社長ブログ

貫くこと

リーマン・ショックと共に、米国から大手投資銀行が事実上消滅したそうです。この9月は何か大きな雪崩が起きた感があります。日本では、王監督の勇退と小泉元首相の引退。日々刻々と時代が移り変わっています。いろいろな人がいろいろな事をして、たくさんの評価や賞賛を浴びる中で、本当に後世まで宝物を残せるとしたら、スゴイことだと思います。王監督は、そのスゴイ人「NO1」ではないでしょうか。
選手時代にあれだけの実績を残した人が、伝統の巨人軍のユニフォームを捨て、福岡へ渡り、弱いチームを日本一に導き、全日本を世界一に導いた。その野球に対する真摯な姿勢と勇気は、世界中の野球人の見本になっていたと思います。ONの時代、その頃小学生だった私は、明らかに「王」の方が好きでした。長嶋さんは、いろいろなものを持っていた。人気と名誉と田園調布の豪邸と豊富なエピソード。ところが王監督と言えば、そんなものを逆にドンドン削ぎ落としていく。そこが違ったのでしょうか・・・。勇気を持って、ブランドを捨てた王監督の方が、後世「記憶に残る男」になると思います。
また昨日、米国の俳優ポール・ニューマンが亡くなったことを知りました。ポール・ニューマンと言えば、「明日に向かって撃て」と「スティング」で、ファンになりました。あのスター性と存在感は、他の俳優には無いものです。また俳優業のかたわら、食品会社の経営で成功し、多額の寄付もしていたそうです。人間的にも非常に大きかったのですね。俳優としては、アカデミー賞とか評論家からの評価は厳しかったようです。でも、何か「貫くもの」を持っていた。私はスティーブ・マックイーンの大ファンですが、マックイーンもそのような俳優でした。だからいつまでも・・・永遠に・・・記憶に残っていくでしょう。
さて、小泉元首相の引退は、いろいろな見方ができると思います。最近、小泉政治の功罪がよく取り上げられていて、その「罪」の部分に対する責任追及論が強くなってきたからでしょうか。あるいは、世襲への批判が高まる前に、次男さんへのバトンタッチを済ませておこうという勘の良さからでしょうか。あるいは、別の立場に立って新しい小泉劇場を生み出そうとしているからでしょうか。それとも、ただ本当に疲れただけなのか。一体、どのように後世に残っていくのでしょう。
でも結局のところ、人のことは分からないものです。だから大切なことは、自分自身を鍛えることしかありません。認識力を高めて、依存体質から脱却し、こころを鍛える。私たちは、いま現実に起きていることをキチンと知っているように見えますが、実際には、誰かの話や意見、一部の映像や音楽だけで、それらを頭の中でバーチャルで再構築し、意味づけしているだけで、本当に真実を知っているわけではないと思います。だから、そのような浮ついた情報に依存しないで、「自分自身」という、理解可能なリアルな現実に重きを置くことが大切ではないでしょうか。誰が何をしようと、今日何が起きようと、自分自身をしっかり持つこと。そういう捉え方で、時代を見て、モノを判断していけるようになりたいと思います。
※モーツァルトが好き
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モーツァルト交響曲全集(50曲) 
テイト指揮/イギリス室内管弦楽団
クラシック音楽の評論家の誰もが、モーツァルトのことを「別格、神の子、天才」と褒め称えます。ところが私は、「本当にそうなのかな・・・」という思いでいっぱいでした。どうしても、感動しないし、飽きてしまう。みんな同じような曲みたいだし。ああ、自分はクラシック音楽は分からないんだなと。ところが最近、内田光子(ピアニスト)のモーツァルトのピアノ協奏曲を聴いていたら、なんと美しい曲だろうと思い、伴奏が、「テイト指揮/イギリス室内管弦楽団」と分かり、そういう流れで上記のCDを買ってしまったわけです。そして、聴いてみたら・・・。本当に、モーツァルトって「別格、神の子、天才」って、素直に感じました。単純なことですが、本当のことです。テイトという指揮者は、本当に地味なんですが、何かに迎合しようとせず、自らの芸術的信念だけを追い求めているような人のようです。やっぱり、周りに惑わされず貫くことか・・・。これでやっと、「モーツァルトが好き」と言えそうです。

経験を積む

麻生内閣が誕生しました。とにかく、今の日本の課題を一言で言うと、「救国」ですから、捨て身の覚悟で国を救う人たちの顔ぶれになっているはずです。そういう視点で中身をよく見てみると、二つの特徴が見えて来ます。①世襲議員が18人中11人。②民間出身閣僚ゼロ。・・・これで、大丈夫かなと。政治は事業ではないので、家業として継承していくのは馴染まないと思いますし、今こそ民間パワーを取り入れる時ではないかとも思います。何であれ、誰が首相になろうとも、明るく元気な暖かい社会が生まれるように、私たち国民一人ひとりは真剣に取り組んで行きますので、政治家の皆様にも「本気の国家運営」をよろしくお願いいたします。
ところで、映画(漫画)「20世紀少年」が流行っていますが、1970年頃の(漫画の中の)子どもたちが予言した未来と、実際の現在を比べてみると、(現象の大きさ・表現はまったく違いますが)案外当たっているような気がします。宗教、いじめ、細菌兵器、テロ、洗脳、権力・・・。現代人が直面している問題の根本として、かなり共通していると。結局、そういう状況を打開していくのは、大きな力では無く、小さな力(漫画では、小学校の同級生たち)なんですね。だから、私たち一人ひとりが意識や考え方をしっかりと整え、大きな力にあまり依存しないで、一日一日を感謝の心で過ごしていくこと。そして、自分自身が成長して強くなっていくこと。これが、本当の解決になってくるのではと思います。時間は掛かるけれども・・・。
変化はチャンス。まわりの現象に左右されず、自分自身の貴重な経験を積むには、またとないチャンス。ここで様々な状況を見聞きし、また自らも体験し、その中で意識や心のあり方を調整することができれば、来るべき新しい時代に対応できる力を身につけられるのではないかと思います。今までは「お金の獲得競争」でしたが、これからは「心のあり方競争」。リーマン・ショックをはじめとした金融問題も、そういう流れの中で起きていると思います。大いなる緊張感を持ちながらも、それだけに惑わされず、あらゆるもの(当然、建築も)の本道を歩いて行きたいと思います。日々、1mmでいいから・・・。

リーマン・ショック

前回のブログで、「TVを見ないようにしよう」という話をしましたが、その後本当に見なくなりました(もちろん、朝と晩の短いニュースや面白そうな特集くらいは見ますが・・・)。TVを見なくなると、新聞等でよくやっているアンケートや世論調査の結果に驚くようになります。どうして、この人が人気あるの!?とか、調査対象者が偏っているんじゃないの!?とか。今まで自分自身も無意識に、TVに映る断片・部分・表面に、随分誘導されていたんだということが、良く分かります。結局、TVはCMのみならず、番組自体が「宣伝活動」になっているので、これは仕方のないことですね。TV局の経営を考えれば、自ずと分かることです。それを理解した上で客観的に見ていければ、逆にいくらTVを見たって平気なのかもしれません。
さて、リーマン・ショックが世界経済に大きな影響を与えています。ところで、そもそもリーマンとはいったい何を生み出してきた会社なのでしょうか・・・。今は、人間が生きていく上で絶対的に必要な「衣」「食」「住」を実際に生産する地道な仕事よりも、モノやお金を動かしてサヤを稼ぐビジネスの方に富が集中しています。これは資本主義のシステムからいって、当然の結果だと思いますし、それによって私たちの生活も非常に進歩発展してきました。ただ、これが余りに行き過ぎると、最終的に人々の「日常生活」を犠牲にする恐れが出てくるということが、今起きている状況の意味だと思います。
今の若い人たちが、コツコツ生産する仕事よりも手早く稼げる仕事の方がカッコイイと思い、そのような分野ばかりに目が行ってしまうと、日常生活に不可欠な「衣」「食」「住」を生産できる優秀な人材が枯渇していく。それはとてもマズイことのような気がします。「実」を扱う人と「虚」を扱う人のバランスが大事ですね(当然、両方必要です)。今回のリーマン・ショックが方向転換のきっかけになるのかもしれません。
ただ一方で、農村で暮らす人々も増加しているそうです。多分(無意識かもしれないけど)、このような時代のアンバランスさを察知して、全体のバランス調整のために、自ら動き始めたのではないでしょうか。いつの時代でも、先駆者はいるものです。「建築」という、地球上で極めて長い歴史を持つ文化を伝承していくことは、ひとつの建設会社の役割というよりも、地域や国を超えて、文明として大事なことであろうと思います。今一度、社会の基礎である「実」に目を向けた風潮に立ち還れるように、私たちも建物の「生産」を続けながら、真剣に取り組んで行きたいと思います。

良い方向へ流れている

今週の月曜は、「また・・・」とため息が出た福田総理の辞任がありました。総理大臣と言えば、国家における家長のようなもの。誰よりも力を持っていて、責任を持っていて、頼りにされる存在です。でも、今や「家長」という言葉は死語となり、多くの一般家庭でも父親の威厳が失われているように、国のリーダーの存在もいよいよ軽くなって来ました。「羞恥心」というグループが受ける時代ですから、これは国民全体の意識の投影であり、(良いか悪いかは別にして)今の日本という国の真実の姿なのでしょう。でも、家長がコロコロ変わっても、日々の日常生活は淡々と進んでいるわけですから、日本(=国民一人ひとり)の努力と底力とは、本当に大したものだと驚嘆します。だから、日本は(逆説的に)進歩発展していると言わざるを得ません。強く立派なリーダーが居なくても、国民一人ひとりが真剣に生きている。これからの共生の社会づくりへ向けての、意味のあるプロセスが始まったのかもしれません。
とは言うものの、私たちの中には、まだまだ政治やマスコミに「力」があるという幻想(錯覚)が残っているので、どうしても大勢に流されやすい。TVにたくさん露出している人は「偉い人」と刷り込まれ、その人の発言になびいてしまったりする。その「偉い人たち」に気に入られようと、芸能人やニュースキャスターも必死に摺り寄り、媚を売り、自らの立場を守ろうとする。本当は、視聴者の方を向いた番組を作らなければいけないのに、その「偉い人たち」に喜ばれることが第一になってしまった。もう本当は・・・偉くもないし、強くもないし、力もないし、軽い存在でしかないのに・・・。メディアの洗脳効果は、本当に怖いと思います。
そこには、視聴者(=国民、お客様)よりも、自分と自分の組織(自社、業界)を守ることを優先させてしまう視野の狭さがあります。そういえば前首相の辞任会見の時、驚くべきことに、「我が党へご迷惑を掛けた」とは言ったけど、「国民の皆様に大変ご迷惑をお掛けした」とは言わなかった。また今回の辞任劇においても、その目的は「我が党を守るため」であり、「国民を守るため」ではないことも明白。次の総選挙は、私たちの国民一人ひとりの見識が試される最初で最後の選挙だと思います。その結果は国民が全責任を負うことになる・・・。
だから、TVを見て判断しないようにしようと。もう今の時代、主なニュースはインターネットや情報誌等で充分把握できますし、CMスポンサーである大企業(=体制)を守るためのテレビ局の意図的な報道は、国民の判断力を誤らせます。当然、各局の同じようなバラエティー番組の数々は、国民の認識力を低下させるために一役買っています。だから、TVを見ないで、よ~く考えてみよう。それだけで、日本人のレベルはさらに飛躍的に上昇するかもしれません。これから世の中で何が起きようとも、すべては良い方向へ流れていくと思います。外側の情報に左右されずに、自分自身の認識力を高めさえすれば・・・。面白い時代です。
※ゆったりと流れて・・・
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ブルックナー/交響曲第8番 
ハイティンク指揮/ウィーン・フィル
最近買ったCDで、最高に良かったもの。ハイティンクのブルックナー8番です。ブルックナーの交響曲第8番は、この作曲家の最高傑作と言われていて、非常に長大かつ巨大。なかなか最後まで聞き通すことが難しい作品です。私も実は、全曲じっくり聴けたことがありませんでした。いわゆる名盤と言われるヴァント盤、チェリビダッケ盤、アーノンクール盤、テンシュテット盤等、数枚を持っていて、何度か挑戦したのですが、全然ダメ。ハッキリ言って、そんなにいい曲なの!と逆ギレ状態だったのです。ところが最近読んだ本でこのCDを推奨していたので、ダメモトで買って聴いてみたら、最後まで面白くてしかたない。背筋がゾクゾクしたり、鳥肌が立ったりする瞬間もあって、「ヤッター!」という感じになりました。でも、演奏自体は特別な特徴や強烈な個性があるわけでもなく、チェリビダッケやアーノンクールのような独特な雰囲気も無い。未だに論理的な説明は不可能です。音楽とは不思議なものですね。多分、「枝葉末節」にこだわる表面的な個性は、長きに渡って人の心を打ち続けること出来ず、常に最後に残るのは、「本質・根本」が真っ当な、目立たなくて、穏やかなものなのでしょう。この演奏も、静かで、ゆったりと流れていて、穏やかなものでした。こういう雰囲気の人が、政治の世界でも出てくるといいなあ。

個性

昨日、銀行主催のセミナーで、神戸製鋼ラグビー部ゼネラルマネージャーの平尾誠二氏のお話をお聞きしました。面白かったのは・・・①日本は、個人が現状判断しながらプレーを進める「ゴール型(サッカー、ラグビー、ハンドボール、バスケットボール等)」のスポーツは苦手。決められたことをキッチリやるのは得意だが、その場でどうするかという瞬時の判断力と勇気は世界に負けている。だから、シュートを打てない。②昔は、「お前なんか、もうやめてしまえ!」と突き放しても、絶対にやめなかった。さらに、必死で食い付いてくる。今は、「自分には合わない」「イメージと違った」と言って、本当にやめてしまう。その行き先は、「自分探し」の旅。③最近の若者の特徴=負けても悔しがらない、勝っても喜ばない。④結局大事なのは、面白いこと、好きなことをやるということ。⑤リーダーは、自分自身の度量を疑うこと。様々な考え方や個性が出てきた。古いモノサシでは理解できない時代になった。部下の得意なものを伸ばすこと。個性を生かすこと。
みんな、「なるほどなぁ」と思うことばかり。「部下の個性を生かす」ということについては、最近の北京オリンピックにおける「星野ジャパン」の中に、いい例を見つけました。昨夜の「中日-阪神戦」で、岩瀬投手が、いつも通りにキッチリ抑えたのですが、試合後の落合監督の一言。「ちゃんとした使い方をすれば抑えるんだ。岩瀬は勝ちパターンで行く投手。そういう使い方をしないと」。このようなこと・・・どこのチームでも、どこの会社でもありますね。私も、自分自身の度量を疑っていかないと・・・。
さてセミナーの後、丸二で施工をさせていただいたお客様の竣工記念パーティーが行われ、社員と一緒に出席させていただき、そこで感謝状を頂戴いたしました。本当に心から嬉しく、心から感謝いたします。これは、お客様、ご近隣や地域の皆様、そして担当した営業、設計、工事の社員さんたち、職方の皆様のおかげです。お客様と一体になって、お客様の人生に対してプラスの存在になりたいという思いが、通じたのかもしれません。
今、「人生」と書きましたが、これは決して大げさではないと思います。家を建てる、お店を建て替える、事業用のマンションを建てる、二世帯住宅を建てる・・・全て人生にとって大きな転換期のはずです。常にお客様は、ただハードとしての「建物」が欲しいのではなく、そこで営まれる幸福な時間や繁盛する場を求めているはずです。建物はそれを実現するための大切なツールであるということです。しかも、非常に高いコストが掛かる。建築には、人生に対する大きな影響力があり、その人の人生の流れを変える力があると思います。そう思える力こそが、丸二の個性だと思います。

楽願

先日、街を歩いていたら、ある文字が目に飛び込んできました。すれ違った男の人が来ていたTシャツにこう書いてあったのです。「You Are Here」。その瞬間、「お前は、今ここにいるんだ。いいじゃないか」と言われたようで、少しドキッとした次第です。人間は、ついつい現在の自分自身の状態に対して(大なり小なり)不満を持ったり否定的になったりしてしまうもの。でも、その状態(今の位置、場所)にいるのは歴然とした事実ですし、それをマイナスに捉えても何も始まらない。「I Am Here」、「そうです。私は今、ここにいます。意外と、いいかもしれない」と肯定的に捉えてみる。そうすれば気持ちが明るく元気になって、結果的に嬉しい結果が生まれてくる。・・・このメッセージ、けっこうスゴイ意味があるじゃないか。そんな風に思ったのです。このTシャツを着ていた男性が、何かしらの意味を感じて着ていたのかどうかは分かりませんが、通り過ぎた一瞬の間に私にある種の「気づき」を与えてくれたのですから、本当に感謝ですね。「今いる場所に感謝する」は、丸二の「ありがとうございます」に通じるような気がしました。
だんだんと世の中が混沌としてきて、今まで経験しなかったような事が起きてくると、様々な迷いが生じてきます。一方、TVでオリンピックを見ていると、そんな迷いなど一切無く、ただひとつの目標に向かって努力し、夢を実現している人たちを目にすることが出来ます。そのことに驚嘆し、感動し、賛美しながらも、実は彼ら(彼女ら)も、実際は多くの迷いと挫折と不安と恐怖の中から這い上がってきたことを知ると、ああ・・・個人の力ってすごいものだなあ、私たちにもきっとそのような力があるはずだと、信じざるを得ない心境になってきます。常に自分のいる位置を確認し、それを否定せずに、肯定し、感謝し、楽しさや感動の方向へ気持ちを誘導していくこと。何となく、そういう「意識の調整法」をマスターするために、今の人類は生きているのかもしれないと思ったりもします。人から与えられる感動に加えて、自らの内側から湧き上がる感動を体感するために。
さて、その北京オリンピック日本選手団の福田富昭団長の総括会見を見ていたら、ドキッとする言葉がありました。「オリンピックは国と国との戦い。国策として強化しなければ。英国は470億円が使われた。日本オリンピック委員会がもらっている強化費は27億円。比べものにならない」・・・何か、昔の軍部の発言みたい。世の中から戦争が少なくなってきたから(もちろん、まだゼロにはなっていないけど)今度はスポーツで戦うの?防衛予算を増やすみたいにして、スポーツ予算を増やすの?どうしてそんなに競争や戦いが好きなの?今回の北京大会で金メダルをたくさん取った国のベスト3が、「1位中国、2位米国、3位ロシア」。日本も、こういう国家のようになりたいの?
国としてスポーツをもっと振興させて、国民の健康と楽しみを創造することは大賛成ですが、「敵に勝つため」という悲壮感に満ちた発想は、どうしても違和感があります。「悲願」の金メダルと言いますが、「楽願」の金メダルでいい。選手たち一人ひとりの、目標に向かっていく真摯な姿勢こそに私たちは感動するのであって、決して金メダルの総数では無いと思います。金メダルが1個や2個でも、楽しくリラックスして参加している国の方が、ずっと大人で進んでいるように見えます。日本もそれでいいんじゃないかな。それなのに、金メダル取っちゃうから、余計にかっこいいわけです。

木の建築

8月16日の日本経済新聞に、「木造ファミマ出店」とありました。鋼材価格の上昇に対応して、大手コンビニの「ファミリーマート」が、9月から木造店舗の出店を始めるとのこと。これで建設費がかなり削減できる。確かに単独立地型のコンビ二であれば、木造でも問題はありません。全国のコンビニの売上高が8年連続で減少しているため、各社とも、いかに出店コストを下げるかが鍵のようです。
このような形で、木造建築が改めて見直されてくるのも時代の流れであり、歓迎すべきことではないでしょうか。丸二も様々な工法による建築を行っていますが、これからは木造への回帰が出てくると思います。と同時に、木造では無理な場合は、鉄筋コンクリート造へ集約されてくるはずです。中間にある(安さが特徴だった)鉄骨系は、施工性と居住性の問題が多く、今回の鋼材の高騰をきっかけに減少方向へ行くのではないでしょうか。木造も、コンビニのように「安く仕上げる」ための木造から、「真の自然素材」への回帰のための木造へと、進んで行くと思います。それは、構造材や仕上げ材が天然無垢材で、その他の内装も、自然素材や還元作用のある塗料等で仕上げるものです。きっと、時間を掛けながら、このような住宅・建物が増えてくると思います。
また逆に、どうしても木造では無理なものは、鉄骨では無く、鉄筋コンクリート造になると思います。集合住宅、マンション、賃貸併用住宅、ビル等、(音の問題等で)各戸を明確に分離したい場合や防火地域に建てる場合、あるいは高層建築の場合等、当然鉄筋コンクリート造になります。鉄骨は、音と揺れ、雨漏れに弱いという面があります。ただ、鉄骨は狭小地では威力を発揮します。鉄筋コンクリート造の課題は、住む人の健康です。コンクリートそのままの内装(打ち放し)にすると、住む人の体温を奪うので、健康という観点から見ると、あまり良くありません。ですので、鉄筋コンクリート造の場合は、内装材(ボードやクロス)をしっかりと貼る、できたら天然無垢材を貼ったり、珪藻土を塗る。あるいは、還元作用のある塗料を下地に塗りこむ。このような対策を行えば、問題はありません。木造も鉄筋コンクリート造も、建物の用途や目的で選択していけばいいと思います。
これから木造で作って欲しいと思うのは、学校ですね。子どもたちが多くの時間を過ごす学校が、天然の自然素材でできていて、健康的で、暖かみのあるカラフルな環境だったら、きっともっと学校が楽しくなると思います。不登校も減るかもしれません。今のようなコンクリートの灰色一色の冷たいジャングルの中で勉強しても、情操教育は難しいと思います。ぜひ、耐震力の高い構造設計を行った木造校舎が生まれてくることを期待しています。
※シンプル イズ ベスト
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ジムノペディ(ベスト・オブ・サティ) 
チッコリーニ(p)
お盆中、ぼんやりと聞いていたCDです。サティのベスト盤。今までサティを聞くことはあまり無かったので、初めてその不思議な世界に身を浸すことが出来ました。瞑想的で浮遊感があり、でもちょっと愉快。なのに暗くない。とてもシンプルでお洒落。すべてを削ぎ落とした後の残った少ない音たちを集めて、センス良く並べてデザインしたような音楽・・・うまく言えないなあ。とにかく、最後のと言うか、最上のと言うか、そういう場所に質素に佇んでいる存在のような印象を受けました。やっと、サティが聞けるようになった・・・。ちょっとした成長を感じることができました!!

みんな世界一

お盆休みが明けましたが、相変わらずの猛暑が続いています。しかしながら昨日だけ、(多少の雨は降りましたが)比較的涼しい一日となり、その中で、「九段南コーポラティブハウス」の地鎮祭を無事執り行うことができました。建設組合(お客様)の皆様、コーディネーターの皆様、設計事務所の皆様、誠にありがとうございます。コーポラティブハウスならではの、終了後の懇親パーティーも楽しく和気藹藹に行われ、とても和やかなスタートを切ることが出来ました。パーティーの中においては、お客様一人ひとりのスピーチをお聞きするこができ、それぞれの新しい住まいに対する思いや夢、また地域活動への参加意識等を知ることが出来、今回のコーポラティブハウスも、大変素晴らしい成功を収めるものと確信いたしました。建設地は、靖国神社の前の「靖国神社」交差点のすぐ近く(靖国通りに面しています)です。ぜひ、現場を見に来てください。
さて、丸二のコーポラティブハウスの施工は、これで11棟目となります。非常に多い方だと思います。2000年に日野市にて、「コーポラティブハウス/エコヴィレッジ日野(きなりの家)」を完成させてから、毎年のようにコーポラティブハウスの工事を行い、とうとうここまでやってきました。一般的にコーポラティブハウスの施工は、「難しく大変」と言われ、多くのゼネコンが1~2棟で「もうやめよう・・・」となってしまうのが実情のようです。それでも私たちは、やってきました。その理由は・・・通常の分譲マンションとは違い、最終的にそこに住まわれるお客様と一緒に、共同住宅を造り上げていくという「喜び」があったからだと思います。もちろん、その喜びを得るまでには、相当な時間と経験を要しました。それでも、お客様一人ひとりの夢を現実にしていく「輪」の中に、私たちが入れたという喜びは格別のものでした。そのようにして、丸二にとってのコーポラティブハウスは、とても重要な取り組みになってきたのです。そして、今回が11棟目。また新たな気持ちでスタートです。
話は変わって、「北京オリンピック」です。情勢が不安定かつ大気汚染が深刻な中国・北京での開催ということで、いろいろな見方があるようです。中国も、開催国としての威信を賭けていますから、テレビに映る部分に対しては、なりふり構わず最大限の投資をしているでしょう。その分、どこかで(誰かが)犠牲を払っているような気がします。とにかく、終わってからでないと、本当の評価・実態は表に出てこないでしょう。それでも選手としては、そういう背景は全く問題では無く、自分自身との戦いがあるのみです。日本の選手たちも北島康介選手をはじめ、健闘していると思います。全世界からトップレベルが集まるわけですから、簡単に「金」が取れるはずがありません。そのような中で、大きなプレッシャーを受けながら連覇を達成したというのは、本人の強靭な精神力と「運」の強さがあると思います。私が思うに、オリンピックは戦っている選手個人の世界だと思います。開催国の威信、国家としての政治的利用、国民からの応援(プレッシャー)は、選手個人にとっては本来、無関係で存在しないものです。ただ、自己の能力を試す場として、オリンピックは存在するものだと思います。
だから、オリンピックにしても、ワールドカップにしても、応援する側が選手の勝ち負けに、激しく没頭してはいけないように感じます。戦っているのは、自分ではありません。その選手が勝とうが負けようが、私の人生に(基本的に)何一つ影響は無いはずです。自分以外の人間の戦いの結果によって、自分の人生(日々の感情)が左右されるというのは、むしろ怖いことのように思います。自分の人生を外側(他人)に委ねる習慣が付くと、自分自身の幸福な人生を歩めなくなってしまうと思うから・・・。勝った人を賛美し、負けた人を元気付づける。そういうバランスでいいのではないかと思います。オリンピックのような大イベントは、自分の人生を他者に委ねることを(無意識に)習慣化させる働きがあるので、そこは気をつけて見ようと思っています。
それから、もう一つ思うのは、テレビに出ている人たちだけがスゴイのではないということです。自分自身にも、絶対に何かしら「世界一」があるはずです。ただ、一般的なスポーツや芸術や文化になっていないだけで、要するにステージが無い。オリンピックのようなオープンな世界では無く、非常に狭いクローズされた世界において、必ずや全ての人は、何かの「世界一」です。大切なことは、自分自身の中から、その「世界一」を見つけること。決してテレビには出ないし、誰からも評価されない。でもそれは、オリンピックの金メダルと全く同じ価値があると思います。そして・・・会社も同じです。丸二の場合は、「ありがとうございます」の理念とか、「コーポラティブハウス」への思いとか。そういうものが一杯あります。だから、私もあなたも「世界一」。他者や外側のものに自分の精神を売り渡すことなく、自分自身の内なるもの(良心かな?)に素直に生きること。そうすれば、きっと流れに乗る・・・そう信じます。
<PR>リフォーム・チラシ
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本日から、丸二の「健康リフォーム」のチラシの新聞折込を始めました(武蔵野市周辺)。シックハウスでお悩みの方、室内空気環境を整えたい方、夏の暑さと紫外線をカットしたい方、水道水とお風呂の水を浄化したい方、防犯・耐震対策をしたい方、お部屋のインテリアを整えたい方、色使いで迷っている方、風水リフォームをしたい方、キッチン・洗面・トイレ・バス等の水まわりを新しくしたい方、増築・改築・大規模修繕・耐震補強をしたい方・・・ぜひ、ご連絡をください!
※モーツァルトの「ジュピター」
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モーツァルト:交響曲第41番『ジュピター』 
ロンドン・フィルハーモニー
クラウス・テンシュテット(指揮)
どんな時も、「ホッとでき、明るく前向きに考える」ことが大切ですね。でも、なかなか難しい場合もある。そんな時は、モーツァルトに限ります(ベートーヴェンだと深刻になるし、ブラームスだと一緒に沈んで行ってしまいそう)。中でも、モーツァルトの最後の交響曲「ジュピター」は、明るく壮麗で、かなり元気が出てきます(最近出たテンシュテットのライブは、非常にエネルギッシュで気に入りました)。でも、モーツァルトの音楽には、深い悲しみも同居しています。だから、単なる「お気楽」音楽ではなく、人生の艱難辛苦を味わい尽くした上に、そんなものを吹き飛ばす「愛と感謝」の木霊が宿っていると感じます。

企業理念

丸二の企業理念は、「ありがとうございます」です。特別な格好良さを狙った社是や社訓ではなく、シンプルに「ありがとうございます」。先日は、「九段南コーポラティブハウス」のご契約をいただきましたが(=お客様、コーディネーターの皆様、設計事務所の皆様に心から感謝申し上げます。誠にありがとうございます!)、その時の思いも、「ありがとうございます」です。いつもいつも感謝の思いを持つことを、経営活動の中で、一番の上位に置いています。
何に対する感謝かと言いますと・・・まずは当然、お客様です。工事のご発注をいただくということは、真のご信頼をいただかないと不可能(あり得ない=有り難し)なことです。だからこそ、「有り難うございます」です。星の数ほどある建設会社の中から、丸二をお選びいただいたという奇跡的な出会い・・・ここに感謝したいのです。だからこそ、その恩に報いるために、私たちは誠心誠意の仕事を行います。
次に、社員さんです。「ありがとうございます」の思いを共有できる社員さんがいて、初めて誠心誠意の仕事は遂行できます。ただ物理的に、ハードとしての「建物」を作ることは、どこの建設会社でもできます。でもその建物に、ソフトとしての「意識」をインストールすることは、社員さんの人間性のレベルが高くないと無理です。この「意識」こそが、完成後の建物の中に、「こころ」として残っていきます。「こころ」は、目には見えません。金額でも表せません。でも、確かに存在しています。社員さんへの「ありがとうございます」の思いは、社員さんを経由して、お客様の建物の「こころ」に繋がり、建物と住む人を護り続けます。
次は、「すべて」に対してです。ご近隣や協力業者様や関係者はもちろん、地球や大自然を含めた「すべて」に対する感謝を大切にしています。つまり、私たち一人ひとりは、自分たちだけの力で生きているのではなく、すべての存在のおかげで、生かされています。この、「生かされていること」に感謝するという捉え方が、丸二の「ありがとうございます」の核、ベースとなっています。この核があって、お客様や社員さんへの「ありがとうございます」は、より具体的な形になると考えています。
「生かされている」という捉え方は、すべての原点のような気がします。朝、目が覚めるのも、今日、空気があるのも、明日、太陽が昇るのも、絶対に間違いなくやってくるという保証はないはずです。でも、今日もやってきた。ラッキーですね!!一体誰が、正確な運行を管理しているのでしょう。本当に、ありがたいことです。だから、自然に「ありがとうございます」が出てきます。こういう感覚を大切にしていきたいと思うのです。
そして最後に、自分自身の「こころ(=良心)」に感謝です。今、このように生かされているのも、自分自身の「こころ」の支えがあってのこと。結局本当の答えは、いつも自分自身が教えてくれます。どのような時も、自らの「こころ」と向き合って、良心と対話していけば、自ずと道は開けます。ですから、本当の「ありがとうございます」は、自分自身の内面に向けて発していくものだと思ってます。
さて話は変わって、ある日の夕方。近くのラーメン屋さんに行った時のこと。お客様は誰も居なくて、店員さんが2人。「いらっしゃいませ!」の掛け声はいいけど、昼時の一仕事が終わったからか、もう休憩モード。注文を受けた後、2人(男性と女性)は私の目の前でペチャクチャおしゃべり。ラーメンを出す時は、「おまちどーさまでした!ごゆっくり召し上がりください!」と掛け声がいい。でも厨房に戻ると、また2人でペチャクチャ。私はと言えば、待っている間、この店の経営者(TVのラーメン番組によく出ている有名な人)の「感動ストーリー」が書かれたリーフレットを読んで、素直に感動していたのに・・・。この店員さんたちの、あまりの思い入れの無さに、ある意味納得です。なぜか・・・。お店にお客様が居ないから。
お店(=会社)の理念やコンセプトを大切にしなければいけません。そこで働く人たちは皆、それを伝えようと努力するべきです。言葉でも姿勢でも表情でもいい。もし私が店員さんだったら、一人のお客様がリーフレットを手に取って、きちんと読み、なおかつ最後にバッグに入れたとしたならば、そのどこかの段階で、「ありがとうございます」という気持ちを持ったと思うのです。声に出して言うか、小さくつぶやくか、目礼をするかは分かりません。でも、何とか伝えようと思うはず。そういう気持ちを共有できる会社、店、組織が一番強いですね。丸二も、さらに精進しなければいけません。2人の店員さんから、素晴らしい気づきをいただきました。

平和

先週末の二日間、妻と一緒に井の頭公園をウォーキングしました。さすがに日中は暑いので、夜、涼しくなってから。「メタボになるぞ!」という家族からのプレッシャーに負けたわけですね。はい。でも、歩くと脳も体も活性化されるので、絶対にやった方がいいです(なかなか続きませんが・・・)。今回は、井の頭公園を大きく二周して、時間にしてちょうど60分。これが、なかなかキツイ。だんだんと言葉数も少なくなって、歩きながら、いろいろと頭の中で雑念が増殖してきました。
この辺で子どもに自転車を教えたっけ。あの砂場はタバコの吸殻で汚かったなあ。昔はブランコ好きだったけど、今は酔っちゃうよね。あっ、小さい頃、友達と虫取りした木だ。カブトムシとクワガタが取れたけど、今は絶対にいないだろう。この直線を自転車で飛ばした。両手離して。初めてグローブを買ってもらって、野球をやった三角広場。この川でザリガニがいっぱい取れたなあ。今はいるのかなあ。そうそう、この池に大事な仮面ライダーカードを落としたっけ・・・。などなど。
このように、本当に他愛も無いことばかりが頭に浮かんでしまい、もっと大事なことを考える余裕も無く、汗だくで1時間が終了。空海が開発した「最古のビジネスモデル」、四国八十八ヶ所「お遍路参り」に、いつか挑戦しようと思っていますが、こんな調子ではダメですね。お遍路さんに行った方々のお話を聞くと、歩き続けることによって、とても不思議な感覚に変わってくると言います。流れゆく風景や自然の中に、様々な気づきが得られると。つまり、日常生活の中にこそ答えは満ちていて、それに気づくことが真の悟りであると。私はまだ、そのような体感をしたことはありませんが、想像することは出来ます。きっと、それが本当なんだろう。いつか、お遍路さんに行ける様、日々の日常生活を大切にして行こうと思います。
ところで、日常生活の基本中の基本と言えば(いわゆる仕事ではなくて)、家事・・・つまり料理、洗濯、掃除ですね。だから、これらを軽く見てはいけないようです。と言っても、私の場合は料理も洗濯もダメで、もっぱら休日掃除班。毎日はできないので、休みの日だけ風呂やトイレを磨いたり、ゴミを出したり、掃除機をかけたり、香りを炊いたりします。先週は家中の拭き掃除をして、見えないところの埃が取れて、とても気持ちよかった。家事は妻に任せっきりになってしまうので、できる時はやろうと思ってます。なにしろ、風水の基本は、整理、整頓、清掃、清潔ですから。すべてはここから始まります。
でも掃除をしながら思うのは「掃除をするだけの心の余裕があるというのは、幸せなことだな」ということです。もし食べるものも無く、家の外で戦争が起きていたとしたら、掃除などしていられない。そんな気持ちになれない。多分そうだと思います。ただ逆に、仮に掃除ができるような心の余裕が無い時に、あえて掃除をすることによって、心の中に不思議なゆとりが生まれてくることはあります。悩みを解決する名案が浮かんだり、沈んでいた気持ちが前向きに変わったり。そういう魔力が掃除の中にはあるようです。トイレ掃除を推奨する本がたくさん出ているのも、きっと、こういう経験からではないでしょうか。
先日、NHKのBS放送で、ポーランドの映画監督「アンジェイ・ワイダ」の特集をやってました。アンジェイ・ワイダ氏の作品は、「地下水道」「灰とダイヤモンド」「大理石の男」「鉄の男」等が有名で、私も大好きな監督です。特に「大理石の男」からは非常に強烈なインパクトを受けました。アンジェイ・ワイダ氏の作品は、すべて祖国ポーランドの戦争の歴史や共産主義政権下で抑圧された市民・労働者の反抗を描いたもので、厳しい独裁国家との戦いの中から生まれています。検閲も厳しい。だから甘ったるい世界ではありません。監督自身が大きな志と覚悟を持っていたのだと思います。最終的にポーランドは、自主管理労組「連帯」(ワレサ議長)が生まれ、その後ドイツのベルリンの壁が崩壊し、民主的な国家へと変貌してきました。このような流れの中で、アンジェイ・ワイダ氏が果たした役割は、とても大きかったものと思います。
そのアンジェイ・ワイダ氏の最新作が完成しました。「カティン」です。カティンとは、「カティンの森事件」を描いたもので、この事件は、第二次世界大戦中にソ連軍の捕虜となったポーランド人将校らおよそ20,000人が虐殺され、ソ連のスモレンスク地方、カティン近くの森に埋められたというものです。当時、ソ連はその事実を否定していましたが、現在は公式に認めています。そして、その虐殺されたポーランド人の中の一人がアンジェイ・ワイダ氏の父親だったのです。ああ、そうか!!だから、アンジェイ・ワイダ氏は自分の生命を顧みず、このような映画を撮り続けていたのか・・・。やっと分かりました。そして時代が変わり、かつてポーランドの中でもタブーとなっていた「カティンの森事件」を、今やっと撮る事ができたんですね。アンジェイ・ワイダ氏の母親は、夫が虐殺されたという事実を最後まで信じず、夫の帰りを待ちながら死んでいったそうです。そのような両親への思いを込めて、この映画は作られたのでしょう。ぜひ見てみようと思います。
掃除ができる幸せを感じます。今は平和です。感謝します。
※大理石の男
だいりせき.bmp
スターリン時代に労働者の英雄に祭り上げられた主人公の悲劇を通して、ポーランドの歴史の裏側に迫る力作。メッセージ性も高いですが、映画としてもスリリングで大変素晴らしいと思います。また、この物語は、後の「鉄の男」に引き継がれます。「鉄の男」は、1980年のグダニスクで起きた、造船労働者1万6千人によるストライキを発火点として、自主管理労組「連帯」の誕生から、民主化への長い道のりを描いたものです。二作品とも、厳しい検閲があったとのことですが、それでも作り手の強烈な「志」が伝わってきます。どんな状況になっても、希望を失わないこと。勇気を持って、行動すること。