

2008.07.18
昨日、ある勉強会にて「中小企業の事業承継」についてのお話をお聞きしました。弊社は、すでに11年前に事業承継を行っているので、当面そのような問題はないのですが、いろいろと勉強になりました。そのお話の中で、意外とビックリしたのが、日本の全企業の「代表者平均年齢の推移」でした。これは、資本金の大きさ別に、社長の平均年齢の推移をグラフにしたもので、直近の全社長の平均年齢は「58歳」。弊社と同じ資本金規模の会社の社長平均年齢も同じく「58歳」。資本金10億円以上の大きな会社の社長平均年齢は、それよりも高くて「63歳」。最も低いのが、資本金1000万円未満の会社の社長平均年齢で、これが「57歳」。
う~ん、なるほど。IT企業が増えてきて、若手経営者がドンドン台頭してきたイメージがあったのですが、実際は、日本の社長の平均年齢は「60歳前後」がほとんどで、しかも右肩上がりでゆるやかに上昇中という結果だったのです(どうやら、事業承継がスムーズに進んでいないからのようです)。とすると、40代半ばの私はと言うと・・・まだ「それ以前の存在」ということか・・・。丸10年、社長業をやってきていますが、そんなのはまだまだ助走に過ぎず、しかもグラフを良く見てみると、縦軸の年齢の一番下がナント「50歳」!つまり、50歳未満は、社長の年齢として表記すらされていないのです!!私は、まだグラフの外か。あー、ショック!!
でも、モノは考えようで、普通の(?)社長になるまで、あと15年の時間をいただけているということです。これは、本当にありがたいことです。ただ、これからの15年は、今までの50年以上(もっとかもしれません)に匹敵するような大変化だと思いますので、そういう意味では、若さが強みになってくるでしょう。今までの助走期間の中で得られた数々の経験や失敗が、逆に大いなる智慧となって、これからの15年をしっかり支えてくれるでしょう。まだ青二才であることをしっかりと認識しながら、日々感謝の心を持って、最善を尽くそうと思います。
経営の目的は、「世のため人のためになる建設業経営」を現実のものにして行くことです。弊社は、目先の損得よりも、本当に世の中に必要とされる建設会社になるべく、様々な取り組みを行ってきました。そしてやっと、ほぼ完成の域という所までやって来ました。よってこれからは、身につけることができた本物の技術や商品を、「営業」ではなく、「提案」あるいは「普及」「啓蒙」活動によって、世の中に広めていくことです。自分が50歳を超えて、社長らしい風貌になる頃には、世の中は大きく変わっているでしょうし、建築に対する考え方も激変しているはずです。弊社はそこを見据えています。険しいかもしれませんが、楽しい15年が始まろうとしています。
2008.07.14
猛暑が続いています。これだけ暑いと、当然、人の気持ちもイライラしてきます。だから、地球温暖化は心の問題でもあるのです。最近の変な事件や暴力・傷害事件等を見ていると、こういう気候や環境の影響も、かなりその背景にあるのではないかと思います。それと、お酒。よく何かあると、「つい酔った勢いで・・・」とか「酔っていたので覚えていない」などという言い訳を、よく耳にします。何でもお酒のせいにしてしまうのはどうかとは思いますが、確かにお酒で失敗するというケースは、昔からよくあることです。そういう意味でいうと、タバコで重大事件が起きたということはあまり無いですね。「吸い過ぎた勢いで・・・」とか「吸っていたので覚えていない」というようなことは、まず無いです。健康に対する不安と煙に対する嫌悪感という問題はありますが、他人に即効的に重大な被害をもたらすような危険な特性は、タバコには無いのかもしれません。仮に吸い過ぎても、(基本的に)自分だけの問題で終わりますし・・・。
お酒は飲みすぎると、他人に大きな迷惑や直接的な被害・事故をもたらすことが(時には)あります。そういう意味で、本当はお酒の方がタバコよりも危険だと思うのです。でも、酒税収入が1兆7千億(平成16年度)くらい入ってきているようなので、国にとってはタバコよりも大事な聖域なのでしょう。超有名な大手ビールメーカー各社が、毎日のようにCMや大キャンペーンを張って、熾烈なシェア争いをしていますが、お酒によって引き起こされている市井の日常の小さなイザコザを見るに付け、何か妙な感覚を持ちます。私は、お酒は飲んでいいと思います。ただ、その背景に、多少の「後ろめたさ?」があってもいいような気もします。トラブルを起きるのが(ある程度)予期できているのに、堂々と売っているのはどうかなと。最近、あまりにもタバコに対する攻撃が激しいので、「それではお酒は?」と、ただ思っただけですが・・・。
そんな風にして世の中を見ていると、変だなあと思うようなことがあります。ゲームにしても、「子どもに悪い影響がある」と言われながら、毎日堂々とCMが流れているし、子どもに見せたくないようなオカルト映画の惨劇シーンのCMも流れています。私は、こういう商品(お酒を含めて)を売っていいと思いますし、買いたい(見たい)人が自己責任の上で、楽しめばいいと思います。でも、そのどこかに「こっそり」とした感覚があってもいいような気がします。あまりにも大胆、堂々としすぎているような気が・・・。
さて話は変わりますが、先日の夜、NHKの「プロフェッショナル/仕事の流儀」で、「森内俊之VS羽生善治」を見ました。将棋の世界はあまりよく知りませんが、羽生善治氏は超有名ですよね。でも、今回初めて森内俊之氏のことを知り、とても興味を持ちました。なにしろ羽生氏と互角に戦えるこんな強い人がいたなんて知らなかったんですから。番組では、この2人の名人戦の戦いを追っていて、なかなか面白かったです。結局、羽生氏が勝つのですが、戦い方のスタイルの違いやモノの考え方について、学ぶべき点がいくつもありました。森内氏の奇策ともいえる積極的で大胆な一手は、相手を混乱させ、常に強気でいく姿勢の大切さが分かりました。また、羽生氏の天才的な閃きと、どんなに「もう終わりだ」という厳しい局面に立たされても、常にその時に打つことができる最善の一手だけに集中するという精神力には、ある種の感動を覚えました。その時、画面に出た言葉が、「ただ、ひたすら最善手」。過去を振り返らない。未来を憂わない。ただ「今」だけのことを考えて、最善を尽くす。その結果、突然形勢が逆転し、勝ってしまう。そういうことが、本当にあるんですね。羽生氏は、これで勝ちが決まるという一手を打つ時に、なぜか手が痙攣するそうです(実際、手がブルブルと激しく震えてました)。人間の心と体は、不思議なものです。常に、答えを知っているかのようです。
実は、昨日お会いさせていただいた(とても素晴らしい)ある方が、私の名前について「改名したんですよね。いや~すごい名前にしましたね。おそらく苦労があると思うけど、考えられないような突然の飛躍が来ます。でも、しかしまあ、よく決断されましたね。ただ、この名前の敵は、弱気の虫ですからね。そこは注意した方がいいですよ」とおっしゃってくれました。羽生善治氏のように最善を尽くし、森内俊之氏のように強気でいく。期せずして何かが繋がったような気がします。
2008.07.10
映画「クライマーズ・ハイ」が公開されていますが、私は数年前に、横山秀夫氏の原作本を読みました。1985年8月12日に、群馬県御巣鷹山で起きた日航機墜落事故を取材する地方新聞社の記者たちの、怒涛の数日間と、全権デスクを任された主人公の過去の失敗、家族、親友、山登りに対する心のあり様を絡ませた物語で、なかなか読み応えのある作品でした。私自身も、この日の夜のニュースが大変な騒ぎになっていたことを覚えています。その後、生存者が救出されたこと、機内で書かれた遺書が発見されたこと、事故原因が以前起こしたシリモチ事故だった(らしい)こと等が明らかになり、航空会社の重大な責任問題へと続いていきました。
今あらためて感じるのは、生命を預かる仕事の責任の重さです。航空や鉄道をはじめとする運輸関係、医療、薬品、食品、警察、消防、そして建築。直接的に人の生命に関わる仕事というものは、ほんの少しの落ち度で、重大な結果を生み出してしまいます。時には、ビジネスとか商売を度外視した大きな使命感を持たないと、本来は成り立たない仕事のはずです。しかしながら、時代は収益性だけに価値観を置くようになり、そこに大いなるジレンマや矛盾を抱えたまま、人々の生命を守ることへの意識が全体として希薄になってきたように感じます。国の政治も、そういう意味では、国民の生命・生活を守ることが本業ではないでしょうか。今こそ、国も民間も、本当に大切なものを見つけていくべきだと思いますし、それを評価し支える文化、仕組み、価値観の創造を同時に行っていかないと、生命を守る大切な仕事の安定は図れないと思います。
尚、「クライマーズ・ハイ」ですが、本を読んだ印象だけですが、新聞社の内部の「戦い」の凄まじさを強烈に感じることが出来ました。新聞を制作する側と販売する側の戦い、個人的な嫉妬や抗争、他紙に負けない取材合戦、上司と部下との軋轢・・・。ひとつの目標に向かって、個人個人が己の能力と体力の全てをかけて、戦っていく姿。こういう人たちがいて、実際の世の中は動き、支えられているのだと思います。最近(残念ながら)増えてきている「指示待ち人間」では、恐らく一日たりとも、居ることができない職場でしょう。でも、それこそが真の職場であり、真の仕事であろうと思います。映画も見てみようと思います。
2008.07.05
確信力が必要になってきたと思います。いったい果たして、どのような手立てが間違い無いのか。どのような方針や政策が正しいのか。これからどのような未来がやってくるのか。誰もが分からなくなってきました。今どこにいるのかが分からず、これからどこ行けばいいのかも分からない。社会全体が、道標を失ってしまった。でも、そうとなれば、個人の強い思いや確信さえあれば、どこへでも行ける。全体がどうであろうと、私は(私たちは)ここへ行くと心に決めて、行動さえすれば・・・。大きな船に乗って、安全航海が出来た時代から、船をおろされ、「好きなところへ行け」と言われる時代へ。行きたい場所のある人にとっては、(リスクはあるが)面白い時代。行き先が分からない人にとっては、ただ不安と混乱だけの時代。おそらく多くの人たちが、この中間地点で彷徨っているのではないでしょうか。
仮に「行きたい場所」があると言っても、そこが平和な楽園とは限らない。今よりも厳しくて醜い場所かもしれない。仮に「行きたい場所」が無くても、不安を持たず、純粋に毎日を前向きに生きた結果、とても美しい場所に辿り着くこともある。だから結局、最後は、「確信」しかないのかもしれません。夢や理想やビジョンを持って、それを自らが確信する。必ずそこへ辿り着くと。絶対にあきらめないと。
ただ、その夢や理想やビジョンが、自らの良心が喜ぶような中身で無いと、ダメなような気がします。環境を破壊したり、人から搾取したりしても、うまく行かない。良心が咎める。だから、誰もが胸の中に持っている「良心」が、「それはいいぞ!!」と喜んで応援してくれる中身を持って、確信して道を進んでいけば、それぞれが、それぞれにとって最高の場所に行き着くのではないでしょうか。そういう意味で、他人からは自由になれるが、自分(=良心)からは自由になれないという、今までとは違った価値観の時代になったと思います。
だから、自分自身の良心に問いながら、毎日を前向きに生きていくこと。確信を持って。それしかないように思います。今どこにいようと、これさえあれば、大丈夫。どんなに目標地点から遠くても、いい風が吹いて後押ししてくれる。今いいところにいても、良心に反する思考や行動をしていれば、逆風が吹いてきて、なかなか辿り着けない。遠ざかる。圧倒的な自然の力によって、コントロールされる時代です。つまり、自然を味方につけること・・・。それには心を磨くこと・・・。このように、とても大きな難問を突きつけられたわけですが、挑戦してみる価値があると思います。ゲーム感覚と確信力を持って!!
※新しい音楽
スティーヴ・ライヒ
18人の音楽家のための音楽(1974-76)
昨日のNHK教育テレビのクラシック音楽番組で、へんてこりんなコンサートをやっていて、少し見ていたら、とうとう最後まで見てしまいました。初めて聞いた名前、「スティーヴ・ライヒ」という人の音楽。楽器編成はクラシックのようですが、ピアノが4台もあったり、木琴がたくさんあったり、マイクを持って声を出すヴォーカルがいたり、ちょっと変。曲もず~っと、小刻みなリズムの繰り返しで、メロディーはあまりない。でも、その感覚的な刺激は、テクノ系のようであり、現代音楽のようであり、でも冷たさや難解さとは無縁で、やはりクラシックなのか・・・などと思いながら、ぼ~としながら見ていると、精神の浄化作用を感じて、なかなかいいなと思ってしまいました。すごいのは、ず~と同じ細かいリズムでピアノや木琴を叩いていること。頭を掻く暇も無い。それから、指揮者がいないのに、18人が一糸乱れぬリズムを、ず~と刻み続けていること。それ自体が、もう信じられない一体感。人間は、やる気になったら、何でもできる!!という証拠を見ることが出来ました。これも、「確信力」」だ!!
2008.07.01
イタリアのフィレンツェにある「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)」に落書きをした日本人がいた!!ああ、何という恥・・・。フィレンツェの街を歩いていると、突如、信じられないほどの巨大な建造物が出現します。それが、この「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)」で、イタリア旅行のパンフレットやチラシには、必ずと言っていいほど、そのレンガ色のドーム屋根が美しい大聖堂が映っています。私も数回、その雄姿を目にしましたが、その巨大さを超えた圧倒的なエネルギーは、大げさではなく、この世のものとは思えないほどの存在感でした・・・。
そのような歴史的な建築物(3棟に分かれています)に、マジックで落書きをするとは・・・。唖然ですね。最近、ニュースを騒がせているような大事件と、今回の「(本人の意識では)ちょっとしたイタズラ」を天秤に掛けることはできませんが、「悪」という意味においては同じ重さかもしれません。日本人は、いよいよ「美意識」を失ってしまったのでしょうか。風景や街並みや田園の美しさを犠牲にして、経済的な豊かさばかりを追求してしまった結果、海外で平気で恥をさらす文化を造り上げてしまったのか・・・。政治や経済をめぐる様々な問題やトラブルに対しては、大いなる批判的精神を持ちながらも、その底流には基本的な相互理解というものが横たわっているものですが、このような低次元の悪事に対しては、そのようなものすら存在する余地はありません。このニュースは、(ある意味)近年最も日本人の評価を落としてしまった出来事になったのではないかと思います。
私がなぜそこまで言うかというと、本当にこの大聖堂は、見事で美しくて壮麗なのです。ただ、それだけです。でも、それ以上の説明が必要でしょうか。私は、「美しい」ということに畏敬の念を持つ感性だけは、一生失いたく無いと思います。今ある風景や現実を大切にし、できる限り美しい状態を維持したり、あるいは、より美しく改善していくことは、風景を共有する私たち人間の最も大切な義務だと思います。地球環境を論ずる前に、身の回りを汚さないことから始めなくてはなりません。相変わらず、東京の道端には、タバコの吸殻が落ちています。信じられないことです。
2008.06.23
パソコンメーカーのアップル社を創業しながら、会社を追われた男、スティーブ・ジョブズが、再びアップル社に呼び戻され、iPodを世に出し、今は最強のCEOになった・・・。そういう壮絶なプロセスを描いた「スティーブ・ジョブズ/神の交渉力」(経済界)を読みました。私はアップルのパソコンを使ったことが無いですし、iPodも持っていないので、あまりアップル社のことについて詳しくは知りませんでしたが、これを読んで俄然興味が湧いてきました。どこに興味を持ったのかというと、スティーブ・ジョブズという類まれなる人物像です。
契約は守らない、部下はだます、功績は横取りする、仲間を裏切る・・・等は当たり前。とにかく、超が付くほどの自己中心的な人物。しかしながら、目的を達成するためには手段を選ばず、絶対にやり切る。そういう凄まじい力は、本当に神の域に達するのではないかとさえ思います。「出来ない理由」を言っただけで、その人は抹殺される。周りの人たちを、そういう恐怖のどん底に落としながらも、強烈な力で事を成していく。本当に、あきれるほど嫌なヤツだが、たいしたヤツ。
でも、実際の道のりは、失敗の連続。自分が作った会社を追われ、新しいビジネスも、もうギリギいっぱいのところまで追い詰められる。それでも、ジョブスが現在の「成功」を築きあげたのは、自分の「強み」だけを研ぎ澄ませたから。独りよがりで傲慢であるという弱点を、一切反省せず、直そうともせず、ただ得意なこと、強みだけを、尋常じゃないエネルギーで進化させて行った。その結果が、今ここにある。しかも彼は、膵臓ガンにもなりながら、それを克服していた・・・。
「人生で大きな決断を下す際にもっとも助けになったことは、もうすぐ死ぬといういうことを頭に入れておいたことだ。周囲の期待やプライド、または失敗や恥への恐怖は、死を前にすると消え去り、本当に大事なことだけが残る。自分の気持ちに従わない理由はない」
「もっとも重要なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことだ。心と直感は本当になりたい自分を知っている。それ以外のものなんて二のつぎだ」
本の最後の方に出ていた、この二つの彼の言葉は、私の心を強く打ちました。人間、本当に崖っぷちになった時に、はじめて自分自身の心と正直に向き合い、何をなすべきかが鮮やかに理解できる。それを実行するためには、少々の問題など二のつぎだ。成功者とは、きっと大なり小なり、そういうプロセスを経ているのでしょう。私の場合、このような強烈な傲慢さを長所としては持ってはいない(と思う・・・)ので、スタイルは全く違うと思いますが、「強みを生かすこと」、「心と直感に従うこと」は、強く共感できました。
もうひとつ、作者からの一言・・・「最後の最後まで土俵から降りないとき、突然、道が開ける」。ジュブズが証明したひとつの原理原則です。今の時代、ほとんどの人が、簡単に自ら土俵を降りていく。「賢明な判断だった」という耳障りの良い評価をもらって。でも、結局最後に勝つのは、ボロボロになりながらも最後まで土俵にいた人間。そういう忍耐力こそが、今の時代、今の社会、今の教育には必要なのかもしれません。結局、経営とは人生そのもの。これ以上、学べる環境は無いという事ですね。感謝です!!
2008.06.06
「チャンスだ!!」・・・世の中が混乱してきて、波風が立ち始めると、一見大変な状況に映って見えます。でもいつの時代でも、このような中からこそ新しい発想や技術や仕組が生まれてくるものです。そういう意味において、現在の経済や環境や社会の現状は、必然であり、次の時代へ移行するための必要なプロセスなのかもしれません。固定概念を外すには、いいチャンスです。
実際、ここ数ヶ月、中途採用の面接希望者が増えています。昨年来からのサブプライムローンの影響や地価の下落、原油高等によって、人の動きが出てきたからでしょう。まさに、優秀な人材との出会いのチャンス到来です。丸二の≪快適100年建築≫と≪美と夢と健康≫に共感し、共に信念を持って取り組んでくれる志高き仲間たちが増えることで、私たちのミッション(使命)は、さらに加速していくでしょう。だから、今はチャンス。最高の好機です。
さて、「引き寄せの法則」ブームが続いています。私も数冊読みましたが、印象に残ったのは、「ザ・シークレット」、「引き寄せの法則-エイブラハムとの対話-」、「ザ・キー」の3冊でした。3冊とも言っていることは基本的に同じで、「あなたの人生に起きている事は、すべて自分自身が引き寄せている」ということです。人間が潜在意識の中で考えたり、イメージしたりしていることが、現実として起こる。つまり、「成功」をイメージして、信じて、それをすでに受け取ったかのような気持ちで日々を過ごしていると、それが現実となり、「失敗」をイメージして、信じて、それをすでに受け取ったかのような気持ちで日々を過ごしていると、それが現実となる。・・・と言う、極めてシンプルな法則です。ですから、殺人事件のニュースや超悲劇的な映画・ドラマばかりを見てはいけないのです。潜在意識の中に強くインプットされてしまうと、そういう現実(事件、悲劇)を引き寄せます。
風水科学とは、潜在意識の中に、「喜び」「楽しみ」「くつろぎ」「成功」をインプットするための場(環境)の設定技術です。実際、頭の中で「成功」をイメージし続けることは、そう簡単ではありません。でも、すでに「成功」がインストールされている場(環境)があれば、そこにいるだけで潜在意識の中に良い情報が流れてくるようになります。風水科学にはそういう自然科学的、大脳生理学的な裏づけがあるのです。大きな波風が吹き始めている今の時代において、自らを冷静に見つめながら、大局観を持って行動するためには、どうしても「成功」や「健康」「安全」「幸福」をイメージできる力が必要です。それがチャンスを引き寄せます。そのためには、まず場(環境)を整えることから始める必要があるのです。
でも、本当に最後の最後は、「信念」と「感謝」だと思います。何があっても、信念さえ持ち続けることが出来れば、その人の人生は「成功」だと思うのです。何があっても、感謝の心さえ持ち続けることが出来れば、その人の人生は「豊か」だと思うのです。この大変化の時代の流れの中で、自らの信念が揺らぐことはないのか、感謝の心を忘れることはないのか・・・そういうことを問われていく旅が始まりました。なかなか面白い旅になりそうです。こういう時代に生きてること自体が、ラッキーだと思います。
※感動の静寂
クラウディオ・アバド(Claudio Abbado, 1933年6月26日 – )
アバドは、イタリア出身の指揮者で、前ベルリンフィルの芸術監督。2000年に胃がんで倒れたが、手術を受けて復活。ベルリン・フィル辞任後も、ルツェルン祝祭管弦楽団などを指揮している。
そのアバドが、2007年ルツェルン音楽祭にて、マーラーの交響曲第3番を振る映像をBSで見ました。それまでアバドという指揮者には、ほとんど興味を持っていなかったので、特に期待もしていなかったのですが、病気以前に比べて異常な痩せ方をしている姿にまずはビックリ・・・。と同時に、私が好きな最終楽章(ゆっくり、静かに、感情をこめて)の穏やかさに感動。最後の音が静かに消えた後も、会場はシーンと静まり返ったまま・・・。10秒から15秒という異常に長い静寂の時間が過ぎてから、湧き上がるような感動の大拍手が場内を包む。聴衆は、曲の素晴らしさと、演奏の見事さと、そしてベルリンフィル時代に厳しい評価を受けながらも辛抱をし続け、その後大病を患った後に、このように笑顔で復活してきたアバドという人物に対して、敬愛の大拍手を贈ったのでしょう。「信念」さえあれば、最後は何かをつかむもの。すごい人だと思いました。
2008.06.03
小さい時から読書が嫌いで、漫画以外の本一冊を読み切ることができなかった頃、ついに最後まで読破することが出来た最初の長編小説が、夏目漱石の「こころ」でした(確か高校時代)。それに気を良くして、夏目漱石の小説はほぼ全部読みました。でも、難しい字や意味の分からない文脈はドンドン飛ばして行ったと思うので、ただ何となくストーリーを追っただけかもしれません。ただそれでも、あの何とも言えない文章の奥底から感じられた独特の空気感や時代性、そして主人公のこころの動きや喪失感は、映画やテレビや漫画では到底味わうことのできない種類のものであるということを知りました。遺作の「明暗」も非常に長い小説で、しかも未完のまま終わるのですが、「ああ、ここで終わりなのか・・・」と思いながら、何度も最後の数頁をめくり直した記憶があります。
今、WOWWOWで市川崑監督特集をやっていて、映画「こころ」(白黒映画)を放映していました。そもそも夏目漱石の「こころ」が映画化になっていたとは知らず、しかも市川崑の監督作品だったというのも初耳で、少々ビックリしたのですが、これは見てみようと。感想としては、あの小説を映画にしてしまうと、こんなにシンプルで単調な物語だったのかと思うような印象で、ある程度想像はしていましたが、やはり夏目漱石の世界の映像化は難しいものだと感じました。それでも、主人公である「先生」のこころの苦しみは、現実の出来事として、共感できるものでした。
また最近、BS放送を見ていたら、とある日本のロックバンド(かな?)のライブをやっていて、何となく見ていたら、突然引き込まれるような感覚になって見入ってしまった・・・。と言うのも、どこかで聞いたことがあるような無いような曲を、男性ボーカルの人が強い思いを込めて歌い上げている。それがなかなか素晴らしい。ああ、なんていう曲だろう。誰の曲だったろう。このボーカルは誰だろう。なんていうバンドだろう。あとで番組表を見たら、バンドは「エレファントカシマシ」と分かりました。曲はこの人たちのオリジナルだろうか。いや、そんなことはないだろう。結構有名な曲のはずだ。と思って、ネットで調べたら、多分これだろうと分かりました。ユーミン(松任谷由美)の「翳りゆく部屋」。そう言えば、そうだ。何度か聞いたことがある。でもこんなに印象に残ったことは無い。と言うことは、この「エレファントカシマシ」がすごいのだろうか。ライブの他の曲を聞いても、詩が文学的だったり、激しかったり。多分、一般大衆的には受けない傾向のバンドだと思いますが、私はそういう方が好きです。
小説にしても音楽にしても、自分自身のこころを打つものと出会うと、無性に嬉しくなるものです。「それが何だ」「たかが小説じゃないか」「たかが音楽じゃないか」と言われることも多々ありますが、そういうものとの戯れが、私の人生の中の「ある部分」を支えているのも事実です。私たち、丸二が目指しているものも、実はこの「ある部分」に関わろうとしています。ただ(物理的に)建物を建てるだけではなく、そこに「人のこころ打つ何か」を含めていきたい。それは、受け取る側が感じる部分なので、必ずしも万人のこころを打つとは限らない。それでも尚、「人のこころ打つ何か」を模索して、ご提案をして行きたいのです。家を建てる、マンション経営を行う、リフォームをする・・・みんな大きなお金を使います。だからこそ、「モノ」+「こころ」の両面をバランス良く整え、ご縁をいただいた全てのお客様の人生の流れが良い方向へ流れるようにしたいのです。
私たちは、以上のような考え方や思いをお伝えするのが、まだまだうまくありません。でも愚直に続けていきます。日々1mmの前進です。
2008.05.30
6月に、ガソリン価格が170円の値を付けそうです。しかしながら、原油高騰の主因は投機資金によるものなので、この辺をピークに今後は下落してくると思われます。もしその通りになれば、それはそれで一安心ですが、今後も今のままエネルギーを原油だけに頼っていると、相手は相場ですから、そのたびに今回のような不安や混乱が起きてしまいます。一体どうしたものでしょうか。
かと言って、原発に向かうのは世界の流れと逆行ですし(原発積極派は、世界で米国と日本だけ!)、今度は環境問題や地域住民の生死に関わる不安と混乱が生じてしまいます。では、水力か、火力か、風力か・・・。結局堂々巡りになってしまい、とりあえず現状の原油で様子を見ていこう・・・に戻ってしまう。非常に悩ましい状況であることには変わりありません。
太陽光エネルギー、水素エネルギー、磁場エネルギー、超微粒子エネルギー等の新しい代替エネルギー開発も、随分前から企業や個人や研究者が積極的に行ってきていますが、すべてが投資になってしまうので、なかなか大きな影響力を与えるまでには至っていませんし、むしろ大変な苦労を背負ってしまっているケースの方が多いと思います。使命感を持って、社会のために取り組む人々を支えていくようなシステムがないと、国も地球も立ち行かなくなってしまうでしょう。素晴らしい技術を持っている優秀な研究者や民間企業は、たくさんあると思います。現在の「資本があるものだけが勝つ」という社会の仕組みに加えて、もうひとつ別の流れを付けて欲しい。やはり、そのための国家ビジョン(方向付け)が必要です。
建築の分野でも、ほとんどの業者が平気で建てている「寿命が短い建物」や、「エネルギーを大量に消費する住宅」や、「病気になりやすい室内環境」や、「街並みを乱すデザイン」などへの規制を強化せず、99.9%の業者が真面目に取り組んでいる「構造設計」に異常なまでの規制を掛けて、結果的に官製不況を招いてしまった。ああ・・・敵に向けて撃ったつもりの大砲が、味方を直撃してしまった・・・ぐらいのミスだと思います。まさに、行き当たりばったりで、ビジョンが無い。「寿命が短い建物」や、「エネルギーを大量に消費する住宅」や、「病気になりやすい室内環境」や、「街並みを乱すデザイン」などに対する規制を掛けたら、本当に良心的な建設業者と設計事務所だけが増えていくでしょう。そういう道筋をつくって欲しいものです。
ところで、姉歯事件では設計者も施工者も販売者も、みんな罰を受けました。購入者も大変な被害を受けました。当然、民間の建築確認検査会社も罰を受けました。しかしながら、その民間の建築確認検査会社以外にも、多くの特定行政庁(役所)が構造計算の偽装を見逃していました。それなのに、役所の方には何ひとつ罰は下らなかった・・・。これは一体、どうしてだろう。こんなに大事な確認検査業務を、なぜ(営利目的の)民間に投げてしまったのだろう。普通に出てくる疑問です。時が経って、冷静に物事を見つめ直すと、滑稽にまで見えてしまうほどの「珍解決」というものがあるものです。でもいずれ、正しい解決が行われると思います。
2008.05.29
中国:四川大地震の救援活動として、自衛隊が派遣されることになりそうです。この地震の被害は非常に大きく、できるだけ多くの手が必要とされる中で、このように日本が具体的な援助の手を差し伸べることができたとすれば、アジアにとっても有意義な一歩になるのではないでしょうか。もちろん、お互いに様々な思惑があるでしょうし、当然そう言われることもあるでしょう。でも、それでもなお、良いと思ったことはやっていく方がいい。これで、今後の中国との関係が「一変して良くなる」なんてことはあり得ないと思いますが、日本は「だからこそ」やる。むしろ「救援させていただく」という思いでやっていく。やるからには、それくらいの念を入れてやる。これが、日本が古来から持っているはずの「凄み」だと思うから。
これから、このような大災害が世界的に多発すると言われています。もしそうであるならば、日本の役割はさらに大きくなるはずです。救助活動、救援物資の提供・空輸、復旧活動、医療活動、技術提供・・・。特に復旧活動における住宅、道路、橋、土木等の整備には時間とお金と技術が要ります。また、荒れた田畑の再生や飲み水の浄化等のバイオ・ナノテク技術、伝染病を起こさないための医療技術等も提供しなければなりません。そのような貢献を可能とするためには、日本が国として「守るべきもの」、「育てるべきもの」を選択し(特に建設業界!)、そこに投資をしていくことが急がれます(今は、そのためのビジョンがないと思います)。
今年に入ってからというもの、日々の新聞やニュースのトップは、原油高、食料問題、鳥インフルエンザ、サイクロン、大地震、地球温暖化、生態系・・・。すべて自然界における現象です。ここまで原油価格が上がってくると、いよいよ化石燃料からの脱却が現実味を帯びてきます。ここまで食糧問題が切迫してくると、いよいよ減反政策の見直しが現実味を帯びてきます。つまり、随分前から、賢明な識者が危機感を持って訴え続けてきたことが、ようやく現実として理解される時代になってきた。もう遅いのか。いや、そうではないと思います。「気づいた時が、魂元年」・・・何でも、気づいた時がベストな時。遅すぎることも、早すぎることも無い。だから、日本も世界も、政治的な駆け引きをしながらでもいいから、得意技を出し合って協力していけばいい。その切り込み隊長役に日本がなって欲しいなぁと思います。
さて、丸二という会社は、人々が必要とする本物の技術を持っていて、それを社会に提供することを本業としています。そして、その技術が必要とされる時代が、そろそろやって来たようです。もう「とりあえず」の建築はやめよう。本当に根本的な部分に目を向けた建築を提供していこう。そのことだけに力を注いでいこう。地球環境が変化し、人々の意識も変わり始めています。人間は、ひとつのことに対する意識が変化すると、他のものを見る目も変化していきます。となると、建築に対するモノの見方も当然変わってくるでしょう。その時、必要とされる技術や商品を持っていて、世の中のお役に立てるかどうか・・・。私たちには、自信と共に使命感があります。
※CHANGE
スミス都へ行く(Mr. Smith Goes to Washington)
公開:1939年
製作:コロムビア・スタジオ
監督: フランク・キャプラ
脚本: シドニー・バックマン
撮影: ジョセフ・ウォーカー
音楽: ディミトリ・ティオムキン
出演: ジェームズ・スチュワート
木村拓也主演の政治ドラマ「CHANGE」がヒットしているようですが、このようなストーリーを見ると、古い映画「スミス都へ行く」を思い出します。田舎の青年政治家(若かりし頃のジェームズ・スチュワート)が、恩師の先輩政治家たちの腐敗を知り、それに立ち向かっていくというドラマで、深い問題提起をしながらも、とてもコミカルで楽しい映画でした(ぜひ、お薦めします!)。特にこの青年政治家が、国会で長時間しゃべり続けるシーンは、見ごたえがあったなぁ。たまには、こういう昔の名作を見るのもいいですね。最近の、すぐ人を殺したり、血が流れたり、恐怖心をあおったり、悲劇的な結末を見せたり、無表情・無彩色・無感動の映画やドラマよりも、ずっと楽しいですし、脳や精神にもよい影響があると思います。