


2008.07.01
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イタリアのフィレンツェにある「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)」に落書きをした日本人がいた!!ああ、何という恥・・・。フィレンツェの街を歩いていると、突如、信じられないほどの巨大な建造物が出現します。それが、この「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)」で、イタリア旅行のパンフレットやチラシには、必ずと言っていいほど、そのレンガ色のドーム屋根が美しい大聖堂が映っています。私も数回、その雄姿を目にしましたが、その巨大さを超えた圧倒的なエネルギーは、大げさではなく、この世のものとは思えないほどの存在感でした・・・。
そのような歴史的な建築物(3棟に分かれています)に、マジックで落書きをするとは・・・。唖然ですね。最近、ニュースを騒がせているような大事件と、今回の「(本人の意識では)ちょっとしたイタズラ」を天秤に掛けることはできませんが、「悪」という意味においては同じ重さかもしれません。日本人は、いよいよ「美意識」を失ってしまったのでしょうか。風景や街並みや田園の美しさを犠牲にして、経済的な豊かさばかりを追求してしまった結果、海外で平気で恥をさらす文化を造り上げてしまったのか・・・。政治や経済をめぐる様々な問題やトラブルに対しては、大いなる批判的精神を持ちながらも、その底流には基本的な相互理解というものが横たわっているものですが、このような低次元の悪事に対しては、そのようなものすら存在する余地はありません。このニュースは、(ある意味)近年最も日本人の評価を落としてしまった出来事になったのではないかと思います。
私がなぜそこまで言うかというと、本当にこの大聖堂は、見事で美しくて壮麗なのです。ただ、それだけです。でも、それ以上の説明が必要でしょうか。私は、「美しい」ということに畏敬の念を持つ感性だけは、一生失いたく無いと思います。今ある風景や現実を大切にし、できる限り美しい状態を維持したり、あるいは、より美しく改善していくことは、風景を共有する私たち人間の最も大切な義務だと思います。地球環境を論ずる前に、身の回りを汚さないことから始めなくてはなりません。相変わらず、東京の道端には、タバコの吸殻が落ちています。信じられないことです。
2008.06.23
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パソコンメーカーのアップル社を創業しながら、会社を追われた男、スティーブ・ジョブズが、再びアップル社に呼び戻され、iPodを世に出し、今は最強のCEOになった・・・。そういう壮絶なプロセスを描いた「スティーブ・ジョブズ/神の交渉力」(経済界)を読みました。私はアップルのパソコンを使ったことが無いですし、iPodも持っていないので、あまりアップル社のことについて詳しくは知りませんでしたが、これを読んで俄然興味が湧いてきました。どこに興味を持ったのかというと、スティーブ・ジョブズという類まれなる人物像です。
契約は守らない、部下はだます、功績は横取りする、仲間を裏切る・・・等は当たり前。とにかく、超が付くほどの自己中心的な人物。しかしながら、目的を達成するためには手段を選ばず、絶対にやり切る。そういう凄まじい力は、本当に神の域に達するのではないかとさえ思います。「出来ない理由」を言っただけで、その人は抹殺される。周りの人たちを、そういう恐怖のどん底に落としながらも、強烈な力で事を成していく。本当に、あきれるほど嫌なヤツだが、たいしたヤツ。
でも、実際の道のりは、失敗の連続。自分が作った会社を追われ、新しいビジネスも、もうギリギいっぱいのところまで追い詰められる。それでも、ジョブスが現在の「成功」を築きあげたのは、自分の「強み」だけを研ぎ澄ませたから。独りよがりで傲慢であるという弱点を、一切反省せず、直そうともせず、ただ得意なこと、強みだけを、尋常じゃないエネルギーで進化させて行った。その結果が、今ここにある。しかも彼は、膵臓ガンにもなりながら、それを克服していた・・・。
「人生で大きな決断を下す際にもっとも助けになったことは、もうすぐ死ぬといういうことを頭に入れておいたことだ。周囲の期待やプライド、または失敗や恥への恐怖は、死を前にすると消え去り、本当に大事なことだけが残る。自分の気持ちに従わない理由はない」
「もっとも重要なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことだ。心と直感は本当になりたい自分を知っている。それ以外のものなんて二のつぎだ」
本の最後の方に出ていた、この二つの彼の言葉は、私の心を強く打ちました。人間、本当に崖っぷちになった時に、はじめて自分自身の心と正直に向き合い、何をなすべきかが鮮やかに理解できる。それを実行するためには、少々の問題など二のつぎだ。成功者とは、きっと大なり小なり、そういうプロセスを経ているのでしょう。私の場合、このような強烈な傲慢さを長所としては持ってはいない(と思う・・・)ので、スタイルは全く違うと思いますが、「強みを生かすこと」、「心と直感に従うこと」は、強く共感できました。
もうひとつ、作者からの一言・・・「最後の最後まで土俵から降りないとき、突然、道が開ける」。ジュブズが証明したひとつの原理原則です。今の時代、ほとんどの人が、簡単に自ら土俵を降りていく。「賢明な判断だった」という耳障りの良い評価をもらって。でも、結局最後に勝つのは、ボロボロになりながらも最後まで土俵にいた人間。そういう忍耐力こそが、今の時代、今の社会、今の教育には必要なのかもしれません。結局、経営とは人生そのもの。これ以上、学べる環境は無いという事ですね。感謝です!!
2008.06.06
「チャンスだ!!」・・・世の中が混乱してきて、波風が立ち始めると、一見大変な状況に映って見えます。でもいつの時代でも、このような中からこそ新しい発想や技術や仕組が生まれてくるものです。そういう意味において、現在の経済や環境や社会の現状は、必然であり、次の時代へ移行するための必要なプロセスなのかもしれません。固定概念を外すには、いいチャンスです。
実際、ここ数ヶ月、中途採用の面接希望者が増えています。昨年来からのサブプライムローンの影響や地価の下落、原油高等によって、人の動きが出てきたからでしょう。まさに、優秀な人材との出会いのチャンス到来です。丸二の≪快適100年建築≫と≪美と夢と健康≫に共感し、共に信念を持って取り組んでくれる志高き仲間たちが増えることで、私たちのミッション(使命)は、さらに加速していくでしょう。だから、今はチャンス。最高の好機です。
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さて、「引き寄せの法則」ブームが続いています。私も数冊読みましたが、印象に残ったのは、「ザ・シークレット」、「引き寄せの法則-エイブラハムとの対話-」、「ザ・キー」の3冊でした。3冊とも言っていることは基本的に同じで、「あなたの人生に起きている事は、すべて自分自身が引き寄せている」ということです。人間が潜在意識の中で考えたり、イメージしたりしていることが、現実として起こる。つまり、「成功」をイメージして、信じて、それをすでに受け取ったかのような気持ちで日々を過ごしていると、それが現実となり、「失敗」をイメージして、信じて、それをすでに受け取ったかのような気持ちで日々を過ごしていると、それが現実となる。・・・と言う、極めてシンプルな法則です。ですから、殺人事件のニュースや超悲劇的な映画・ドラマばかりを見てはいけないのです。潜在意識の中に強くインプットされてしまうと、そういう現実(事件、悲劇)を引き寄せます。
風水科学とは、潜在意識の中に、「喜び」「楽しみ」「くつろぎ」「成功」をインプットするための場(環境)の設定技術です。実際、頭の中で「成功」をイメージし続けることは、そう簡単ではありません。でも、すでに「成功」がインストールされている場(環境)があれば、そこにいるだけで潜在意識の中に良い情報が流れてくるようになります。風水科学にはそういう自然科学的、大脳生理学的な裏づけがあるのです。大きな波風が吹き始めている今の時代において、自らを冷静に見つめながら、大局観を持って行動するためには、どうしても「成功」や「健康」「安全」「幸福」をイメージできる力が必要です。それがチャンスを引き寄せます。そのためには、まず場(環境)を整えることから始める必要があるのです。
でも、本当に最後の最後は、「信念」と「感謝」だと思います。何があっても、信念さえ持ち続けることが出来れば、その人の人生は「成功」だと思うのです。何があっても、感謝の心さえ持ち続けることが出来れば、その人の人生は「豊か」だと思うのです。この大変化の時代の流れの中で、自らの信念が揺らぐことはないのか、感謝の心を忘れることはないのか・・・そういうことを問われていく旅が始まりました。なかなか面白い旅になりそうです。こういう時代に生きてること自体が、ラッキーだと思います。
※感動の静寂
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クラウディオ・アバド(Claudio Abbado, 1933年6月26日 – )
アバドは、イタリア出身の指揮者で、前ベルリンフィルの芸術監督。2000年に胃がんで倒れたが、手術を受けて復活。ベルリン・フィル辞任後も、ルツェルン祝祭管弦楽団などを指揮している。
そのアバドが、2007年ルツェルン音楽祭にて、マーラーの交響曲第3番を振る映像をBSで見ました。それまでアバドという指揮者には、ほとんど興味を持っていなかったので、特に期待もしていなかったのですが、病気以前に比べて異常な痩せ方をしている姿にまずはビックリ・・・。と同時に、私が好きな最終楽章(ゆっくり、静かに、感情をこめて)の穏やかさに感動。最後の音が静かに消えた後も、会場はシーンと静まり返ったまま・・・。10秒から15秒という異常に長い静寂の時間が過ぎてから、湧き上がるような感動の大拍手が場内を包む。聴衆は、曲の素晴らしさと、演奏の見事さと、そしてベルリンフィル時代に厳しい評価を受けながらも辛抱をし続け、その後大病を患った後に、このように笑顔で復活してきたアバドという人物に対して、敬愛の大拍手を贈ったのでしょう。「信念」さえあれば、最後は何かをつかむもの。すごい人だと思いました。
2008.06.03
小さい時から読書が嫌いで、漫画以外の本一冊を読み切ることができなかった頃、ついに最後まで読破することが出来た最初の長編小説が、夏目漱石の「こころ」でした(確か高校時代)。それに気を良くして、夏目漱石の小説はほぼ全部読みました。でも、難しい字や意味の分からない文脈はドンドン飛ばして行ったと思うので、ただ何となくストーリーを追っただけかもしれません。ただそれでも、あの何とも言えない文章の奥底から感じられた独特の空気感や時代性、そして主人公のこころの動きや喪失感は、映画やテレビや漫画では到底味わうことのできない種類のものであるということを知りました。遺作の「明暗」も非常に長い小説で、しかも未完のまま終わるのですが、「ああ、ここで終わりなのか・・・」と思いながら、何度も最後の数頁をめくり直した記憶があります。
今、WOWWOWで市川崑監督特集をやっていて、映画「こころ」(白黒映画)を放映していました。そもそも夏目漱石の「こころ」が映画化になっていたとは知らず、しかも市川崑の監督作品だったというのも初耳で、少々ビックリしたのですが、これは見てみようと。感想としては、あの小説を映画にしてしまうと、こんなにシンプルで単調な物語だったのかと思うような印象で、ある程度想像はしていましたが、やはり夏目漱石の世界の映像化は難しいものだと感じました。それでも、主人公である「先生」のこころの苦しみは、現実の出来事として、共感できるものでした。
また最近、BS放送を見ていたら、とある日本のロックバンド(かな?)のライブをやっていて、何となく見ていたら、突然引き込まれるような感覚になって見入ってしまった・・・。と言うのも、どこかで聞いたことがあるような無いような曲を、男性ボーカルの人が強い思いを込めて歌い上げている。それがなかなか素晴らしい。ああ、なんていう曲だろう。誰の曲だったろう。このボーカルは誰だろう。なんていうバンドだろう。あとで番組表を見たら、バンドは「エレファントカシマシ」と分かりました。曲はこの人たちのオリジナルだろうか。いや、そんなことはないだろう。結構有名な曲のはずだ。と思って、ネットで調べたら、多分これだろうと分かりました。ユーミン(松任谷由美)の「翳りゆく部屋」。そう言えば、そうだ。何度か聞いたことがある。でもこんなに印象に残ったことは無い。と言うことは、この「エレファントカシマシ」がすごいのだろうか。ライブの他の曲を聞いても、詩が文学的だったり、激しかったり。多分、一般大衆的には受けない傾向のバンドだと思いますが、私はそういう方が好きです。
小説にしても音楽にしても、自分自身のこころを打つものと出会うと、無性に嬉しくなるものです。「それが何だ」「たかが小説じゃないか」「たかが音楽じゃないか」と言われることも多々ありますが、そういうものとの戯れが、私の人生の中の「ある部分」を支えているのも事実です。私たち、丸二が目指しているものも、実はこの「ある部分」に関わろうとしています。ただ(物理的に)建物を建てるだけではなく、そこに「人のこころ打つ何か」を含めていきたい。それは、受け取る側が感じる部分なので、必ずしも万人のこころを打つとは限らない。それでも尚、「人のこころ打つ何か」を模索して、ご提案をして行きたいのです。家を建てる、マンション経営を行う、リフォームをする・・・みんな大きなお金を使います。だからこそ、「モノ」+「こころ」の両面をバランス良く整え、ご縁をいただいた全てのお客様の人生の流れが良い方向へ流れるようにしたいのです。
私たちは、以上のような考え方や思いをお伝えするのが、まだまだうまくありません。でも愚直に続けていきます。日々1mmの前進です。
2008.05.30
6月に、ガソリン価格が170円の値を付けそうです。しかしながら、原油高騰の主因は投機資金によるものなので、この辺をピークに今後は下落してくると思われます。もしその通りになれば、それはそれで一安心ですが、今後も今のままエネルギーを原油だけに頼っていると、相手は相場ですから、そのたびに今回のような不安や混乱が起きてしまいます。一体どうしたものでしょうか。
かと言って、原発に向かうのは世界の流れと逆行ですし(原発積極派は、世界で米国と日本だけ!)、今度は環境問題や地域住民の生死に関わる不安と混乱が生じてしまいます。では、水力か、火力か、風力か・・・。結局堂々巡りになってしまい、とりあえず現状の原油で様子を見ていこう・・・に戻ってしまう。非常に悩ましい状況であることには変わりありません。
太陽光エネルギー、水素エネルギー、磁場エネルギー、超微粒子エネルギー等の新しい代替エネルギー開発も、随分前から企業や個人や研究者が積極的に行ってきていますが、すべてが投資になってしまうので、なかなか大きな影響力を与えるまでには至っていませんし、むしろ大変な苦労を背負ってしまっているケースの方が多いと思います。使命感を持って、社会のために取り組む人々を支えていくようなシステムがないと、国も地球も立ち行かなくなってしまうでしょう。素晴らしい技術を持っている優秀な研究者や民間企業は、たくさんあると思います。現在の「資本があるものだけが勝つ」という社会の仕組みに加えて、もうひとつ別の流れを付けて欲しい。やはり、そのための国家ビジョン(方向付け)が必要です。
建築の分野でも、ほとんどの業者が平気で建てている「寿命が短い建物」や、「エネルギーを大量に消費する住宅」や、「病気になりやすい室内環境」や、「街並みを乱すデザイン」などへの規制を強化せず、99.9%の業者が真面目に取り組んでいる「構造設計」に異常なまでの規制を掛けて、結果的に官製不況を招いてしまった。ああ・・・敵に向けて撃ったつもりの大砲が、味方を直撃してしまった・・・ぐらいのミスだと思います。まさに、行き当たりばったりで、ビジョンが無い。「寿命が短い建物」や、「エネルギーを大量に消費する住宅」や、「病気になりやすい室内環境」や、「街並みを乱すデザイン」などに対する規制を掛けたら、本当に良心的な建設業者と設計事務所だけが増えていくでしょう。そういう道筋をつくって欲しいものです。
ところで、姉歯事件では設計者も施工者も販売者も、みんな罰を受けました。購入者も大変な被害を受けました。当然、民間の建築確認検査会社も罰を受けました。しかしながら、その民間の建築確認検査会社以外にも、多くの特定行政庁(役所)が構造計算の偽装を見逃していました。それなのに、役所の方には何ひとつ罰は下らなかった・・・。これは一体、どうしてだろう。こんなに大事な確認検査業務を、なぜ(営利目的の)民間に投げてしまったのだろう。普通に出てくる疑問です。時が経って、冷静に物事を見つめ直すと、滑稽にまで見えてしまうほどの「珍解決」というものがあるものです。でもいずれ、正しい解決が行われると思います。
2008.05.29
中国:四川大地震の救援活動として、自衛隊が派遣されることになりそうです。この地震の被害は非常に大きく、できるだけ多くの手が必要とされる中で、このように日本が具体的な援助の手を差し伸べることができたとすれば、アジアにとっても有意義な一歩になるのではないでしょうか。もちろん、お互いに様々な思惑があるでしょうし、当然そう言われることもあるでしょう。でも、それでもなお、良いと思ったことはやっていく方がいい。これで、今後の中国との関係が「一変して良くなる」なんてことはあり得ないと思いますが、日本は「だからこそ」やる。むしろ「救援させていただく」という思いでやっていく。やるからには、それくらいの念を入れてやる。これが、日本が古来から持っているはずの「凄み」だと思うから。
これから、このような大災害が世界的に多発すると言われています。もしそうであるならば、日本の役割はさらに大きくなるはずです。救助活動、救援物資の提供・空輸、復旧活動、医療活動、技術提供・・・。特に復旧活動における住宅、道路、橋、土木等の整備には時間とお金と技術が要ります。また、荒れた田畑の再生や飲み水の浄化等のバイオ・ナノテク技術、伝染病を起こさないための医療技術等も提供しなければなりません。そのような貢献を可能とするためには、日本が国として「守るべきもの」、「育てるべきもの」を選択し(特に建設業界!)、そこに投資をしていくことが急がれます(今は、そのためのビジョンがないと思います)。
今年に入ってからというもの、日々の新聞やニュースのトップは、原油高、食料問題、鳥インフルエンザ、サイクロン、大地震、地球温暖化、生態系・・・。すべて自然界における現象です。ここまで原油価格が上がってくると、いよいよ化石燃料からの脱却が現実味を帯びてきます。ここまで食糧問題が切迫してくると、いよいよ減反政策の見直しが現実味を帯びてきます。つまり、随分前から、賢明な識者が危機感を持って訴え続けてきたことが、ようやく現実として理解される時代になってきた。もう遅いのか。いや、そうではないと思います。「気づいた時が、魂元年」・・・何でも、気づいた時がベストな時。遅すぎることも、早すぎることも無い。だから、日本も世界も、政治的な駆け引きをしながらでもいいから、得意技を出し合って協力していけばいい。その切り込み隊長役に日本がなって欲しいなぁと思います。
さて、丸二という会社は、人々が必要とする本物の技術を持っていて、それを社会に提供することを本業としています。そして、その技術が必要とされる時代が、そろそろやって来たようです。もう「とりあえず」の建築はやめよう。本当に根本的な部分に目を向けた建築を提供していこう。そのことだけに力を注いでいこう。地球環境が変化し、人々の意識も変わり始めています。人間は、ひとつのことに対する意識が変化すると、他のものを見る目も変化していきます。となると、建築に対するモノの見方も当然変わってくるでしょう。その時、必要とされる技術や商品を持っていて、世の中のお役に立てるかどうか・・・。私たちには、自信と共に使命感があります。
※CHANGE
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スミス都へ行く(Mr. Smith Goes to Washington)
公開:1939年
製作:コロムビア・スタジオ
監督: フランク・キャプラ
脚本: シドニー・バックマン
撮影: ジョセフ・ウォーカー
音楽: ディミトリ・ティオムキン
出演: ジェームズ・スチュワート
木村拓也主演の政治ドラマ「CHANGE」がヒットしているようですが、このようなストーリーを見ると、古い映画「スミス都へ行く」を思い出します。田舎の青年政治家(若かりし頃のジェームズ・スチュワート)が、恩師の先輩政治家たちの腐敗を知り、それに立ち向かっていくというドラマで、深い問題提起をしながらも、とてもコミカルで楽しい映画でした(ぜひ、お薦めします!)。特にこの青年政治家が、国会で長時間しゃべり続けるシーンは、見ごたえがあったなぁ。たまには、こういう昔の名作を見るのもいいですね。最近の、すぐ人を殺したり、血が流れたり、恐怖心をあおったり、悲劇的な結末を見せたり、無表情・無彩色・無感動の映画やドラマよりも、ずっと楽しいですし、脳や精神にもよい影響があると思います。
2008.05.20
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数日前の帰り道、何となくいつもの街並みと雰囲気が違うなぁと思ったら、「あっ、光だ」と気づきました。家の近くの商店街の街灯の光が、白い蛍光色から黄色い電球色に変わっていたのです。まるで昭和初期の頃のレトロな感じで、思わず写メを撮りました。光が変わるだけで、街並みの雰囲気も変わりますね。きっと人通りも多くなって、商売繁盛、より安全なストリートになるでしょう。
建築医学では、蛍光灯の白い光は、目にも悪く、顔色も悪く見えるので、できるだけ使わないようにしています。しかしながら国の省エネ対策の一環によって、これから白熱灯(電球)が無くなっていく方向のようなので、これからは電球色(黄色)の蛍光灯を使うようになると思います。光の色は、できるだけ黄色系が良いです。
黄色は、心理的に「夢」「希望」「コミュニケーション」を誘発させる働きがあるので、家の中のリビングやダイニングの壁やインテリアの色に使って、家族の楽しいコミュニケーションを生み出すことができます。間違っても、リビングにブルー系やグレー系を使ってはいけません。それは集中と排除を誘発させますから、会話が減り、人が集まらなくなります。逆に、子ども部屋はブルー系にすることで、学習への集中力が高まります。このように色には、それぞれ違う効果があるので、使い方次第でとても面白い住環境が設定できるのです。
日本中の街灯の光が黄色い電球色に変わったら、夜の街並みの風景は一変して、最近多発している犯罪も減るかもしれません。以前、「新横浜ラーメン博物館」に行った時や、浅田次郎原作の映画「地下鉄(メトロ)に乗って」を見た時や、そして大ヒット映画「ALWAYS~三丁目の夕日」を見た時に、常に感じていたのは、この光の違いでした。昔は蛍光灯が無く、電球の光だけで人々は暮らしていた。そこには、家族愛、近所付き合い、暖かい風情があった。今は、コンビニの強烈な白い蛍光灯の光で、街は殺気に満ちている・・・。
ところで、ロンドンのテムズ川にかかる「ブラックフライア・ブリッジ」は自殺の名所だったのですが、橋の色をそれまでの黒から緑(=癒し)に塗り替えたら、自殺者が約3分の1に減少したという報告があります。このように、色を活用した環境整備を積極的に活用していくことも、建築医学としての重要な取り組みだと思います。
2008.05.20
本当に大変な被害になってしまっている四川大地震とミャンマーのサイクロンですが、日本もいつ何時、このような大きな地震や台風に見舞われるか分かりません。TVで災害復旧活動の様子を見ても、本当に大変で、手も足も出ない状況が続いているようです。四川大地震の場合は、日本政府もすぐに救援の申し入れを行い、一度は断られたようでしたが、その後中国政府が初の外国の人的支援として受け入れを発表し、いま現地で活動中です。中国とは色々な問題が未解決なままですが、このような有事の時に力を合わせることができ、日本の対応も良かったと思います。今後、より多くの救援隊が行くことが出来れば、より貢献することができるでしょう。このように日本と言う国には、ちょっと大げさかもしれませんが、「愛」という概念があると感じます。それはどのような時代になっても、ふと目覚める。きっと、遺伝子の中にしっかりと刻まれているのでしょう。
さて、災害復旧活動の状態を見ていて思うのは、もし日本でこのような大災害が起きた場合、倒壊した家屋に穴を開けて人を救出したり、ふさがれている道路を人や車が通れるように復旧するのに、自衛隊や救援隊や消防隊だけでは、なかなか手が回らないだろうと言うことです。かと言って、ボランティアを待つわけにも行かない。とすると、結局頼れるのは地元の建設業者ではないかと思うのです。地域の住宅やマンションや道路を作っている建設関係の人たちが、手元にある工具や資材を重機を使って、地の利を活かして、少しでも早く対応していくことで、いくつかの生命を救えるかもしれない。また、その街や地域の復興のためにも、一番力になってくれる存在でもあります。これから災害が増えていく時代、建設業者の役割と必要性は、ますます高まっていくでしょう。だから私たちも、より深い愛を持って、地域に根ざしていきたいと思います。
2008.05.19
「美と夢と健康」の住環境づくりをマスターするために、私は日本建築医学協会理事長の松永修岳氏の勉強会に毎月のように通っています。この土日もタップリと色々なお話をお聞きしましたが、その中で思わずハッとさせられる言葉と出会うことが出来ました。それは・・・
欲望に「愛」を加えたら、「努力」に変わる
欲望に「感謝」を加えたら、「貢献」に変わる
人間は生きている以上、欲望からは逃げられない。否むしろ、欲望を全うするために生きている。ただ、欲望を自分だけの欲望のまま終わらせてはいけない。それでは意味が無い。欲望に愛を加えよ。そうすれば、欲望は努力に変わる。欲望に感謝を加えよ。そうすれば、欲望は貢献に変わる。欲望とは生きていくための肯定的なエネルギー。「無欲」とは、無欲になろうとする欲望だ。欲望が無ければ、人間は勉強もしないし、経験もしないし、成長もしない。自己を成長させ、社会に貢献しようとする欲望を持て・・・。
私たち丸二には、強い欲望があります。<快適100年建築>と<美と夢と健康>を世に広めていこうとする欲望。でも私たちは、ここに「感謝」を加えることによって、欲望のエネルギーを「貢献のエネルギー」に変えていたのかもしれません。本物の建築を世に広めていこうとする強い欲望を、良い方向へ中和させようとする働きがこそが「感謝」、つまり「ありがとうございます」だった・・・。今まで丸二が、様々な技術や工法を取り入れながらも、なぜかその技術や工法よりも上位の位置に、常に「ありがとうございます」を置いていたのには、そういう意味があったのでしょう・・・。丸二の「ありがとうございます」は、これからも社会貢献への強力なエネルギーとなるはずです。
だから、まず良い欲望を持つことなんですね。今の時代に最も必要な欲望は、「生きる欲望」。何があっても生きて、幸福なる。そういう強い希望を持って、日々を前向きに生き、楽しみながら、様々な経験を重ねていく。そしてそこに、「愛」・「感謝」を加える。その先に、本当の豊かさが見えてくるのでしょう。これからも丸二は、「ありがとうございます」を大切にして行きたいと思います。
※西洋音楽
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フィレンツェのドゥオモ大聖堂(イタリア)
日本人なのに、なぜクラシック音楽が好きなんだろう・・・と、たまに思うことがあります。ヨーロッパに行った時も、とにかく嬉しい、楽しい、ワクワク、懐かしいという感覚ばかりで、何もしなくても、その街をブラブラ散歩しているだけで、最高の幸福感を感じてしまう。特にドイツ、オーストリア、イタリアでは、そこにいるだけで異常なテンションになってしまった・・・。
ところで、話はガラッと変わって、聖徳太子の十七条憲法の第一条は、「和を持って貴しと為す」ですが、どうして「和を大事にせよ」なんて、当たり前のことを第一条にしたのでしょう。もしかしたら、よっぽど国内に「和」がなくて、乱れていたのかもしれないと勘ぐってしまいます。でも単一民族の日本は、元々「和の精神」や「和の文化」が育っていたというイメージがありますよね。一体、何が本当なんでしょう。
色々な本を読むと、聖徳太子は存在しなかったとか、暗殺され怨霊となったとか、その頃の日本にはすでに多くの渡来人が来ていて、日本は実際は様々な人種が混血して出来ていたとか、その渡来人には秦氏という家系があって、そのルーツは「古代イスラエルの失われた十部族」だったとか・・・。とすると、すでに聖徳太子の時代では、中東や西洋の人たちが東方を目指し、中国、インド、朝鮮を経由して、日本にたくさんやって来ていたのかもしれません。だから、「和を持って貴しと為す」だったのかもしれない・・・。確かに、伊勢神宮には、イスラエルのダビデの星がありますし、広隆寺には「いさら井」と呼ばれる井戸があるそうですが、「イサライ」とはアラム語で「イエスはわが羊飼い」という意味だそうですし、稲荷神社は、イエスを意味する「INRI」の当て字らしいです・・・。真偽はよく分かりませんが、なかなか面白いミステリーです。
と言うことで、日本人である私がクラシック音楽が好きでも、別におかしくは無いということが(誠に勝手な理屈ですが)証明できます。もし日本人の祖先に、中東や西洋やアジアの人たちの血が混じっていたとしたら、まさに世界中の文化や歴史を引き継いでいるのが日本人と言えるからです。結婚式は神式や教会、葬式はお寺。お盆があって、お祭りがあって、バレンタインデーやクリスマスも平気で楽しむ。だから、西洋音楽が好きなのが出てきても、おかしくないということ。さて・・・どうでしょうか。
2008.05.16
3分の2条項の乱用が続いてます。1月の「新テロ特措法」、4月の「ガソリン税の暫定税率維持を盛り込んだ租税特別措置法改正案」、そして5月の「道路特定財源を10年間維持する道路整備財源特例法改正案」・・・すべて、与党など3分の2以上の賛成多数で再可決されました。しかしながら、この3分の2を得たのは、3年前の郵政選挙であり、「郵政民営化に賛成か反対か」という、(言い方は悪いですが)一種のアンケート結果によってでした。その後、昨年の参議院選挙で、与党は惨敗しました。
『現在、衆議院で3分の2を得ているが、直近の国政選挙において、与党は負けた。ならば、現在の国民の声は、3年前とは打って変わり、与党を厳しく批判していると見なくてはならない。よって、参議院の結果を「国民の声」として重く受け止め、その考え方を深く受け入れていく必要がある。よって、国民の声を無視する結果となるであろう「3分の2条項」の使用は、「禁じ手」とし、絶対に使わない。その上で、お互いに徹底議論をしていこう。もし、それが暗礁に乗り上げたら解散総選挙を行い、今一度、国民の審を問い、勝った側が正々堂々と政策を全うしていけば良い』・・・こういう決断を、前首相と現首相にはして欲しかった。
今の状況で、3分の2条項を使うことは、一種の独裁政治のようなものだと、素人ながら思うのです。「ルールどおりだ。何が悪い」という考え方もできると思いますが、必ずしもルールは万能ではありません。人間は基本的なルールの上に立って、本来の役割を果たしていくことが大切だと思います。・・・今思い出しましたが、昔こういうことがありました。
1984年のロサンゼルスオリンピックで、山下泰裕選手は軸足右ふくらはぎに肉離れを起こしてしまった。しかしながら、決勝で当たったエジプトのモハメド・ラシュワン選手は、山下選手の右足を狙わずに戦った。結果は、山下選手の金メダルだったが、皆はモハメド・ラシュワン選手のフェアプレーを称えた。
「ルールを守れば、何をやってもいい」・・・こういう考え方を「卑しい」とする文化が、かつての日本には(もちろん世界にも)ありました。今は、政治がこういう状況です。子どもたちの精神への影響の方が、むしろ心配です。
※独裁の末路
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ヒトラー~最期の12日間~
製作年 2004年
製作国 イタリア ドイツ
原題 DER UNTERGANG
時間 155分
監督 オリヴァー・ヒルシュビーゲル
ヒトラーと側近たちの最後の12日間を描いた映画。ヒトラーも側近も、最後は自ら命を絶つわけですが、ある側近の夫婦の場合、自分たちの3人のカワイイ小さな子どもたちに、寝る前に(うまく、ごまかして)睡眠薬を飲ませ、寝静まったのを見計らって、子どもたち一人ひとりの口の中に錠剤を入れ、(頭とアゴを両手で挟み、力を入れて)噛ませる。子どもたちは、そのまま静かに亡くなる。その後、2人は拳銃で・・・。かつての独裁政治の末路はこうだったし、そうであるべきだった。と同時に、そういう「覚悟」も持っていた・・・。もう、こういう時代に戻っては行けないですね。