MARUNIの社長ブログ

お伊勢参り

2017年3月 5日

2月の末にお伊勢参りに行かせていただきました。前回の伊勢神宮参拝は3年前、会社の創立60周年記念で(その翌年に)社員全員で参りましたが、今回は妻と二人です。朝早く近鉄名古屋駅を出て、伊勢市駅で下車。そのまま歩いて外宮まで行きました。外宮は内宮に比べて参拝者の数は少ないですが、非常に神秘的な森の中に在り、けれどもとても明るい光を感じさせます(上空から巨人に見られているような感覚です)。今回は特別参拝(御垣内参拝)をさせていただきました。御正宮の参拝後は、反対側の小さな山の上へと続く階段を登って(重要なお宮と言われている)多賀宮を参拝。後はゆっくり歩きながら、伊勢市駅まで戻りました。普通ならそのまま(バス等で)内宮へ向かうコースですが、今回は時間があったので、また電車に乗って(少し遠い)伊雑宮まで行きました。

伊勢市駅からさらに賢島方面へと下り、上之郷という小さな無人駅で降ります。そこまでの電車は二両編成のワンマン電車。駅員がいないため、切符は電車内の回収箱に入れてから下車します。そのようにして(誰もいない)上之郷駅を降り、普通の民家の間の小道を3分ほど歩くと、小さなお宮が在りました。そこが伊雑宮です(内宮の別宮です)。いろいろな識者や専門家のお話によると、全125社ある伊勢神宮の中で(内宮・外宮はもちろんですが)伊雑宮は最も重要なお宮とのこと。そのようなことを知り、確か10年程前(夏頃)の伊勢参りの際にも一人で来たことがあり、その時の印象がとても良く、また今回も参りました。本当に小さなお宮なので、参拝者の数も2~3人ほど。けれどもその森の参道の奥に在る御正宮の回りには、暖かな光のシャワーと鳥のさえずりが集まっていて、何とも言えない(原始的な)静寂空間でした。参拝を終え、隣にある御神田も観ました(此処で伊雑宮に奉納する米の田植えを毎年6月に行なう御田植式は、香取神宮・住吉大社とあわせて日本三大御田植祭とのことです)。

再び上之郷駅に戻り、一時間に二本の各駅停車に乗ってゴトゴトと上り、今度は五十鈴川駅で下車。タクシーに乗って内宮まで行きました。特に特別な行事の無い平日にも関わらず、やはり内宮の賑わいは凄かったです。駐車場を待つ車の渋滞もありました。此処で時間が正午を過ぎていたので、おかげ横丁でお昼を食べ、そしていよいよ内宮へ。あの有名な木造の長い橋(宇治橋)を渡り、玉砂利の参道を行きます。内宮は「右側通行」と書いてあり、皆、参道の右端を歩いて行きます(確か外宮は「左側通行」と聞いたことがあります)。外宮も内宮も参拝者の多くが、参道の端を歩くことや鳥居の下で(立ち止まって)一礼をすること等をごく自然に行っていました。他に気を付けるマナーとしては・・・御神木に手を触れない、石等を持ち帰らない、写真は正殿の正面からは撮らない、きちんとした服装でお参りする等があり、決して不敬にならないように神経を使います。決して観光気分では歩けない参道です。

御正宮への石段を一段一段と上がり、内宮も特別参拝(御垣内参拝)をさせていただきました。外宮も内宮も御垣内に入っての参拝は本当に緊張します。その瞬間まるで太古の日本へとワープしたかのような感覚がします。そして参拝後は御神楽を上げていただきました。雅楽の太古の響きにはいつも「厳しさ」を感じます。日常の人間同士の甘えとは程遠い世界が在り、身の引き締まる思いがしました。このようにして外宮~伊雑宮~内宮にて、それぞれの御札をいただき、そのまま真っ直ぐ帰路に着き、翌朝には自宅と会社の神棚に新しい御札をお祀りさせていただきました。ここで(やっと)ほっと一息です。古い御札を持って出かけて、新しい御札を持って帰り、新たにお祀りするまでの間(無意識にですが)ずっと緊張していたように思います。これがきっと伊勢神宮なのでしょう・・・。また来年以降も御礼参りに行けるよう、この日々を懸命に歩んで行きたいと思います。そして会社の創立70周年(2023年)の際は、また社員全員でお参りに行きたいと思います。確かもうその頃は・・・新しい天皇の時代、新しい元号の時代なのですね。次の式年遷宮に向けての神事もどんどん進んでいる事でしょう。さあ、新しい日本の風が吹く時代へ行きましょう。きっと素晴らしい時代に成ると信じて!!

本音の時代

2017年2月 2日

米国はトランプ大統領が連発している大量の大統領令によって大混乱の様相です。アメリカの混乱は世界の混乱でもあり、まさに全世界がトランプ大統領の毎日の動向、言動に注視していると思われます。日本は(落ち着いて)静観の構えで行くと思いますが、混乱や混沌の中にこそ大いなるチャンスが潜んでいると思います。その好機を掴めるかどうか・・・。いよいよ不安と期待の入り混じった2017年がスタートです。今年は日本にとっても米国にとっても、そして世界にとっても非常に大きな分水嶺の年に成ると思います。

それはトランプ大統領の出現により、今までずっと眠っていた「本音」「本心」という巨大なエネルギーが、あらゆる国や企業や個人の中から堰を切ったように溢れ出すのではないかと思うからです。そういう意味では、全く予測不能な時代が始まったと言えます。お互いが自分の本音、本心、都合を優先させて行くという実に怖い時代です。今までの常識や想定、歯止めも効かなく成って行くのでしょう。このようにして不確定要素がどんどん増えて行けば、あらゆる予測も当たらなく成って来ると思います。そのような時代は、とにかく本質的な部分に意識を向け、日々「1mmの前進」を続けて行くことしか無いと考えます。

けれどもその一方では、その国、その企業、その個人の本当の考え方が解る(解ってしまう)時代に成る訳で、良い考えの国や企業や個人にとっては、何も心配は無く、むしろやっと光の当たる機会に恵まれて来るのではないかと思います。逆に、悪い考え方の国や企業や個人は、その正体が白日の下に晒されることに成るでしょう。そういう意味においては、確かに怖い時代であることに間違い無いのですが、日本の立ち位置は決して悪くは無いと思います。未だに様々な問題が山積していますが、それでも今の日本は(他国に比べれば)清らかな国柄を持っているはずです。先ずはその現状に対し、素直に感謝することが一番大事だと思います。その総和の力が日本をさらに底上げして行くと信じます。

国内では、大相撲の稀勢の里が横綱に昇進し、1998年の若乃花以来、19年ぶりの日本出身横綱が誕生しました(日本人横綱不在期間としては14年)。そのニュースを聞いた時、十数年もの間、日本人横綱が不在だったことにあらためて気が付きました。同時にその十数年間と日本の苦境の十数年間との関連性を考えました。今に成って思い出すのは、あの2011年の年明け、大相撲の八百長問題が発覚、その年の春場所開催の中止、伊勢神宮奉納相撲の中止・・・その直後の東日本大震災です。

日本の国技である大相撲は(所謂)スポーツではなく「神事」とされています。横綱になる力士には(その地位に相応しい)品格が要求され、神の依り代として見なされます。よって稀勢の里は、「横綱の名に恥じぬよう精進いたします」と述べたのでしょう。日本人横綱が不在だった日本、神事を止めてしまった日本・・・此処に日本の苦境の影のひとかけらが見えたような気がします。まだその実力や勝負強さに対する不安要素はある様ですが、2017年の年初に横綱稀勢の里が誕生して、此処に小さな光明が射して来たと思います。これが日本の気勢が上がる道につながって行けばと期待します。

もし品格と云う言葉で測るとしたら、今の日米対決は日本の勝ちでしょう。まるでコインの裏表のような両極端の関係です。でもなぜかこの陰と陽の組み合わせが不思議な相性を生み出しているような気もします。かつては敵国同士でありながら、今や(良くも悪くも)お互いに切っても切れない関係性を持ち、重大な何かを補完し合っている様に感じます。

戦後の世界は、何と言ってもアメリカの時代でした。けれども日本という国が存在しなければ、アメリカの発展も無かったはずです。トランプ大統領が「アメリカ・ファースト」に徹し、世界の盟主の座から降りるのであれば、世界の基軸が(今までの)物金から品格へと移行するのではないでしょうか。それは日米の攻守交替です。二国の関係は(表向きは変わらなくとも)日本の品格が米国を支える時代に成ると思います。それは同時に世界を支える道です。私たち日本人の責任が重大に成って来ました。


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※映画「沈黙-サイレンス」

先日、妻と映画「沈黙-サイレンス」を観に行きました。原作は遠藤周作、監督は巨匠マーティン・スコセッシですから、大いに興味が湧きます。江戸時代初期のキリシタンへの弾圧をポルトガル人宣教師の目から見た物語で、非常に重苦しく、深く考えさせられるテーマでした。遠藤周作自身、家がカトリックであり、カトリックの洗礼を受けている為、キリシタン側の苦しい思いがひしひしと伝わりました。同時に「日本にキリスト教を入れない」とする徳川幕府の毅然とした態度の意味をも考える機会に成りました。そして時代は流れ、現在は難民問題が世界的な問題と成っています。難民を受け入れるべきかどうか。此処にまた大きな歴史的な分水嶺がやって来ています。

歴史の積み重ね

2017年1月19日

2017年(平成29年)、良く晴れた素晴らしいお正月も終わり、早くも半月が過ぎました。最近のニュースでは、天皇陛下の譲位に伴い、平成31年1月1日から新元号に成るとの報道が気に成りますが、前回の昭和64年の際の(当時の)小渕官房長官が「平成」という文字を発表した瞬間が脳裏に蘇ります。今上天皇にはもっともっと長く・・・という思いがあるのですが、(同時に)毎日の(日本と国民の幸せを心から願う)神事の激務を考えると、唯々「ありがたい・・・」という思いだけです。

昭和から平成へ・・・そして次の時代へ。日本の平成時代は戦争の無い時代でした。そして次の時代においても、戦争の無い、物質的な豊かさと精神的な豊かさが共存できるような時代に成ることを期待しています。日本が中心になって、世界の平和を実現して欲しいと思います。そういう意味では、昭和時代と平成時代の集大成に成るのではないでしょうか。その為には、私たち日本人一人ひとりが、人間的な成長を遂げていくことしか無いと思います。私は、皇太子様とほぼ同世代です。天皇陛下と同世代を生きるとは、ある意味、時代に対する責任を共有する意識を感じます。次の元号の時代を素晴らしい時代にして行きたいと思います。

一方、外国ではテロが多発しています。いよいよ明日米国大統領に就任するトランプ氏の発言や言動にも、いろいろな意味で緊張感が走ります。年末年始、NHKの「ヨーロッパ鉄道の旅」という番組を観ましたが、あんなに美しくて、長閑で、歴史ある場所で、人々が幸せそうに暮らしている様に見えるのに、実際には経済は低迷し、治安は悪化し、不安の日々を送っているという現実との乖離がなかなか理解できません。確かにヨーロッパは戦争の歴史です。EUが上手く行かないのも、そのような土地の持つ因果があるのかも知れません。あんなに天国のような美しい景観の中で暮らしているのに、苦しみと不安が増している・・・。一方、日本の都会はコンクリートジャングルなのに、それでも(相対的には)平和に安全に生活が出来ている。このギャップは一体何だろうか。やはり目に見えない世界では、逆の様相(因果)があるのかも知れません。

昨年の大晦日は、家族と紅白歌合戦(部分部分)を見ました。視聴率が一番のテーマの様で、いろいろな趣向や演出を凝らしていましたが、個人的にはかつてのNHKらしく、生真面目に「歌合戦」のみに集中して欲しいなという印象を持ちました。民放とは違う価値がそこにはあるからです。いろいろな企画や演出に時間や労力を掛けるよりも、一人でも多くの歌手の歌を聴かせて欲しいからです。無名でも良いので、NHKが評価する素晴らしい歌手、素晴らしい歌をもっと紹介して欲しい。一年の最後に(静粛な気持ちで)日本の歌を思い出す・・・何かそのような文化こそが、かつての日本の発展を陰から支えていたのではないでしょうか。日本の価値とは、目には見えない面の方が強いと思います。ヨーロッパの様に、目に見える美しい風景や街並みとは全く別物の「風」の様なものです。その風を吹かせ続けて行くことが大事だと思いました。

紅白に関しては、人気グループのSMAP問題もありました。でも25年もの間、第一線の有名グループとして活動し続けて来たことに対する尊敬心の方が勝ります。これは本当に大変なことだったと思います。内部の人間関係もある様ですが、時間が過ぎればまた変わるのでしょう。全ては「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」です。私が好きな日本のロックバンド「エレファントカシマシ」は、今年でデビュー30周年です。最初から同じメンバー(同級生)のままで30年とは、これも大変なことだと思います。今年も武道館で新春ライブがあり、妻と行ってきましたが、50歳なのに物凄いパワーでした。此処に「続けて行くこと」「積み重ね」の凄みがありました。これが歴史というものなのでしょう。日本の皇室が2677年(途切れずに)続いていることと、(他国よりも)平和と安心が持続していることは、決して無関係では無いと思います。今年も一年、日本も、個人も、歴史の積み重ねを続けて行くこと。そのような風を吹かせて行きたいと思います。今年も何卒よろしくお願いいたします。


※溝口健二監督の映画「残菊物語(1939)」「祇園囃子(1953)」

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最近DVD等で溝口健二の有名な二作「残菊物語」と「祇園囃子」を鑑賞しました。今までに見た溝口作品は「雨月物語」「近松物語」「山椒大夫」「祇園の姉妹」「赤線地帯」で、どれも全て本当に素晴らしかったのですが、今回の二作はさらに良くとても驚きました。今から60~70年以上も昔の映画なのに、その感動を言葉で表現できません。やはり私が好きな日本の映画監督は溝口健二です。この人の作品の中に流れている芸術性と精神性に心が震えます。そして、どの作品にも幽玄さが潜んでいます。黒沢明や小津安二郎に比べて決してメジャーではありませんが、多くの日本人に観て欲しい。あらゆるものに迎合しない、極致の世界を感じます。

情緒と1mmの前進

2016年12月29日

昨日12月28日、無事に会社の納会を終えることが出来ました。これもお客様や関係者、地域の皆様のおかげです。今年も本当にありがとうございました。この一年の世の中全体を振り返ってみると、個別の様々な出来事がありましたが、大きな視点で見れば(あくまで相対的にですが・・・)日本の地位(存在感)が増した一年だった様に感じています。確かに日本国内では様々な厳しい問題が山積していますが、諸外国の切迫した情勢と比較すれば、それでもまだ幸運と思うのです。広島と真珠湾に日米の首脳が降り立ったことも(様々な評価や異論はありますが)素直に心が震える思いでした。同時に、一つの大きな時代の終わりと始まりを感じました。仮にこれからどんどん世界全体の流れが悪化して行くとしても、日本には徐々に日が昇り、その明るい光によって、また世界全体に明かりが灯る日が来るだろうと。なんとなく、私たちはそのような時代を生きているように感じます。

いずれにしても此処からは(どこでも)「順流」と「逆流」の両方の流れが(同時並行的に)行き交う時代に成るのではないでしょうか。そのどちらの流れに乗って行くかは、個々の国家、個々の会社、個々の個人で違って来る様な気がします。要は「何を大切に生きていくか」によって決まって来るのでしょう。そして日本人の大半が「順流」を選択して行けるのではと思います。いろいろな問題や事件が後を絶ちませんが、日本人の持つ不思議な「情緒性」によって、最後は理屈を超えた大きな力を呼び込むものと信じるからです。情緒とは目に見えるものではありませんが、間違いなく(古来より)日本人の心の中に宿り続けているものです。それは要するに、良心の放つ温かさではないでしょうか。今の日本に生まれたことへの感謝、今此処に生きている(生かされている)幸せへの感謝が、私たち日本人の情緒の力をさらに光輝かせると確信します。

会社に宿る情緒のことを社風と言います。これも理屈を超えた空気の様なものです。長く続く会社、最後に残る会社には、必ず「良い社風」と云う究極の財産(金塊)が在ります。良い社風を造るとは良い人を造ることです。それには膨大な時間と手間暇が掛かるでしょう。そしてまた、いかなる時流の中でもその歩みを止めてはいけません。結局のところ、人造りとは思想哲学なのだと思います。目に見える業績に(即効性をもって)直結しないが故に、その継続には大きな価値と評価が発生します。私たち丸二も、そのような素晴らしい社風造りを目指して歩んでいる真最中です。来年も(まだまだ遠い理想に向かって)一歩一歩、この道を歩いて行きたいと思います。

大切なことは、日々1mmの前進を続けて行くことです。他者との競争など全く関係なく、ただ自分自身(良心)との「同行二人」です。昨日よりも今日、今日よりも明日、1mmで良いから前進して行こう。成長して行こう。一気に10mや100m行って、そこで止まって胡坐をかくのではなく、毎日少しずつ(ゆっくり)でも良いから、真っ直ぐに(止まらずに)歩んで行こう・・・。丸二には、「1mmの前進」と云う合言葉があります。毎日ほんの少しで良いから人間的に成長して行く、技術的に成長して行く。この日々の1mmの蓄積こそが、後に大きな金塊に育つと思うからです。良き人が良き社風を造り、良き社風が良き現場、良き建築を創造する。その日々日常の私たちの道標が「1mmの前進」です。

最近、丸二の現場の仮囲に掲示中の標語看板を見て、お客様や地域の方々から色々なお言葉をいただく様に成りました。標語看板とは、丸二の(いくつかの)合言葉を書いた看板です。例えば、「日々、1mmの前進」「迷ったら、良心に問う」「現場は心の映し鏡」等です。特に「1mmの前進」に対しては、「なぜ1mmなの?」とか「ラグビーの思想と同じだね」とか「前進という言葉、大好きです」とか、とても多くのお声を頂戴するように成りました。このようなコミュケーションを通じて、私たちの理念とお客様の理念とが「同心円」に成るような気がして・・・そのことがとても嬉しいのです。

「現場は心の映し鏡」とは、建物を造る監督や職人さんたちの「心の状態」が、そのまま「現場の状態」に現れるという意味です。つまり、心が明るく清らかであれば、現場もキレイということです。逆に言うと、現場が汚いのは監督の心が・・・と成ってしまいます。そのような厳しい価値観を持つことで、私たちは自らの心を磨き、現場を磨く努力を日々行っています。なぜならば、素晴らしい建物の現場は(間違いなく)「キレイ」だからです。このような価値観も(ある意味)日本人的な情緒に由来していると思います。来年もこのような合言葉を目指し、日々1mmの前進を続けて参りますので、何卒よろしくお願いいたします。本当にありがとうございます。
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※映画「モダン・タイムス」(1936年)

久しぶりにチャップリン映画をDVDで鑑賞。チャップリンの映画の中では「街の灯」が一番好きなのですが、今回「モダン・タイムス」を数十年ぶりに観て、「これもこんなに面白かったのか!」とちょっと驚きました。製作当時は資本主義を批判する映画として問題になった様ですが、今に成ってみると、チャップリンはそのもっともっと先、つまり(21世紀の)資本主義の果ての世界を「視ていた」のではないかと感じました。確かに今の時代、資本主義による多くの弊害が起きています。世界平和も実現していません。貧困と格差も未解決です。そしてなかなか「次の世界」も見えて来ません。では一体どうするべきなのか・・・。その答えをチャップリンはこの映画で(既に)描いていました。

結論は、笑顔で歩いて行くこと・・・ただそれだけ。映画「モダン・タイムス」のラストシーンで、チャップリンと少女が歩き出す際、チャップリンは悲壮な顔をしている少女に向かって、「笑顔で」と(言葉ではなく)表情と仕草で教えます。そして二人は笑顔になって、真っ直ぐに伸びた一本道を(手を繋いで)歩いて行きます。どんな時代でも困難と苦労は無くならない。外側の世界に理想的なユートピアなど存在しない。だから自らの中にユートピアを置こう。どんな時でも笑顔で歩いて行く。自らの良心と手を繋いで(同行二人で)歩いて行く。社会への批判ではなく、自ずから歩み進むのだ。歩け、歩け、笑顔で歩け・・・。世界を変えるとは、自分の内側を変えることだと、チャップリンの映画から学ぶことが出来ました。ちなみに、私のチャップリン映画のベストは、「街の灯」「モダン・タイムス」「ライムライト」です。


今月は米国大統領にトランプ氏が決まり、いろいろな意味で衝撃の走ったひと月でした。国内でも博多の道路陥没という(前代未聞の)大事故が発生しましたが、幸いにして怪我人はゼロ(更には)たった一週間での完全復旧と、その対応力の凄さに素直に驚きました。日本は確かにいろいろな問題がありますが、なんとかして乗り越えられるパワーを持っていると感じます。逆に言うと今、表に現れて来ている課題の1つ1つに対して(隠さずに)誠実に対応さえして行けば、きっと道は拓けて来ると思います。

豊洲の盛り土問題にしても、東京オリンピックの多額な開催費用にしても、所謂「ブラックボックス」を破壊したことで、(確かに)一時的な大トラブルの発生中ではありますが、そこへ「光」を当てたことによって、きっと物事は(思い掛けない)良い方向へ収斂して行くと思います。結果として、「見えない部分を明らかにして良かった!」と成ると思います。その答えが見えて来るまでの間は苦しいですが、きっと時間が解決してくれると信じます。

盛り土の問題、道路陥没の問題、そして(少し前の)傾斜マンションの問題等は全て、「目には見えない地下(基礎)」の由来する事象でした。私たちはこうして(目には見えない)反対側へと光を当てることで(もちろん様々な不都合が生じますが)、それによって大いなる飛躍への一歩が発生するのではないかと期待します。米国もトランプ氏のような破壊力のある異端が現れたことで、今まで抑え込まれていた(隠されていた)鬱屈したエネルギーがきっと表面に出て来るのでしょう。それはそれで(今までの)体制側にとっては大変困ったことかも知れませんが、飛躍へのために必要なプロセスになると思います。

トランプ勝利の一報を聞いた時は、ある種の衝撃と共に、今後の日米関係に対する不安と恐れが走りましたが、その直後、真っ先に日本の首相が面談し、個人的な人間関係を結んだことで、先ずはほっと、安心感が出てきました。今後の防衛に関することも、日本にとっては、真剣かつ現実的に「国(国民)を守ること」を考えられる良い機会になるかも知れません。TPPの問題、ロシアとの関係構築等、当面の様々な国際的な課題がありますが、その中できっと日本が主導権を握る可能性を感じます。本当に何か(危機)が起きた時の日本の対応力、団結力は、圧倒的と思うからです。

国内経済も、2020年の東京オリンピック後への不安もありますが、むしろオリンピック以後、本当の日本の隆盛が始まるような気もします。地球上にこんなに安全で、安心で、優しくて、思いやりがあって、四季折々の豊かな自然がある国が他にあるだろうか・・・と、世界が知る機会と成れば、2020年以後からの観光立国への道が拓けて行きます。都会も田舎も、文化も歴史も、そして何よりも人間性そのものが観光資源です。

結局、全ての物事には「見える面」と「見えない面」があり、この「見えない面」こそが大事であるという「物の道理」が、この世界を貫く軸に成ったのだと思います。見えない基礎(工事)がいい加減であれば、その悪事は必ず表に出て来る時代です。でもその悪事が表に出たことによって、状況は(逆に)良い方向へ変わって行くはずです。

人間も同様で、「見える面」の前に「見えない面」、つまり「人間性」という基礎の部分への意識を持って、そこに光を当てて行く時代に成ったのではないでしょうか。目には見えない「人間性」のリーディング・カントリーが我が国日本だと思います。そのようなプライドを持って、21世紀を素晴らしい世紀にして行きたいと思います。何か・・・世界の流れが一変する気運を感じます。そこには危機感と期待感があります。この目で「歴史」を見てやろうと思います。


※ゴッホとゴーギャン展

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先日、妻と「ゴッホとゴーギャン展」を観に行きました。あまり絵には詳しくないので、ゴッホとゴーギャンが南仏アルルで共同生活をしていたことも知らず、ただ気楽に鑑賞したのですが、この二人の違いは、「目に見える世界」を描いたゴッホと、「目に見えない世界」を描いたゴーギャンとの対比でした。目に見えない世界までを描いたゴーギャンの絵は、とてもエキゾチックで、幻想的で、大変な迫力を感じました。一方ゴッホは、目に見える世界(風景や自画像)をそのまま描いているのですが、私たち一般人の目に映る普通の風景とは何か違っていて、全ての光や色や形が(渦の様に)グルグルと揺れていました。

ゴーギャンの場合は、(実際には)目の前に存在しない「何か」を絵の中に(意図的に)描いたのだと思います。でもゴッホの場合、「彼の眼には、本当に彼が描いた絵の様に(全てが揺れて)見えていたのではないか」とも言われています。だから「自分の眼に目えたものを、そのまま描いた」のは、確かにその通りだと。

芸術的な優劣は全く分かりませんが、ゴーギャンが長生きし、ゴッホが自死したことを考えると(生き方として)ゴーギャンの方が健全だったことが分かります。でももし(本当に)「ゴッホの眼には、全てが(彼が描いた絵の様に)グルグルと揺れて見えていた」としたら、正常な精神を保ち続けることは難しかったと思います。いずれにしても、見える世界と見えない世界の不思議なバランスが、芸術を生み、人生を生み、この世界を創っているのだと感じました。


国際オリンピック委員会(IOC)会長のバッハ氏が来日し、小池都知事と会談を行いました。東京オリンピック開催に関わるコスト削減に積極的に協力して行くとの事です。オリンピック開催に関わるコスト削減は(東京大会のみならず)今後の大きな課題です。今回の2020年東京大会を機に開催国(開催地)の負担軽減への新たな道筋が生まれれば、これも1つの成果と成るでしょう。財政が豊かとされる東京都でさえも、オリンピック経費の負担が重い時代です。バッハ会長と小池都知事、そして日本政府が今後の新しいオリンピック概念を打ち出してくれることに期待します。

同時に、東京オリンピックや豊洲問題に関する闇(ブラックボックス)の部分の解明についても、決して手を緩めず、全てを明るみに照らし出して欲しいと思います。そう成れば、この潮流は東京から日本全体へ、そして世界へと広がって行くに違いありません。今、東京で起きている事が世界の雛形と成り、社会の浄化作業が始まるかも知れません。恥ずかしながら、先ずは東京から膿(生み)出しです。

ところでバッハ会長の名前ですが、(残念ながら)あの音楽の父ヨハン・セバスチャン・.バッハの血筋とは違う様です。バッハとは「小川」を語源とする、ドイツにはよくある苗字とのこと。東京都知事が「小池」ですので、小さい川と小さい池で、もしかしたら相性が良いのかも知れませんね。音楽家のバッハに対する私の(勝手な)イメージは、「超人的な知性」と「温かい人間性」と云うものです。実際はどうなのかは(もちろん)分かりませんが、バッハの音楽からはそのような印象を受けます。

「知性」という面では、まるで幾何学的と言うか、数学的と言うか、音楽が自然界に存在する数字の(冷徹な)組み立てで完璧に設計されているように感じるのです。それにも関わらず、響く音楽はとても温かくて、優しくて、おおらかで、ユーモアもあり、深く崇高です。「音楽とは数学だ」と誰かの評論で読んだ記憶がありますが、バッハの音楽を聴くとなんとなく分かります。

画家で言うと、ゴッホの絵も好きです。あのカラフルな色彩が細かくグニャグニャと揺らいで渦巻く描写は、一体どういうことなのでしょうか・・・。素人では全く理解できないのですが、そこには知性というよりも感覚(霊感)的な写実を感じます。バッハもゴッホも、自分自身のアンテナ(受信機)から得た「自然界や宇宙の実像(正体)」をそのまま写実したに過ぎないのかも知れません。もしそうであるならば、この世の中とは、バッハのような数学的な音が鳴り響く、ゴッホのような色彩が渦巻く、振動の世界なのかも知れません。

バッハの音楽もゴッホも絵も、まるで自らがキラキラと光を発している生き物のようです。このことを「自灯明」と言うのでしょうか・・・。IOCのバッハ氏の名前から話が脱線してしまいましたが、あらゆる問題や課題に対して、常に自らが灯を燈し(光となり)、まわりを明るくして行ける存在になって行きたいと思いました。宮沢賢治の言う「(わたくしという現象は)因果交流電燈のひとつの青い照明です」も、そのような意味なのかも知れません。政治家も経営者も、そのひとつの青い照明として、まわりをもっと明るくして行かねばなりません。その光の渦が大きく成れば、闇に光が当たって行くでしょう。


※映画「君の名は。」

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話題の映画「君の名は。」を妻と観に行きました。とても良質で感動的な映画でした。美しいアニメであること、東京の街の描写が素晴らしいこと、音楽が若者に人気のグループであること等がヒットの理由と言われていますが、それと共に、①魂の移動②時空の移動③宇宙的視座という3つの要因もあるのではないかと感じました。

①の「魂の移動」とは、主人公の男の子と女の子の心が入れ替わるという設定のことです。肉体と精神は別々のもので、魂は肉体を離れて飛んで行くことが出来る。そういう概念が見えます。②の「時空の移動」とは、お互いに時間と空間を移動することです。この①と②は、既に大林宜彦監督の「転校生」や「時をかける少女」をはじめ、広く様々な作品の主題になっています。③の「宇宙的視座」は、彗星という宇宙からの飛来物が大きな役割を果たしていることですが、これは自然、宇宙、もっと言えば神(天)の象徴のようです。物語の中には、神社、巫女、口噛み酒(はじめて知りました)、この世とあの世の境界、そして糸が出てきましたが、これらは日本の神事をイメージさせます。糸は、縦糸と横糸とが交じり合って宇宙を創造すると言われています。

総評としては、若者向けの軽快なアニメで、作品としての評価は(自分的には)まずまずでしたが、それ以上に、この映画には若者たちの(無意識の)深層心理に訴える「何か大切なもの」が内在しているように感じました。それは(要するに)目には見えない世界の存在感(リアリティー)です。つまり、この世の中の実像(正体)が違和感なく表現されているように感じたのです。魂、宇宙、そして生きることの素晴らしさ。そういうことを真剣に考えられる時代になって来たのでしょう。それはとても素晴らしいことです。同じく東宝の「シン・ゴジラ」は、これから日本を襲うであろう危機への警鐘を果たし、この「君の名は。」の方は、若者の意識の目覚めを喚起しつつあります。映画って本当に凄いです。

2週間程前の10月8日は丸二の創立記念日で、おかげさまで今年で満63周年と成りました。これもひとえに全てのお客様、地域の皆様、関係各位の皆様のおかげと心から感謝の思いでいっぱいです。小さい会社ながらも、様々な新しい取り組みに挑戦し続けている日々ですが、会社の成長と共に社員さん一人ひとりの人間的な成長もとても嬉しく感じています。

今、社内では「丸二品質」という合言葉の下で、技術・現場・仕事のあらゆる品質基準を高めて行く運動を行っていますが、その「丸二品質」の2つの視点が「心」と「技」です。「技」とは文字通り、技術であり、具体的な建築に関わる品質を高めて行くことです。けれどもその「技」と共に重要なのが、私たち一人ひとりの「心」「人柄」「人間性」ではないかと考えております。その1つの現れとして、(実は)私たちは多くの素晴らしいアスリート達から学んでいることがあります。

テレビでオリンピックやプロ野球等の中継を見ながら、いつも目が行ってしまうのは、日本の素晴らしい選手ほど自分自身のプレーするフィールド(グランド)への「礼」を行っている姿です。これは日本人固有の礼節や武士道の所作の1つであり、(もっと言えば)森羅万象への感謝という日本神道的な精神が隠されている様に思います。もちろん、実際に礼をする選手もいれば、心中で言葉を発している選手もいることでしょう。要は、自分自身が働く場(=聖地)に礼が出来ないようでは、本物のトップクラスには成れないということです。そのようにして丸二も、現場監督が現場への礼を行える建設会社に成って行こうと決意したのです。

礼の旧字体は「禮」というとても素晴らしい字で、神様(示)への豊かなお供え物の意味だそうです。まさに「天に生かされている」という深い感謝の念そのものです。このような天(お天道さま)に対する日々の感謝の意識こそが、(きっと)その人を最高のステージへと引き上げてくれるのでしょう。そして、聖地での最高のパフォーマンス(仕事、品質)を実現させてくれるのでしょう。丸二にとってのフィールド(グランド)はまさに現場です。私たちの現場への「禮」の意識が高まることで、最高の品質が実現できる・・・そう信じ、私たちの心の根幹に「禮」を置いて行きたいと思います。

同時に今、私たち丸二の現場では、「標語看板」を掲げています。これは、私たちが社内で使用している(ある種の)「合言葉」をそのままプリントした看板なのですが、例えば、「日々、1mmの前進」「良い縁、良い建築」「縁を結び、縁を繋ぐ」「正直、素直、謙虚」「現場は心の映し鏡」「迷ったら良心に問う」等があります。この標語(合言葉)を各現場にて(あえて)標榜することで、その現場で働く人々の意識に向けて、良い影響を与えて行けるのではないかと考えております。

もし丸二の現場を見掛けましたら、ぜひ「標語看板」を見つけてください。そこに書かれている言葉を胸に置いて、みんなで一生懸命がんばっております。この「標語看板」のバリエーションはこれからどんどん増えて行きますが、その言葉に恥じない仕事を行って参りたいと思います。こうして今後も丸二の道を歩んで行きますので、何卒よろしくお願いいたします。ありがとうございます。

戦争と平和

2016年9月27日

9月に入ってすぐ、北朝鮮による核実験が行われましたが、まさに自宅の隣で核兵器が製造され、その銃口が我が家の方向へ向いている現実に(あらためて)背筋が凍る思いがしました。相手が同じ日本人であれば、馬鹿な真似はしないだろうと静観も出来ますが、実際はそうではありません。政府としては、常に最悪の想定に基づく現実的な準備を行いつつも、そうは成らない為の外交努力を行っているはずです。私たち国民一人ひとりも、同様の防衛意識を持ちながら、日本国内の(それでも他国に比べれば)平和な毎日に感謝を送りたいと思います。

今思えば、日本の<昭和>とは「戦争」と「経済発展」の時代であり、<平成>とは「平和」と「経済収縮」の時代だった様です。天皇陛下の生前退位が実現と成ると、もうすぐ「平成」も終わりを告げます。この「平成」という元号には(文字通り)「平和に成るように」との国魂の念が強く込められていたと思いますが、そのおかげで戦後70年以上、私たちは戦争の無い(奇跡的な)時代を生き続けています。そして今後も平和を維持して行くためには、近隣諸国との緊迫した情勢に対する現実的な対応と共に、平和への念を(私たち国民が)更に一層強く持ち続けて行くしかないと思います。ニュース等で天皇陛下のお姿を見る度に、心が震えます。唯、国民の平和への一念のみを感じるからです。

今の日本にとって一番大事なことは、もっと個人個人が、この平和な毎日への感謝の思いを(強く)持つことではないかと感じます。平和とはまさに奇跡的な現象です。実際の現実は、個人と個人との間でさえ、日々争い事が絶えない世の中です。今日のニュースでも、また新たな事件が報道されているでしょう。家族や知人友人との間柄でも、何かしらの不平不満があるはずですが、実はそれも(ある種の)心理的な戦争の1つです。極端に言えば、デモ運動も一種の戦争ではないでしょうか。つまり私たちは(知らず知らずの内に)心の中で戦争を始めているのかも知れません。自己の正義のために、毎日毎日、他人(または自分)を相手に、心の中で攻撃を繰り返している。そしてそのエネルギーの集合体が本当の戦争と化してしまう。あるいは、自分自身の心(自らの命)への攻撃と成ってしまう・・・。いずれにしても、全て戦争の1つ1つです。

真の平和とは、常に自らの心を穏やかにして、鎮めて行くことなのでしょう。だからこそ非常に難しい・・・。けれども、そうと気づくことさえ出来れば、人間は(少しずつ)変わり始めると思います。昭和時代から平成時代を経て、私たち日本人は、地球上で一番「気づくことのできる場所」に居るような気がします。だからこそ、この戦後70年以上の平和への感謝の思いを持って、この日々を懸命に生きて行きたいと思います。

歩いて行く

2016年8月29日

イタリア中部で大地震が発生し、死者が250人以上に達しているとのことです。被災された方々へのご冥福を心よりお祈りいたします。特に被害の大きかったアマトリーチェという町は、イタリア有数の観光地とのことで、ニュースで見た(地震以前の)街並みの美しさには心動かされました。このようなヨーロッパの古き街並みは、それ自体が人類の遺産です。けれどもこうして一夜にして崩壊してしまうと、日本的な言葉で言う・・・「もののあはれ」を感じさせます。以前ヨーロッパに行った際、イタリアはローマ、フィレンツェ、ミラノ、ベニスを巡りましたが、どの町も歴史の重さを感じさせるノスタルジアに満ちていました。「日本もこうあって欲しかった・・・」と感じたのを覚えています。

日本は地震国です。建物の耐震性を非常に大事にします。そのおかげで、大きな地震が発生する度に、耐震基準が上がり、時代と共に建物の建て替えが促進されて来ました。それは同時に、古き良き街並み、美しい景観、歴史的遺産を失う歴史でもありました。だからこそ、ヨーロッパの街並みに対する強い憧れの思いがあったのでしょう。けれどもこうしてみると、人類の造った文明は(いずれ必ず)消えて無くなるものだと分かります。諸行無常とはまさにこのことなのでしょう・・・。結局、日本は(失うものも多かったと思いますが)世界一安全な国土に成ろうとしています。地球が大掛かりな地殻変動期に突入した今、日本人の先人たちの先見性に(あらためて)感謝いたします。

日本の建物は、世界で一番(断トツで)安全です。このことは今後大いに評価されて来ると思います。古き良き家並みが(時代と共に)失われたことへの寂寥感もありますが、今と未来を生きる日本人の生命と生活を守ることも何よりも大事です。目に見えるものはいつか朽ち果てて行きます。これからは目には見えない、決して朽ちない文明の時代に変わるのでしょう。それはきっと人間の精神文明ではないでしょうか。「日本人の心」が人類最大の(生きた)遺産に成って行くのではないかと期待します。もし将来、世界全体が大和の心を持ち得るとしたならば、きっと戦争も終わるのでしょう。

宮沢賢治が「農民芸術概論綱要」で述べた言葉の中に、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである」とあります。個人の幸福は、世界全体の幸福によって成されるのである。けれども世界全体の幸福とは、個人が自らの中に銀河系を置き、(そこに生まれる)個人の「(今)此処に生かされている」ことへの深い感謝の念(の集合体)によって成されるのである。禅問答の様ですが(要は)日本人一人ひとりの感謝の思いの蓄積こそが、世界の全体幸福への道を切り開く突破口と成るのではと期待します。今の厳しい現実(最悪の想定)に懸命に対処しながらも、明るい未来へ向けて、日本人(大和)の心を世界へ広げて行くこと。2020年東京オリンピックがその起点に成れば何より幸いです。

そして丸二は、日々(世界一)安全な建物造りに全力投球しています。その誇りと使命感を強く心に意識しています。まるで銀河系を自らの中に意識して、これに応じて行くかのように。そう思えば、日々建設現場で行われている工事作業の1つ1つが、まるで神事のように感じられて来るから不思議です。今日の1つ1つの仕事や作業が、住む人や街を護り行く所作の1つ1つに成るのではないかと・・・。あらゆる正しい仕事とは、このようにして(本来)とても畏れ多いものなのかも知れません。それが故に、仕事を「している」のではなく、「させていただいている」という実感が(自然に)生まれて来るのです。

私たちは、現場に対する「礼」の意識を大切にしています。スポーツの世界では、優秀なアスリートほど礼儀正しく、自らの競技フィールドへの入退場の際、一人静かに「礼」をしています。この姿に私たちは心動かされるのです。丸二もこの素晴らしい姿勢を見習って、「人や地域のお役に立ちます」と念じつつ、日々現場に対する「礼」の意識を持ち続けて行きたいと思います。そして、全体の幸福と個人の幸福の実現を目指しながら、日々1mmづつ、歩いて行きます。

リオデジャネイロ・オリンピックがいよいよ佳境と成って来ましたが、日本が善戦中で、まだまだメダル獲得に期待が持てます。先日は卓球女子の団体戦が終わり、日本は銅メダルを獲得することが出来ました(本当におめでとうございます!)。福原愛選手の「苦しかった・・・」という言葉と、目から溢れる涙には、何かとても清らかなものを感じました。もし日本の卓球界に彼女の存在が無かったら、石川選手や伊藤選手の出現も無く、もしかしたら男子の水谷選手の大活躍も無かったかも知れません(男子は団体で銀メダル獲得!)。本人としては悔しいオリンピックだった様ですが、(目には見えない)とても大きな力をまわりに与え続けたのではないでしょうか。

日本はもちろん、中国の人々からも愛される福原選手の人柄(人間性)の根源には、一体何が在るのでしょうか。最後の最後で、競い負けしてしまう試合もありましたが、それは彼女の人間性の深い部分に、どうしても隠し切れない程の何か・・・巨大な優しさが鎮座していたからでは無いでしょうか。勝負の世界では、それは弱さであり、徹底的に排除すべきものです。けれども彼女は、その自らの弱さを愛し、守りながら、厳しい勝負の世界に身を置き続けています。その潔い姿に温かな感動を覚えるのです。2020年の東京オリンピックへの挑戦を行うかどうかはまだ不明の様ですが、本人は「リオで最後」と心に決めているような感じもします。彼女の優しさは(むしろ)これからの日本と中国、韓国、台湾との心の架け橋と成ると思います。そして今まで以上に、世界に大きく羽ばたいて欲しいと心から期待しています。

この夏、日本は、オリンピック期間中に終戦記念日を迎えました。あれからもう71年が経ちます。地球の裏側では熱い戦いが繰り広げられています。けれども戦争に比べたら、本当に幸福な戦いです。TVに映るリオの風景の中に、あの有名な「コルコバードのキリスト像」 の(丘から)街を見下ろす姿が幾度となく現れますが、この美しくも幻想的な神々しさと、眼下の街に横たわる日々の生活の間には、きっと大きな乖離があるはずです。けれども、日本人もブラジル人も、共にその乖離の幅を(一生懸命)縮めて行く日々奮闘努力をしている最中なのだと、静かなる勇気と感動を覚えました。

今回のオリンピックでは、現地のブラジルの方々が私たち日本人選手を熱い声援で応援してくれています。それが本当に嬉しい。歴史的に縁の深い両国が、共に地球の裏側同士の縦軸と成って、またこうして強く結ばれて行くのでしょう・・・。2020年の東京オリンピックが本当の意味で「平和の祭典」に成る様、日本人の奮闘努力がこれから始まります。


※映画「シン・ゴジラ」

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お盆休み中、妻と2人で話題の映画「シン・ゴジラ」を観に行きました。場所は新宿TOHOシネマズです。此処はかつての新宿コマ劇場の跡地であり、その隣には、子どもの頃によく来た映画館「新宿プラザ劇場」もありました。現在は立派な高層ホテルとシネコンの複合施設です。「新宿プラザ劇場」では、「未知との遭遇」と「スターウォーズ」の封切を鑑賞した思い出があります。子ども心に、果てしない宇宙に対する憧憬と好奇心で胸が一杯に成りましたが、今でもその思いは変わりません。

さてゴジラですが、これも子どもの頃、地元吉祥寺の古くて小さな東宝の映画館へ何度か見に行ったものです。一番記憶に残っているのは「ゴジラ対キングギドラ」。昔の普通の男の子は、みんな怪獣映画が大好きでした。その後TVでは「帰って来たウルトラマン」が始まり、それもすぐに夢中に成りました。そして時代は流れ、ハリウッド版のゴジラも製作されましたが、大人になって映画館でゴジラを観るのは今回が初めてでした。そして意外にも非常に面白く、楽しい時間を過ごすことが出来ました。

現在の東京に突如ゴジラが出現するという物語設定の背景には、今の日本が直面している危機管理(防災意識・防衛意識)を見ることができます。また放射能(原子力)に対する問題意識も描かれています。娯楽映画ですからそこに何かしらの意図や主張は無いのですが、必要な事は「今やるべきこと」と「将来の為にやるべきこと」を明確に分けられる思考力のような気がします。得てして「今やるべきこと」と「将来の為にやるべきこと」が相反することが多いからです。その巨大な時間軸を空間的に把握できる能力が、これからのリーダーには必要ではないかと感じました。

ゴジラ映画と言えば、伊福部昭氏が作曲したテーマ音楽が有名です。今回の映画でも使用されていましたが、特に最後のクライマックスで流れていた(古い音源のままの)戦闘的な音楽の爆演(!)は、最新技術の映像とのアンバランス感が凄く、それが故に不思議な高揚感を生み出していました。これは庵野監督の意図なのでしょう。伊福部昭という日本の作曲家のことも、今まであまり認識していなかったのですが、ゴジラ以外でも非常に多くの管弦楽曲等を作曲している正統的な現代音楽の作曲家と知りました。これを機会に他の曲も聞いてみたいと思います。

ゴジラのような怪物がなぜ長い間、映像化され続けるのでしょう。なぜ忘れた頃にやって来て、私たちの街を破壊して行くのでしょう。なぜゴジラの形態は、あのような恐ろしい(畏ろしい)姿かたちをしているのでしょう。ふと、そんなことを思います・・・。きっと日本人の心のどこかに恐れるべき(=畏れるべき)存在が常に内在しており、私たちがその畏れ(=畏敬の念)を忘れ掛けた頃に成ると、その「不安感」「危機感」の集合意識が物質化されて、日本人の前に突如出現するのかも知れません。伊福部昭氏の摩訶不思議な音楽を聴くと、それもあながち嘘では無いような気がして来ます。ゴジラとは、日本人みんなの心の中に住んでいる「鬼神」なのかも知れません。

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