすく解説しています。さすが、漫画の力は凄いですね。ぜひご関心のある方は、こちらからどうぞお申し込みください。
漫画と言えば、私たちの街「吉祥寺」には、楳図かずおさんを始めとする有名な漫画家の方々が多く住んでいます。きっとこの街には、新しい発想が生まれてくるような何かが潜んでいるのかもしれませんね。井の頭公園の近くには、「三鷹の森ジブリ美術館」もあります。閑静な住宅街と公園の木々と楽しいショッピング街。先日は、ふと空を見上げて、「あ~、空が高いな~」と思わずつぶやきました。空が青く高く、突き抜けていました。こんな都会の真ん中で、なんて気持ちが良いんだろうと。そんな爽快な感触を日々味あわせてくれるのも吉祥寺の魅力のひとつです。きっと、多くのアーティストや作家の方々も、そんな街の風情が好きなんだと思います。
自分自身の故郷を愛せる生き方をしたいなと思います。故郷は、常に人々をホッとさせる何かがあります。故郷、街並み、友達、家族。自分自身がくつろげる場所さえあれば、後は何もいらないですね。そういう意味では、住まいも故郷のひとつです。物理的な空間としての「住宅」では無く、思い出や幸せや未来への夢と希望がたくさん詰まった空間としての「住まい」。自分自身の住まいを愛することができれば、人生がより一層豊かになるのではと思います。幸せが何倍にも膨らみます。だから、住まいづくりや建築とは、本当に大切な大切な仕事だと思います。
「ルネス工法」と「外断熱工法」は、「愛せる住まい」をつくる上で、きっとお役に立てる技術です。もちろん、健康(エコロジー)仕様や建築医学も。このように、丸二が取り組んでいる様々な技術は、吉祥寺という場のエネルギーが大きく作用しているのかもしれません。新しくて、優しくて、温かい。それが、丸二の技術の基本的な精神でもあります。だから、「吉祥寺工法」とか「吉祥寺方式」なんて言ってもいいのかもしれませんね。丸二は、このようにして、お客様の人生の流れを良い方向へ変えていくことに挑戦しています。ぜひ、「ルネス工法」と「外断熱工法」を知ってください!!
2008.09.29
リーマン・ショックと共に、米国から大手投資銀行が事実上消滅したそうです。この9月は何か大きな雪崩が起きた感があります。日本では、王監督の勇退と小泉元首相の引退。日々刻々と時代が移り変わっています。いろいろな人がいろいろな事をして、たくさんの評価や賞賛を浴びる中で、本当に後世まで宝物を残せるとしたら、スゴイことだと思います。王監督は、そのスゴイ人「NO1」ではないでしょうか。
選手時代にあれだけの実績を残した人が、伝統の巨人軍のユニフォームを捨て、福岡へ渡り、弱いチームを日本一に導き、全日本を世界一に導いた。その野球に対する真摯な姿勢と勇気は、世界中の野球人の見本になっていたと思います。ONの時代、その頃小学生だった私は、明らかに「王」の方が好きでした。長嶋さんは、いろいろなものを持っていた。人気と名誉と田園調布の豪邸と豊富なエピソード。ところが王監督と言えば、そんなものを逆にドンドン削ぎ落としていく。そこが違ったのでしょうか・・・。勇気を持って、ブランドを捨てた王監督の方が、後世「記憶に残る男」になると思います。
また昨日、米国の俳優ポール・ニューマンが亡くなったことを知りました。ポール・ニューマンと言えば、「明日に向かって撃て」と「スティング」で、ファンになりました。あのスター性と存在感は、他の俳優には無いものです。また俳優業のかたわら、食品会社の経営で成功し、多額の寄付もしていたそうです。人間的にも非常に大きかったのですね。俳優としては、アカデミー賞とか評論家からの評価は厳しかったようです。でも、何か「貫くもの」を持っていた。私はスティーブ・マックイーンの大ファンですが、マックイーンもそのような俳優でした。だからいつまでも・・・永遠に・・・記憶に残っていくでしょう。
さて、小泉元首相の引退は、いろいろな見方ができると思います。最近、小泉政治の功罪がよく取り上げられていて、その「罪」の部分に対する責任追及論が強くなってきたからでしょうか。あるいは、世襲への批判が高まる前に、次男さんへのバトンタッチを済ませておこうという勘の良さからでしょうか。あるいは、別の立場に立って新しい小泉劇場を生み出そうとしているからでしょうか。それとも、ただ本当に疲れただけなのか。一体、どのように後世に残っていくのでしょう。
でも結局のところ、人のことは分からないものです。だから大切なことは、自分自身を鍛えることしかありません。認識力を高めて、依存体質から脱却し、こころを鍛える。私たちは、いま現実に起きていることをキチンと知っているように見えますが、実際には、誰かの話や意見、一部の映像や音楽だけで、それらを頭の中でバーチャルで再構築し、意味づけしているだけで、本当に真実を知っているわけではないと思います。だから、そのような浮ついた情報に依存しないで、「自分自身」という、理解可能なリアルな現実に重きを置くことが大切ではないでしょうか。誰が何をしようと、今日何が起きようと、自分自身をしっかり持つこと。そういう捉え方で、時代を見て、モノを判断していけるようになりたいと思います。
※モーツァルトが好き
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モーツァルト交響曲全集(50曲)
テイト指揮/イギリス室内管弦楽団
クラシック音楽の評論家の誰もが、モーツァルトのことを「別格、神の子、天才」と褒め称えます。ところが私は、「本当にそうなのかな・・・」という思いでいっぱいでした。どうしても、感動しないし、飽きてしまう。みんな同じような曲みたいだし。ああ、自分はクラシック音楽は分からないんだなと。ところが最近、内田光子(ピアニスト)のモーツァルトのピアノ協奏曲を聴いていたら、なんと美しい曲だろうと思い、伴奏が、「テイト指揮/イギリス室内管弦楽団」と分かり、そういう流れで上記のCDを買ってしまったわけです。そして、聴いてみたら・・・。本当に、モーツァルトって「別格、神の子、天才」って、素直に感じました。単純なことですが、本当のことです。テイトという指揮者は、本当に地味なんですが、何かに迎合しようとせず、自らの芸術的信念だけを追い求めているような人のようです。やっぱり、周りに惑わされず貫くことか・・・。これでやっと、「モーツァルトが好き」と言えそうです。
2008.09.25
麻生内閣が誕生しました。とにかく、今の日本の課題を一言で言うと、「救国」ですから、捨て身の覚悟で国を救う人たちの顔ぶれになっているはずです。そういう視点で中身をよく見てみると、二つの特徴が見えて来ます。①世襲議員が18人中11人。②民間出身閣僚ゼロ。・・・これで、大丈夫かなと。政治は事業ではないので、家業として継承していくのは馴染まないと思いますし、今こそ民間パワーを取り入れる時ではないかとも思います。何であれ、誰が首相になろうとも、明るく元気な暖かい社会が生まれるように、私たち国民一人ひとりは真剣に取り組んで行きますので、政治家の皆様にも「本気の国家運営」をよろしくお願いいたします。
ところで、映画(漫画)「20世紀少年」が流行っていますが、1970年頃の(漫画の中の)子どもたちが予言した未来と、実際の現在を比べてみると、(現象の大きさ・表現はまったく違いますが)案外当たっているような気がします。宗教、いじめ、細菌兵器、テロ、洗脳、権力・・・。現代人が直面している問題の根本として、かなり共通していると。結局、そういう状況を打開していくのは、大きな力では無く、小さな力(漫画では、小学校の同級生たち)なんですね。だから、私たち一人ひとりが意識や考え方をしっかりと整え、大きな力にあまり依存しないで、一日一日を感謝の心で過ごしていくこと。そして、自分自身が成長して強くなっていくこと。これが、本当の解決になってくるのではと思います。時間は掛かるけれども・・・。
変化はチャンス。まわりの現象に左右されず、自分自身の貴重な経験を積むには、またとないチャンス。ここで様々な状況を見聞きし、また自らも体験し、その中で意識や心のあり方を調整することができれば、来るべき新しい時代に対応できる力を身につけられるのではないかと思います。今までは「お金の獲得競争」でしたが、これからは「心のあり方競争」。リーマン・ショックをはじめとした金融問題も、そういう流れの中で起きていると思います。大いなる緊張感を持ちながらも、それだけに惑わされず、あらゆるもの(当然、建築も)の本道を歩いて行きたいと思います。日々、1mmでいいから・・・。
2008.09.17
前回のブログで、「TVを見ないようにしよう」という話をしましたが、その後本当に見なくなりました(もちろん、朝と晩の短いニュースや面白そうな特集くらいは見ますが・・・)。TVを見なくなると、新聞等でよくやっているアンケートや世論調査の結果に驚くようになります。どうして、この人が人気あるの!?とか、調査対象者が偏っているんじゃないの!?とか。今まで自分自身も無意識に、TVに映る断片・部分・表面に、随分誘導されていたんだということが、良く分かります。結局、TVはCMのみならず、番組自体が「宣伝活動」になっているので、これは仕方のないことですね。TV局の経営を考えれば、自ずと分かることです。それを理解した上で客観的に見ていければ、逆にいくらTVを見たって平気なのかもしれません。
さて、リーマン・ショックが世界経済に大きな影響を与えています。ところで、そもそもリーマンとはいったい何を生み出してきた会社なのでしょうか・・・。今は、人間が生きていく上で絶対的に必要な「衣」「食」「住」を実際に生産する地道な仕事よりも、モノやお金を動かしてサヤを稼ぐビジネスの方に富が集中しています。これは資本主義のシステムからいって、当然の結果だと思いますし、それによって私たちの生活も非常に進歩発展してきました。ただ、これが余りに行き過ぎると、最終的に人々の「日常生活」を犠牲にする恐れが出てくるということが、今起きている状況の意味だと思います。
今の若い人たちが、コツコツ生産する仕事よりも手早く稼げる仕事の方がカッコイイと思い、そのような分野ばかりに目が行ってしまうと、日常生活に不可欠な「衣」「食」「住」を生産できる優秀な人材が枯渇していく。それはとてもマズイことのような気がします。「実」を扱う人と「虚」を扱う人のバランスが大事ですね(当然、両方必要です)。今回のリーマン・ショックが方向転換のきっかけになるのかもしれません。
ただ一方で、農村で暮らす人々も増加しているそうです。多分(無意識かもしれないけど)、このような時代のアンバランスさを察知して、全体のバランス調整のために、自ら動き始めたのではないでしょうか。いつの時代でも、先駆者はいるものです。「建築」という、地球上で極めて長い歴史を持つ文化を伝承していくことは、ひとつの建設会社の役割というよりも、地域や国を超えて、文明として大事なことであろうと思います。今一度、社会の基礎である「実」に目を向けた風潮に立ち還れるように、私たちも建物の「生産」を続けながら、真剣に取り組んで行きたいと思います。
2008.09.02
今週の月曜は、「また・・・」とため息が出た福田総理の辞任がありました。総理大臣と言えば、国家における家長のようなもの。誰よりも力を持っていて、責任を持っていて、頼りにされる存在です。でも、今や「家長」という言葉は死語となり、多くの一般家庭でも父親の威厳が失われているように、国のリーダーの存在もいよいよ軽くなって来ました。「羞恥心」というグループが受ける時代ですから、これは国民全体の意識の投影であり、(良いか悪いかは別にして)今の日本という国の真実の姿なのでしょう。でも、家長がコロコロ変わっても、日々の日常生活は淡々と進んでいるわけですから、日本(=国民一人ひとり)の努力と底力とは、本当に大したものだと驚嘆します。だから、日本は(逆説的に)進歩発展していると言わざるを得ません。強く立派なリーダーが居なくても、国民一人ひとりが真剣に生きている。これからの共生の社会づくりへ向けての、意味のあるプロセスが始まったのかもしれません。
とは言うものの、私たちの中には、まだまだ政治やマスコミに「力」があるという幻想(錯覚)が残っているので、どうしても大勢に流されやすい。TVにたくさん露出している人は「偉い人」と刷り込まれ、その人の発言になびいてしまったりする。その「偉い人たち」に気に入られようと、芸能人やニュースキャスターも必死に摺り寄り、媚を売り、自らの立場を守ろうとする。本当は、視聴者の方を向いた番組を作らなければいけないのに、その「偉い人たち」に喜ばれることが第一になってしまった。もう本当は・・・偉くもないし、強くもないし、力もないし、軽い存在でしかないのに・・・。メディアの洗脳効果は、本当に怖いと思います。
そこには、視聴者(=国民、お客様)よりも、自分と自分の組織(自社、業界)を守ることを優先させてしまう視野の狭さがあります。そういえば前首相の辞任会見の時、驚くべきことに、「我が党へご迷惑を掛けた」とは言ったけど、「国民の皆様に大変ご迷惑をお掛けした」とは言わなかった。また今回の辞任劇においても、その目的は「我が党を守るため」であり、「国民を守るため」ではないことも明白。次の総選挙は、私たちの国民一人ひとりの見識が試される最初で最後の選挙だと思います。その結果は国民が全責任を負うことになる・・・。
だから、TVを見て判断しないようにしようと。もう今の時代、主なニュースはインターネットや情報誌等で充分把握できますし、CMスポンサーである大企業(=体制)を守るためのテレビ局の意図的な報道は、国民の判断力を誤らせます。当然、各局の同じようなバラエティー番組の数々は、国民の認識力を低下させるために一役買っています。だから、TVを見ないで、よ~く考えてみよう。それだけで、日本人のレベルはさらに飛躍的に上昇するかもしれません。これから世の中で何が起きようとも、すべては良い方向へ流れていくと思います。外側の情報に左右されずに、自分自身の認識力を高めさえすれば・・・。面白い時代です。
※ゆったりと流れて・・・
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ブルックナー/交響曲第8番
ハイティンク指揮/ウィーン・フィル
最近買ったCDで、最高に良かったもの。ハイティンクのブルックナー8番です。ブルックナーの交響曲第8番は、この作曲家の最高傑作と言われていて、非常に長大かつ巨大。なかなか最後まで聞き通すことが難しい作品です。私も実は、全曲じっくり聴けたことがありませんでした。いわゆる名盤と言われるヴァント盤、チェリビダッケ盤、アーノンクール盤、テンシュテット盤等、数枚を持っていて、何度か挑戦したのですが、全然ダメ。ハッキリ言って、そんなにいい曲なの!と逆ギレ状態だったのです。ところが最近読んだ本でこのCDを推奨していたので、ダメモトで買って聴いてみたら、最後まで面白くてしかたない。背筋がゾクゾクしたり、鳥肌が立ったりする瞬間もあって、「ヤッター!」という感じになりました。でも、演奏自体は特別な特徴や強烈な個性があるわけでもなく、チェリビダッケやアーノンクールのような独特な雰囲気も無い。未だに論理的な説明は不可能です。音楽とは不思議なものですね。多分、「枝葉末節」にこだわる表面的な個性は、長きに渡って人の心を打ち続けること出来ず、常に最後に残るのは、「本質・根本」が真っ当な、目立たなくて、穏やかなものなのでしょう。この演奏も、静かで、ゆったりと流れていて、穏やかなものでした。こういう雰囲気の人が、政治の世界でも出てくるといいなあ。