社長ブログ

企業理念

丸二の企業理念は、「ありがとうございます」です。特別な格好良さを狙った社是や社訓ではなく、シンプルに「ありがとうございます」。先日は、「九段南コーポラティブハウス」のご契約をいただきましたが(=お客様、コーディネーターの皆様、設計事務所の皆様に心から感謝申し上げます。誠にありがとうございます!)、その時の思いも、「ありがとうございます」です。いつもいつも感謝の思いを持つことを、経営活動の中で、一番の上位に置いています。
何に対する感謝かと言いますと・・・まずは当然、お客様です。工事のご発注をいただくということは、真のご信頼をいただかないと不可能(あり得ない=有り難し)なことです。だからこそ、「有り難うございます」です。星の数ほどある建設会社の中から、丸二をお選びいただいたという奇跡的な出会い・・・ここに感謝したいのです。だからこそ、その恩に報いるために、私たちは誠心誠意の仕事を行います。
次に、社員さんです。「ありがとうございます」の思いを共有できる社員さんがいて、初めて誠心誠意の仕事は遂行できます。ただ物理的に、ハードとしての「建物」を作ることは、どこの建設会社でもできます。でもその建物に、ソフトとしての「意識」をインストールすることは、社員さんの人間性のレベルが高くないと無理です。この「意識」こそが、完成後の建物の中に、「こころ」として残っていきます。「こころ」は、目には見えません。金額でも表せません。でも、確かに存在しています。社員さんへの「ありがとうございます」の思いは、社員さんを経由して、お客様の建物の「こころ」に繋がり、建物と住む人を護り続けます。
次は、「すべて」に対してです。ご近隣や協力業者様や関係者はもちろん、地球や大自然を含めた「すべて」に対する感謝を大切にしています。つまり、私たち一人ひとりは、自分たちだけの力で生きているのではなく、すべての存在のおかげで、生かされています。この、「生かされていること」に感謝するという捉え方が、丸二の「ありがとうございます」の核、ベースとなっています。この核があって、お客様や社員さんへの「ありがとうございます」は、より具体的な形になると考えています。
「生かされている」という捉え方は、すべての原点のような気がします。朝、目が覚めるのも、今日、空気があるのも、明日、太陽が昇るのも、絶対に間違いなくやってくるという保証はないはずです。でも、今日もやってきた。ラッキーですね!!一体誰が、正確な運行を管理しているのでしょう。本当に、ありがたいことです。だから、自然に「ありがとうございます」が出てきます。こういう感覚を大切にしていきたいと思うのです。
そして最後に、自分自身の「こころ(=良心)」に感謝です。今、このように生かされているのも、自分自身の「こころ」の支えがあってのこと。結局本当の答えは、いつも自分自身が教えてくれます。どのような時も、自らの「こころ」と向き合って、良心と対話していけば、自ずと道は開けます。ですから、本当の「ありがとうございます」は、自分自身の内面に向けて発していくものだと思ってます。
さて話は変わって、ある日の夕方。近くのラーメン屋さんに行った時のこと。お客様は誰も居なくて、店員さんが2人。「いらっしゃいませ!」の掛け声はいいけど、昼時の一仕事が終わったからか、もう休憩モード。注文を受けた後、2人(男性と女性)は私の目の前でペチャクチャおしゃべり。ラーメンを出す時は、「おまちどーさまでした!ごゆっくり召し上がりください!」と掛け声がいい。でも厨房に戻ると、また2人でペチャクチャ。私はと言えば、待っている間、この店の経営者(TVのラーメン番組によく出ている有名な人)の「感動ストーリー」が書かれたリーフレットを読んで、素直に感動していたのに・・・。この店員さんたちの、あまりの思い入れの無さに、ある意味納得です。なぜか・・・。お店にお客様が居ないから。
お店(=会社)の理念やコンセプトを大切にしなければいけません。そこで働く人たちは皆、それを伝えようと努力するべきです。言葉でも姿勢でも表情でもいい。もし私が店員さんだったら、一人のお客様がリーフレットを手に取って、きちんと読み、なおかつ最後にバッグに入れたとしたならば、そのどこかの段階で、「ありがとうございます」という気持ちを持ったと思うのです。声に出して言うか、小さくつぶやくか、目礼をするかは分かりません。でも、何とか伝えようと思うはず。そういう気持ちを共有できる会社、店、組織が一番強いですね。丸二も、さらに精進しなければいけません。2人の店員さんから、素晴らしい気づきをいただきました。

平和

先週末の二日間、妻と一緒に井の頭公園をウォーキングしました。さすがに日中は暑いので、夜、涼しくなってから。「メタボになるぞ!」という家族からのプレッシャーに負けたわけですね。はい。でも、歩くと脳も体も活性化されるので、絶対にやった方がいいです(なかなか続きませんが・・・)。今回は、井の頭公園を大きく二周して、時間にしてちょうど60分。これが、なかなかキツイ。だんだんと言葉数も少なくなって、歩きながら、いろいろと頭の中で雑念が増殖してきました。
この辺で子どもに自転車を教えたっけ。あの砂場はタバコの吸殻で汚かったなあ。昔はブランコ好きだったけど、今は酔っちゃうよね。あっ、小さい頃、友達と虫取りした木だ。カブトムシとクワガタが取れたけど、今は絶対にいないだろう。この直線を自転車で飛ばした。両手離して。初めてグローブを買ってもらって、野球をやった三角広場。この川でザリガニがいっぱい取れたなあ。今はいるのかなあ。そうそう、この池に大事な仮面ライダーカードを落としたっけ・・・。などなど。
このように、本当に他愛も無いことばかりが頭に浮かんでしまい、もっと大事なことを考える余裕も無く、汗だくで1時間が終了。空海が開発した「最古のビジネスモデル」、四国八十八ヶ所「お遍路参り」に、いつか挑戦しようと思っていますが、こんな調子ではダメですね。お遍路さんに行った方々のお話を聞くと、歩き続けることによって、とても不思議な感覚に変わってくると言います。流れゆく風景や自然の中に、様々な気づきが得られると。つまり、日常生活の中にこそ答えは満ちていて、それに気づくことが真の悟りであると。私はまだ、そのような体感をしたことはありませんが、想像することは出来ます。きっと、それが本当なんだろう。いつか、お遍路さんに行ける様、日々の日常生活を大切にして行こうと思います。
ところで、日常生活の基本中の基本と言えば(いわゆる仕事ではなくて)、家事・・・つまり料理、洗濯、掃除ですね。だから、これらを軽く見てはいけないようです。と言っても、私の場合は料理も洗濯もダメで、もっぱら休日掃除班。毎日はできないので、休みの日だけ風呂やトイレを磨いたり、ゴミを出したり、掃除機をかけたり、香りを炊いたりします。先週は家中の拭き掃除をして、見えないところの埃が取れて、とても気持ちよかった。家事は妻に任せっきりになってしまうので、できる時はやろうと思ってます。なにしろ、風水の基本は、整理、整頓、清掃、清潔ですから。すべてはここから始まります。
でも掃除をしながら思うのは「掃除をするだけの心の余裕があるというのは、幸せなことだな」ということです。もし食べるものも無く、家の外で戦争が起きていたとしたら、掃除などしていられない。そんな気持ちになれない。多分そうだと思います。ただ逆に、仮に掃除ができるような心の余裕が無い時に、あえて掃除をすることによって、心の中に不思議なゆとりが生まれてくることはあります。悩みを解決する名案が浮かんだり、沈んでいた気持ちが前向きに変わったり。そういう魔力が掃除の中にはあるようです。トイレ掃除を推奨する本がたくさん出ているのも、きっと、こういう経験からではないでしょうか。
先日、NHKのBS放送で、ポーランドの映画監督「アンジェイ・ワイダ」の特集をやってました。アンジェイ・ワイダ氏の作品は、「地下水道」「灰とダイヤモンド」「大理石の男」「鉄の男」等が有名で、私も大好きな監督です。特に「大理石の男」からは非常に強烈なインパクトを受けました。アンジェイ・ワイダ氏の作品は、すべて祖国ポーランドの戦争の歴史や共産主義政権下で抑圧された市民・労働者の反抗を描いたもので、厳しい独裁国家との戦いの中から生まれています。検閲も厳しい。だから甘ったるい世界ではありません。監督自身が大きな志と覚悟を持っていたのだと思います。最終的にポーランドは、自主管理労組「連帯」(ワレサ議長)が生まれ、その後ドイツのベルリンの壁が崩壊し、民主的な国家へと変貌してきました。このような流れの中で、アンジェイ・ワイダ氏が果たした役割は、とても大きかったものと思います。
そのアンジェイ・ワイダ氏の最新作が完成しました。「カティン」です。カティンとは、「カティンの森事件」を描いたもので、この事件は、第二次世界大戦中にソ連軍の捕虜となったポーランド人将校らおよそ20,000人が虐殺され、ソ連のスモレンスク地方、カティン近くの森に埋められたというものです。当時、ソ連はその事実を否定していましたが、現在は公式に認めています。そして、その虐殺されたポーランド人の中の一人がアンジェイ・ワイダ氏の父親だったのです。ああ、そうか!!だから、アンジェイ・ワイダ氏は自分の生命を顧みず、このような映画を撮り続けていたのか・・・。やっと分かりました。そして時代が変わり、かつてポーランドの中でもタブーとなっていた「カティンの森事件」を、今やっと撮る事ができたんですね。アンジェイ・ワイダ氏の母親は、夫が虐殺されたという事実を最後まで信じず、夫の帰りを待ちながら死んでいったそうです。そのような両親への思いを込めて、この映画は作られたのでしょう。ぜひ見てみようと思います。
掃除ができる幸せを感じます。今は平和です。感謝します。
※大理石の男
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スターリン時代に労働者の英雄に祭り上げられた主人公の悲劇を通して、ポーランドの歴史の裏側に迫る力作。メッセージ性も高いですが、映画としてもスリリングで大変素晴らしいと思います。また、この物語は、後の「鉄の男」に引き継がれます。「鉄の男」は、1980年のグダニスクで起きた、造船労働者1万6千人によるストライキを発火点として、自主管理労組「連帯」の誕生から、民主化への長い道のりを描いたものです。二作品とも、厳しい検閲があったとのことですが、それでも作り手の強烈な「志」が伝わってきます。どんな状況になっても、希望を失わないこと。勇気を持って、行動すること。

社長の平均年齢

昨日、ある勉強会にて「中小企業の事業承継」についてのお話をお聞きしました。弊社は、すでに11年前に事業承継を行っているので、当面そのような問題はないのですが、いろいろと勉強になりました。そのお話の中で、意外とビックリしたのが、日本の全企業の「代表者平均年齢の推移」でした。これは、資本金の大きさ別に、社長の平均年齢の推移をグラフにしたもので、直近の全社長の平均年齢は「58歳」。弊社と同じ資本金規模の会社の社長平均年齢も同じく「58歳」。資本金10億円以上の大きな会社の社長平均年齢は、それよりも高くて「63歳」。最も低いのが、資本金1000万円未満の会社の社長平均年齢で、これが「57歳」。
う~ん、なるほど。IT企業が増えてきて、若手経営者がドンドン台頭してきたイメージがあったのですが、実際は、日本の社長の平均年齢は「60歳前後」がほとんどで、しかも右肩上がりでゆるやかに上昇中という結果だったのです(どうやら、事業承継がスムーズに進んでいないからのようです)。とすると、40代半ばの私はと言うと・・・まだ「それ以前の存在」ということか・・・。丸10年、社長業をやってきていますが、そんなのはまだまだ助走に過ぎず、しかもグラフを良く見てみると、縦軸の年齢の一番下がナント「50歳」!つまり、50歳未満は、社長の年齢として表記すらされていないのです!!私は、まだグラフの外か。あー、ショック!!
でも、モノは考えようで、普通の(?)社長になるまで、あと15年の時間をいただけているということです。これは、本当にありがたいことです。ただ、これからの15年は、今までの50年以上(もっとかもしれません)に匹敵するような大変化だと思いますので、そういう意味では、若さが強みになってくるでしょう。今までの助走期間の中で得られた数々の経験や失敗が、逆に大いなる智慧となって、これからの15年をしっかり支えてくれるでしょう。まだ青二才であることをしっかりと認識しながら、日々感謝の心を持って、最善を尽くそうと思います。
経営の目的は、「世のため人のためになる建設業経営」を現実のものにして行くことです。弊社は、目先の損得よりも、本当に世の中に必要とされる建設会社になるべく、様々な取り組みを行ってきました。そしてやっと、ほぼ完成の域という所までやって来ました。よってこれからは、身につけることができた本物の技術や商品を、「営業」ではなく、「提案」あるいは「普及」「啓蒙」活動によって、世の中に広めていくことです。自分が50歳を超えて、社長らしい風貌になる頃には、世の中は大きく変わっているでしょうし、建築に対する考え方も激変しているはずです。弊社はそこを見据えています。険しいかもしれませんが、楽しい15年が始まろうとしています。

ただ、ひたすら最善手

猛暑が続いています。これだけ暑いと、当然、人の気持ちもイライラしてきます。だから、地球温暖化は心の問題でもあるのです。最近の変な事件や暴力・傷害事件等を見ていると、こういう気候や環境の影響も、かなりその背景にあるのではないかと思います。それと、お酒。よく何かあると、「つい酔った勢いで・・・」とか「酔っていたので覚えていない」などという言い訳を、よく耳にします。何でもお酒のせいにしてしまうのはどうかとは思いますが、確かにお酒で失敗するというケースは、昔からよくあることです。そういう意味でいうと、タバコで重大事件が起きたということはあまり無いですね。「吸い過ぎた勢いで・・・」とか「吸っていたので覚えていない」というようなことは、まず無いです。健康に対する不安と煙に対する嫌悪感という問題はありますが、他人に即効的に重大な被害をもたらすような危険な特性は、タバコには無いのかもしれません。仮に吸い過ぎても、(基本的に)自分だけの問題で終わりますし・・・。
お酒は飲みすぎると、他人に大きな迷惑や直接的な被害・事故をもたらすことが(時には)あります。そういう意味で、本当はお酒の方がタバコよりも危険だと思うのです。でも、酒税収入が1兆7千億(平成16年度)くらい入ってきているようなので、国にとってはタバコよりも大事な聖域なのでしょう。超有名な大手ビールメーカー各社が、毎日のようにCMや大キャンペーンを張って、熾烈なシェア争いをしていますが、お酒によって引き起こされている市井の日常の小さなイザコザを見るに付け、何か妙な感覚を持ちます。私は、お酒は飲んでいいと思います。ただ、その背景に、多少の「後ろめたさ?」があってもいいような気もします。トラブルを起きるのが(ある程度)予期できているのに、堂々と売っているのはどうかなと。最近、あまりにもタバコに対する攻撃が激しいので、「それではお酒は?」と、ただ思っただけですが・・・。
そんな風にして世の中を見ていると、変だなあと思うようなことがあります。ゲームにしても、「子どもに悪い影響がある」と言われながら、毎日堂々とCMが流れているし、子どもに見せたくないようなオカルト映画の惨劇シーンのCMも流れています。私は、こういう商品(お酒を含めて)を売っていいと思いますし、買いたい(見たい)人が自己責任の上で、楽しめばいいと思います。でも、そのどこかに「こっそり」とした感覚があってもいいような気がします。あまりにも大胆、堂々としすぎているような気が・・・。
さて話は変わりますが、先日の夜、NHKの「プロフェッショナル/仕事の流儀」で、「森内俊之VS羽生善治」を見ました。将棋の世界はあまりよく知りませんが、羽生善治氏は超有名ですよね。でも、今回初めて森内俊之氏のことを知り、とても興味を持ちました。なにしろ羽生氏と互角に戦えるこんな強い人がいたなんて知らなかったんですから。番組では、この2人の名人戦の戦いを追っていて、なかなか面白かったです。結局、羽生氏が勝つのですが、戦い方のスタイルの違いやモノの考え方について、学ぶべき点がいくつもありました。森内氏の奇策ともいえる積極的で大胆な一手は、相手を混乱させ、常に強気でいく姿勢の大切さが分かりました。また、羽生氏の天才的な閃きと、どんなに「もう終わりだ」という厳しい局面に立たされても、常にその時に打つことができる最善の一手だけに集中するという精神力には、ある種の感動を覚えました。その時、画面に出た言葉が、「ただ、ひたすら最善手」。過去を振り返らない。未来を憂わない。ただ「今」だけのことを考えて、最善を尽くす。その結果、突然形勢が逆転し、勝ってしまう。そういうことが、本当にあるんですね。羽生氏は、これで勝ちが決まるという一手を打つ時に、なぜか手が痙攣するそうです(実際、手がブルブルと激しく震えてました)。人間の心と体は、不思議なものです。常に、答えを知っているかのようです。
実は、昨日お会いさせていただいた(とても素晴らしい)ある方が、私の名前について「改名したんですよね。いや~すごい名前にしましたね。おそらく苦労があると思うけど、考えられないような突然の飛躍が来ます。でも、しかしまあ、よく決断されましたね。ただ、この名前の敵は、弱気の虫ですからね。そこは注意した方がいいですよ」とおっしゃってくれました。羽生善治氏のように最善を尽くし、森内俊之氏のように強気でいく。期せずして何かが繋がったような気がします。

クライマーズ・ハイ

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映画「クライマーズ・ハイ」が公開されていますが、私は数年前に、横山秀夫氏の原作本を読みました。1985年8月12日に、群馬県御巣鷹山で起きた日航機墜落事故を取材する地方新聞社の記者たちの、怒涛の数日間と、全権デスクを任された主人公の過去の失敗、家族、親友、山登りに対する心のあり様を絡ませた物語で、なかなか読み応えのある作品でした。私自身も、この日の夜のニュースが大変な騒ぎになっていたことを覚えています。その後、生存者が救出されたこと、機内で書かれた遺書が発見されたこと、事故原因が以前起こしたシリモチ事故だった(らしい)こと等が明らかになり、航空会社の重大な責任問題へと続いていきました。
今あらためて感じるのは、生命を預かる仕事の責任の重さです。航空や鉄道をはじめとする運輸関係、医療、薬品、食品、警察、消防、そして建築。直接的に人の生命に関わる仕事というものは、ほんの少しの落ち度で、重大な結果を生み出してしまいます。時には、ビジネスとか商売を度外視した大きな使命感を持たないと、本来は成り立たない仕事のはずです。しかしながら、時代は収益性だけに価値観を置くようになり、そこに大いなるジレンマや矛盾を抱えたまま、人々の生命を守ることへの意識が全体として希薄になってきたように感じます。国の政治も、そういう意味では、国民の生命・生活を守ることが本業ではないでしょうか。今こそ、国も民間も、本当に大切なものを見つけていくべきだと思いますし、それを評価し支える文化、仕組み、価値観の創造を同時に行っていかないと、生命を守る大切な仕事の安定は図れないと思います。
尚、「クライマーズ・ハイ」ですが、本を読んだ印象だけですが、新聞社の内部の「戦い」の凄まじさを強烈に感じることが出来ました。新聞を制作する側と販売する側の戦い、個人的な嫉妬や抗争、他紙に負けない取材合戦、上司と部下との軋轢・・・。ひとつの目標に向かって、個人個人が己の能力と体力の全てをかけて、戦っていく姿。こういう人たちがいて、実際の世の中は動き、支えられているのだと思います。最近(残念ながら)増えてきている「指示待ち人間」では、恐らく一日たりとも、居ることができない職場でしょう。でも、それこそが真の職場であり、真の仕事であろうと思います。映画も見てみようと思います。

確信力

確信力が必要になってきたと思います。いったい果たして、どのような手立てが間違い無いのか。どのような方針や政策が正しいのか。これからどのような未来がやってくるのか。誰もが分からなくなってきました。今どこにいるのかが分からず、これからどこ行けばいいのかも分からない。社会全体が、道標を失ってしまった。でも、そうとなれば、個人の強い思いや確信さえあれば、どこへでも行ける。全体がどうであろうと、私は(私たちは)ここへ行くと心に決めて、行動さえすれば・・・。大きな船に乗って、安全航海が出来た時代から、船をおろされ、「好きなところへ行け」と言われる時代へ。行きたい場所のある人にとっては、(リスクはあるが)面白い時代。行き先が分からない人にとっては、ただ不安と混乱だけの時代。おそらく多くの人たちが、この中間地点で彷徨っているのではないでしょうか。
仮に「行きたい場所」があると言っても、そこが平和な楽園とは限らない。今よりも厳しくて醜い場所かもしれない。仮に「行きたい場所」が無くても、不安を持たず、純粋に毎日を前向きに生きた結果、とても美しい場所に辿り着くこともある。だから結局、最後は、「確信」しかないのかもしれません。夢や理想やビジョンを持って、それを自らが確信する。必ずそこへ辿り着くと。絶対にあきらめないと。
ただ、その夢や理想やビジョンが、自らの良心が喜ぶような中身で無いと、ダメなような気がします。環境を破壊したり、人から搾取したりしても、うまく行かない。良心が咎める。だから、誰もが胸の中に持っている「良心」が、「それはいいぞ!!」と喜んで応援してくれる中身を持って、確信して道を進んでいけば、それぞれが、それぞれにとって最高の場所に行き着くのではないでしょうか。そういう意味で、他人からは自由になれるが、自分(=良心)からは自由になれないという、今までとは違った価値観の時代になったと思います。
だから、自分自身の良心に問いながら、毎日を前向きに生きていくこと。確信を持って。それしかないように思います。今どこにいようと、これさえあれば、大丈夫。どんなに目標地点から遠くても、いい風が吹いて後押ししてくれる。今いいところにいても、良心に反する思考や行動をしていれば、逆風が吹いてきて、なかなか辿り着けない。遠ざかる。圧倒的な自然の力によって、コントロールされる時代です。つまり、自然を味方につけること・・・。それには心を磨くこと・・・。このように、とても大きな難問を突きつけられたわけですが、挑戦してみる価値があると思います。ゲーム感覚と確信力を持って!!
※新しい音楽
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スティーヴ・ライヒ
18人の音楽家のための音楽(1974-76)
昨日のNHK教育テレビのクラシック音楽番組で、へんてこりんなコンサートをやっていて、少し見ていたら、とうとう最後まで見てしまいました。初めて聞いた名前、「スティーヴ・ライヒ」という人の音楽。楽器編成はクラシックのようですが、ピアノが4台もあったり、木琴がたくさんあったり、マイクを持って声を出すヴォーカルがいたり、ちょっと変。曲もず~っと、小刻みなリズムの繰り返しで、メロディーはあまりない。でも、その感覚的な刺激は、テクノ系のようであり、現代音楽のようであり、でも冷たさや難解さとは無縁で、やはりクラシックなのか・・・などと思いながら、ぼ~としながら見ていると、精神の浄化作用を感じて、なかなかいいなと思ってしまいました。すごいのは、ず~と同じ細かいリズムでピアノや木琴を叩いていること。頭を掻く暇も無い。それから、指揮者がいないのに、18人が一糸乱れぬリズムを、ず~と刻み続けていること。それ自体が、もう信じられない一体感。人間は、やる気になったら、何でもできる!!という証拠を見ることが出来ました。これも、「確信力」」だ!!

美しさへの畏敬

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イタリアのフィレンツェにある「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)」に落書きをした日本人がいた!!ああ、何という恥・・・。フィレンツェの街を歩いていると、突如、信じられないほどの巨大な建造物が出現します。それが、この「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)」で、イタリア旅行のパンフレットやチラシには、必ずと言っていいほど、そのレンガ色のドーム屋根が美しい大聖堂が映っています。私も数回、その雄姿を目にしましたが、その巨大さを超えた圧倒的なエネルギーは、大げさではなく、この世のものとは思えないほどの存在感でした・・・。
そのような歴史的な建築物(3棟に分かれています)に、マジックで落書きをするとは・・・。唖然ですね。最近、ニュースを騒がせているような大事件と、今回の「(本人の意識では)ちょっとしたイタズラ」を天秤に掛けることはできませんが、「悪」という意味においては同じ重さかもしれません。日本人は、いよいよ「美意識」を失ってしまったのでしょうか。風景や街並みや田園の美しさを犠牲にして、経済的な豊かさばかりを追求してしまった結果、海外で平気で恥をさらす文化を造り上げてしまったのか・・・。政治や経済をめぐる様々な問題やトラブルに対しては、大いなる批判的精神を持ちながらも、その底流には基本的な相互理解というものが横たわっているものですが、このような低次元の悪事に対しては、そのようなものすら存在する余地はありません。このニュースは、(ある意味)近年最も日本人の評価を落としてしまった出来事になったのではないかと思います。
私がなぜそこまで言うかというと、本当にこの大聖堂は、見事で美しくて壮麗なのです。ただ、それだけです。でも、それ以上の説明が必要でしょうか。私は、「美しい」ということに畏敬の念を持つ感性だけは、一生失いたく無いと思います。今ある風景や現実を大切にし、できる限り美しい状態を維持したり、あるいは、より美しく改善していくことは、風景を共有する私たち人間の最も大切な義務だと思います。地球環境を論ずる前に、身の回りを汚さないことから始めなくてはなりません。相変わらず、東京の道端には、タバコの吸殻が落ちています。信じられないことです。

スティーブ・ジョブズ/神の交渉力

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パソコンメーカーのアップル社を創業しながら、会社を追われた男、スティーブ・ジョブズが、再びアップル社に呼び戻され、iPodを世に出し、今は最強のCEOになった・・・。そういう壮絶なプロセスを描いた「スティーブ・ジョブズ/神の交渉力」(経済界)を読みました。私はアップルのパソコンを使ったことが無いですし、iPodも持っていないので、あまりアップル社のことについて詳しくは知りませんでしたが、これを読んで俄然興味が湧いてきました。どこに興味を持ったのかというと、スティーブ・ジョブズという類まれなる人物像です。
契約は守らない、部下はだます、功績は横取りする、仲間を裏切る・・・等は当たり前。とにかく、超が付くほどの自己中心的な人物。しかしながら、目的を達成するためには手段を選ばず、絶対にやり切る。そういう凄まじい力は、本当に神の域に達するのではないかとさえ思います。「出来ない理由」を言っただけで、その人は抹殺される。周りの人たちを、そういう恐怖のどん底に落としながらも、強烈な力で事を成していく。本当に、あきれるほど嫌なヤツだが、たいしたヤツ。
でも、実際の道のりは、失敗の連続。自分が作った会社を追われ、新しいビジネスも、もうギリギいっぱいのところまで追い詰められる。それでも、ジョブスが現在の「成功」を築きあげたのは、自分の「強み」だけを研ぎ澄ませたから。独りよがりで傲慢であるという弱点を、一切反省せず、直そうともせず、ただ得意なこと、強みだけを、尋常じゃないエネルギーで進化させて行った。その結果が、今ここにある。しかも彼は、膵臓ガンにもなりながら、それを克服していた・・・。
「人生で大きな決断を下す際にもっとも助けになったことは、もうすぐ死ぬといういうことを頭に入れておいたことだ。周囲の期待やプライド、または失敗や恥への恐怖は、死を前にすると消え去り、本当に大事なことだけが残る。自分の気持ちに従わない理由はない」
「もっとも重要なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことだ。心と直感は本当になりたい自分を知っている。それ以外のものなんて二のつぎだ」
本の最後の方に出ていた、この二つの彼の言葉は、私の心を強く打ちました。人間、本当に崖っぷちになった時に、はじめて自分自身の心と正直に向き合い、何をなすべきかが鮮やかに理解できる。それを実行するためには、少々の問題など二のつぎだ。成功者とは、きっと大なり小なり、そういうプロセスを経ているのでしょう。私の場合、このような強烈な傲慢さを長所としては持ってはいない(と思う・・・)ので、スタイルは全く違うと思いますが、「強みを生かすこと」、「心と直感に従うこと」は、強く共感できました。
もうひとつ、作者からの一言・・・「最後の最後まで土俵から降りないとき、突然、道が開ける」。ジュブズが証明したひとつの原理原則です。今の時代、ほとんどの人が、簡単に自ら土俵を降りていく。「賢明な判断だった」という耳障りの良い評価をもらって。でも、結局最後に勝つのは、ボロボロになりながらも最後まで土俵にいた人間。そういう忍耐力こそが、今の時代、今の社会、今の教育には必要なのかもしれません。結局、経営とは人生そのもの。これ以上、学べる環境は無いという事ですね。感謝です!!

チャンス!!

「チャンスだ!!」・・・世の中が混乱してきて、波風が立ち始めると、一見大変な状況に映って見えます。でもいつの時代でも、このような中からこそ新しい発想や技術や仕組が生まれてくるものです。そういう意味において、現在の経済や環境や社会の現状は、必然であり、次の時代へ移行するための必要なプロセスなのかもしれません。固定概念を外すには、いいチャンスです。
実際、ここ数ヶ月、中途採用の面接希望者が増えています。昨年来からのサブプライムローンの影響や地価の下落、原油高等によって、人の動きが出てきたからでしょう。まさに、優秀な人材との出会いのチャンス到来です。丸二の≪快適100年建築≫と≪美と夢と健康≫に共感し、共に信念を持って取り組んでくれる志高き仲間たちが増えることで、私たちのミッション(使命)は、さらに加速していくでしょう。だから、今はチャンス。最高の好機です。
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さて、「引き寄せの法則」ブームが続いています。私も数冊読みましたが、印象に残ったのは、「ザ・シークレット」、「引き寄せの法則-エイブラハムとの対話-」、「ザ・キー」の3冊でした。3冊とも言っていることは基本的に同じで、「あなたの人生に起きている事は、すべて自分自身が引き寄せている」ということです。人間が潜在意識の中で考えたり、イメージしたりしていることが、現実として起こる。つまり、「成功」をイメージして、信じて、それをすでに受け取ったかのような気持ちで日々を過ごしていると、それが現実となり、「失敗」をイメージして、信じて、それをすでに受け取ったかのような気持ちで日々を過ごしていると、それが現実となる。・・・と言う、極めてシンプルな法則です。ですから、殺人事件のニュースや超悲劇的な映画・ドラマばかりを見てはいけないのです。潜在意識の中に強くインプットされてしまうと、そういう現実(事件、悲劇)を引き寄せます。
風水科学とは、潜在意識の中に、「喜び」「楽しみ」「くつろぎ」「成功」をインプットするための場(環境)の設定技術です。実際、頭の中で「成功」をイメージし続けることは、そう簡単ではありません。でも、すでに「成功」がインストールされている場(環境)があれば、そこにいるだけで潜在意識の中に良い情報が流れてくるようになります。風水科学にはそういう自然科学的、大脳生理学的な裏づけがあるのです。大きな波風が吹き始めている今の時代において、自らを冷静に見つめながら、大局観を持って行動するためには、どうしても「成功」や「健康」「安全」「幸福」をイメージできる力が必要です。それがチャンスを引き寄せます。そのためには、まず場(環境)を整えることから始める必要があるのです。
でも、本当に最後の最後は、「信念」と「感謝」だと思います。何があっても、信念さえ持ち続けることが出来れば、その人の人生は「成功」だと思うのです。何があっても、感謝の心さえ持ち続けることが出来れば、その人の人生は「豊か」だと思うのです。この大変化の時代の流れの中で、自らの信念が揺らぐことはないのか、感謝の心を忘れることはないのか・・・そういうことを問われていく旅が始まりました。なかなか面白い旅になりそうです。こういう時代に生きてること自体が、ラッキーだと思います。
※感動の静寂
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クラウディオ・アバド(Claudio Abbado, 1933年6月26日 – )
アバドは、イタリア出身の指揮者で、前ベルリンフィルの芸術監督。2000年に胃がんで倒れたが、手術を受けて復活。ベルリン・フィル辞任後も、ルツェルン祝祭管弦楽団などを指揮している。
そのアバドが、2007年ルツェルン音楽祭にて、マーラーの交響曲第3番を振る映像をBSで見ました。それまでアバドという指揮者には、ほとんど興味を持っていなかったので、特に期待もしていなかったのですが、病気以前に比べて異常な痩せ方をしている姿にまずはビックリ・・・。と同時に、私が好きな最終楽章(ゆっくり、静かに、感情をこめて)の穏やかさに感動。最後の音が静かに消えた後も、会場はシーンと静まり返ったまま・・・。10秒から15秒という異常に長い静寂の時間が過ぎてから、湧き上がるような感動の大拍手が場内を包む。聴衆は、曲の素晴らしさと、演奏の見事さと、そしてベルリンフィル時代に厳しい評価を受けながらも辛抱をし続け、その後大病を患った後に、このように笑顔で復活してきたアバドという人物に対して、敬愛の大拍手を贈ったのでしょう。「信念」さえあれば、最後は何かをつかむもの。すごい人だと思いました。

こころを打つ

小さい時から読書が嫌いで、漫画以外の本一冊を読み切ることができなかった頃、ついに最後まで読破することが出来た最初の長編小説が、夏目漱石の「こころ」でした(確か高校時代)。それに気を良くして、夏目漱石の小説はほぼ全部読みました。でも、難しい字や意味の分からない文脈はドンドン飛ばして行ったと思うので、ただ何となくストーリーを追っただけかもしれません。ただそれでも、あの何とも言えない文章の奥底から感じられた独特の空気感や時代性、そして主人公のこころの動きや喪失感は、映画やテレビや漫画では到底味わうことのできない種類のものであるということを知りました。遺作の「明暗」も非常に長い小説で、しかも未完のまま終わるのですが、「ああ、ここで終わりなのか・・・」と思いながら、何度も最後の数頁をめくり直した記憶があります。
今、WOWWOWで市川崑監督特集をやっていて、映画「こころ」(白黒映画)を放映していました。そもそも夏目漱石の「こころ」が映画化になっていたとは知らず、しかも市川崑の監督作品だったというのも初耳で、少々ビックリしたのですが、これは見てみようと。感想としては、あの小説を映画にしてしまうと、こんなにシンプルで単調な物語だったのかと思うような印象で、ある程度想像はしていましたが、やはり夏目漱石の世界の映像化は難しいものだと感じました。それでも、主人公である「先生」のこころの苦しみは、現実の出来事として、共感できるものでした。
また最近、BS放送を見ていたら、とある日本のロックバンド(かな?)のライブをやっていて、何となく見ていたら、突然引き込まれるような感覚になって見入ってしまった・・・。と言うのも、どこかで聞いたことがあるような無いような曲を、男性ボーカルの人が強い思いを込めて歌い上げている。それがなかなか素晴らしい。ああ、なんていう曲だろう。誰の曲だったろう。このボーカルは誰だろう。なんていうバンドだろう。あとで番組表を見たら、バンドは「エレファントカシマシ」と分かりました。曲はこの人たちのオリジナルだろうか。いや、そんなことはないだろう。結構有名な曲のはずだ。と思って、ネットで調べたら、多分これだろうと分かりました。ユーミン(松任谷由美)の「翳りゆく部屋」。そう言えば、そうだ。何度か聞いたことがある。でもこんなに印象に残ったことは無い。と言うことは、この「エレファントカシマシ」がすごいのだろうか。ライブの他の曲を聞いても、詩が文学的だったり、激しかったり。多分、一般大衆的には受けない傾向のバンドだと思いますが、私はそういう方が好きです。
小説にしても音楽にしても、自分自身のこころを打つものと出会うと、無性に嬉しくなるものです。「それが何だ」「たかが小説じゃないか」「たかが音楽じゃないか」と言われることも多々ありますが、そういうものとの戯れが、私の人生の中の「ある部分」を支えているのも事実です。私たち、丸二が目指しているものも、実はこの「ある部分」に関わろうとしています。ただ(物理的に)建物を建てるだけではなく、そこに「人のこころ打つ何か」を含めていきたい。それは、受け取る側が感じる部分なので、必ずしも万人のこころを打つとは限らない。それでも尚、「人のこころ打つ何か」を模索して、ご提案をして行きたいのです。家を建てる、マンション経営を行う、リフォームをする・・・みんな大きなお金を使います。だからこそ、「モノ」+「こころ」の両面をバランス良く整え、ご縁をいただいた全てのお客様の人生の流れが良い方向へ流れるようにしたいのです。
私たちは、以上のような考え方や思いをお伝えするのが、まだまだうまくありません。でも愚直に続けていきます。日々1mmの前進です。