MARUNIの社長ブログ

特別な何か。。。

2017年11月10日

米国トランプ大統領の初来日の3日間が無事に終わり、先ずは良かったと思います。日米関係の絆は、日本にとっても、米国にとっても、大事な生命線と感じますので、両国間の様々な問題・課題を認識しつつも、深い部分(底流・基礎)において、良好な関係が(今後も)続いて欲しいと思います。当日のニュースで、トランプ大統領とにこやかにお話をされる天皇陛下のお姿を拝見し、同時に72年前の昭和天皇とマッカーサーとの歴史的会見を思いました。あの時マッカーサーは、天皇陛下に特別な何かを感じ、大きな感動と衝撃を受けたと云われています。そしてそのおかげで今の日本が在ります。きっと今回のトランプ大統領も、特別な何かを感じたのではないでしょうか。その後、韓国~中国を巡った後、日本という国の持つ「特別な何か」に気づくのではないかと期待いたします。

一方、むしろ日本の中にいる私たちの方が、その「特別な何か」に対する意識が薄れて来てしまったようにも感じます。例えば、最近の日本を代表する大企業による(重大な)不正が相次いで露呈しています。このことで日本の技術、品質、国民性に対する世界からの絶大な信頼に傷が付かないか大いに心配するところですが、問題の本質は、会社あるいは個人の意識であり、人としての良心に起因するものです。現代の日本人は(目には見えない)何か大きな存在を忘れかけているような気がします。

昔の日本の家では、おじいちゃんやおばあちゃんが、日々の日常生活の中で、「お天道様が見ているよ」と小さな子どもたちに言って聞かせていました。これは理屈で理解するものではなく、素直に、純粋に、「感じる」種類のものです。このことを「道徳」と呼ぶのであれば、今の日本には「道徳教育」が必要なのではないかと。「道徳」「道理」「原理原則」は、日々の生活や人生、あるいは経営や政治を行う上で、絶対的に必要不可欠な基礎であり、日本人の固有の共有財産です。その素晴らしい道徳観が失われつつある時代の中で、私たちはどう生きて行くべきなのでしょうか・・・。

これから世の中は人工知能(AI)の時代に成って行くと言われています。実際に多くの職業や職種が消えて行くのでしょう。けれども(最後は)人間の目と手に依る建築やリフォームの現場においては、今後も「人」が主役であり続けると思います。だからこそ、私たちは「道徳感」というものを大事にして行きたいのです。日々、美しい現場造りを懸命に目指すのも、何か特別な・・・まるでお天道様に見られている様な感覚が在るからです。迷ったら良心に問え。このような「情緒」は日本人独自の文化でしょう。私たちは、日本の建築業界の片隅で、特別な何か大切なものを見付け、継承して行きたいと思います。


※映画「山」(1956年/米国)

51HHiVQyYyL.jpg

名優スペンサー・トレイシー主演、アルプスの雄大な風景を舞台とした山岳映画「山」をDVDで鑑賞しました。全く知らない映画だったのですが、非常に面白かったです。山を愛する老ガイド(スペンサー・トレーシー)とその弟(ロバート・ワグナー)が、山頂に激突した航空機の墜落現場へ向かう物語なのですが、弟の金品目当ての目的を嘆き悲しみ、自らは生存者1名を麓まで背負って生命を救います。一方、金品に目が眩んだ弟は、下山の途中で命を落とします。ところが最後に主人公は、愛する弟の名誉のために、ある嘘を付きます。此処に何か、日本人にも相通じる情緒的な美学を感じ取りました。とても古い映画ですが、隠れた名作です。

2017年10月8日、丸二は創立64周年を迎えます。本当に多くのお客様、関係者の方々、地域の皆様のお陰です。心から感謝申し上げます。また今年は、私が父から代を受け継いで、ちょうど20年(新創業20周年)に成ります。思い起こせば、恥ずかしいことばかりの20年でしたが、それら様々な経験を経て、会社も私自身も大きく成長させていただいていると思います。まさに感慨ひとしおです。

20年前、「丸二をこのような会社にしたい!」という思いを持ってスタートし、この20年間で、やっと(その半分の)基礎までが出来たような気がします。本当に長い長い基礎工事でした。でもその分、非常に緻密で強いものに成ったと思います。時間は掛かるけれども、日々少しずつ前進して行くこと。日々少しずつ固めて行くこと。その方がずっとずっと強く成れる。崩れない本物に成れる。この(逆転の)面白さに気づくことの出来た20年でした。

そしてこれからの20年を考えてみると、お客様からは「丸二に頼んで良かった!」、社員さんからは「丸二で働けて良かった!」、地域からは「丸二が在って良かった!」と・・・共に一生の永きご縁で結ばれて行く道が見えて来ます。その歩みの一歩一歩、その1mmの前進の継続こそが、私たちの理想なのです。

つまり、どこかに特定のゴール(目標)を設定するのではなく、そのような「信条(心情)」と共に歩み続けている「状態」「姿」にこそ関心があるのです(同行二人)。理想に向かって今日も歩いて行く。永遠に歩き続けて行く・・・。これが20年掛けて築き上げて来た基礎の上に立つ、新たな丸二の姿です。

私たちの道は、「より美しい現場造り」「より美しい会社造り」「より美しい人間造り」の方角へ向かっています。きっとこれは永遠に続く道なのだと思います。その長い道のりを一歩一歩、日々1mmの前進で、ただ静かに歩き続けるのみ。時代は大きく変わり、自然災害等への防災意識が急速に高まって来ました。地域の建物の老朽化も進んでいます。そのような意味において、住む人の生活と生命を守る建設業の役割は、一層高まって行くと思います。

同時並行で、この自然界に生かされているという自覚無き企業の淘汰も、始まって行くでしょう。常にそのような緊張感と使命感をもって、創立65年目、新創業21年目の第一歩を社員さんと共に記したいと思います。新しい時代の小さな開拓者の一人(一社)として、この道を楽しく歩いて行きます。ありがとうございます。


※私が好きな西部劇

top.jpg

子どもの頃、地元吉祥寺の映画館(多分「ムサシノ映画劇場」だったと思います)で「シェーン」を観て以来、私は映画ファンに成りました。特に西部劇は憧れの存在で、今までにもたくさん観て来たと思います。その中で今でも心に残っている作品と言えば「真昼の決闘(1952)」「シェーン(1953)」「荒野の七人(1960)」「ウエスタン(1968)」「勇気ある追跡(1969)」の5本です。実際のアメリカ西部開拓史では、先住民族(インディアン)に対する侵略という側面がありましたが、上記5作品はインディアンとの戦いは無く、あの時代の西部を舞台とした善と悪との戦いを描いたものです。「シェーン」の有名なラストシーンで遠くに見えるワイオミングの山々の美しさも忘れられません。もしいつかアメリカ本土へ行ける機会があったら、ワイオミングの山は見てみたいと思います。

心で造る

2017年9月30日

衆議院が解散し、総選挙に成りました。新しい政党が生まれ、野党に大きな激変が起きていますが、その結果、今回の選挙は「保守」対「保守」の構造と成る様です。このような展開が起こるとは誰にも予想できなかったと思います。世界情勢が大きく揺れ始めている今、日本の未来に明るい道筋が見えて来ることを期待します。

アメリカでは、この夏、本土に巨大ハリケーンが相次いで上陸し、大変な被害が出ました。メキシコでは大地震が発生、スイスでは氷河雪崩の危機が迫っています。また地球全体においては、太陽フレアの異常な爆発による様々な影響も始まったとのこと。各国は政治も経済も悪化の道を辿っていますが、今後は自然災害の多発によって、もうそれどころでは無い状況まで追い込まれて行く可能性もある様です。

そのような視点で見れば、日本の現状はまだまだ感謝すべき状態なのかも知れません。世界全体の苦しい惨状や宇宙全体の視点から視る眼を持てば、きっと私たちは、日本の行くべき道を見出すことが出来ると思います。その道を早く見つけ、世界に(物質的かつ精神的に)貢献できる国に成りたい・・・。これが今の日本に生きる日本人の夢であり、役割ではないかと感じます。

私たちは、この宇宙に浮かぶ小さな1つの星の上に暮らしているという事実を、どこか遠くの事のようにしか感じていないのかも知れません。空中で超高速回転をしながら移動し続けている物体の動きに多少の変化(ゆらぎ)が生まれるのは当たり前です。まさか人間の暮らしの都合に合わせてちょうど良く加減をしてくれるハズはありません。私たちは何か固定化された安定世界の中で日々生きていると錯覚しているような気がします。

人間はそもそも安定した世界に生きる為ではなく、不安定、混沌、思うように行かない、矛盾だらけの世の中を生きる為に生まれ、その世界の中で、いかに自身の内面を強くするか、美しくするか・・・このチャレンジに生きているのではないかと思います。美しい蓮の花は、泥が無ければ育たない。嫌なものや都合の悪い出来事への批判や非難を超えて、その不都合の世界の中で(こそ)自らを育てていくのだ。そのような意思の力が大事だと思います。

世界に貢献する日本を造る為に必要なことは、政治や経済の前に、先ず私たち日本人一人ひとりが、日々の生活の中で、感謝の心を持って、今を懸命に生きて行くことだと思います。今の日本に生きている(生かしていただいている)ことへの感謝を持って・・・。今回の選挙の結果に関わらず、自分自身の心を大切に(正しく)育てて行くことが、結局その総和の日本を良い国にして行く近道に成るのではないか。私たち丸二も、建設業と言う大好きな仕事を通じて、自分自身の心を(日々1mmの前進で)正しく鍛えて行きたいと思います。「その心の総和が、お客様の素晴らしい建物を創造するのだ」と云う強い確信を持って。

8月に思う

2017年8月21日

今年の夏は異常な雨続きで、各地で水難事故も目立ちました。豪雨、落雷、竜巻、雹などが多発する原因は(長い時間を掛けて進行して来た)地球環境の異変によるものと思われます。もしそうであるならば、この状況は今後も長い時間を掛けて継続(拡大)して行く可能性があると思われます。気候や風土の変化は、人々の暮らし、文化、安全、経済、健康に大いに影響を及ぼすはずです。今まで以上の防災意識をもって、慎重な日々の生活行動を意識して行かなければ成りません。あらためて大自然の力への畏怖の念を感じました。

8月2日と3日、BS放送で長岡花火が生中継されていました。5年前の大林宜彦監督の映画「この空の花~長岡花火物語」で、<長岡花火は長岡空襲戦没者への慰霊の花火である>ことを知り、その後実際に長岡まで飛んで行ったことを思い出します。冒頭、戦没者への慰霊の花火である、三発の白菊。長いサイレン音と正三尺玉の大振動。クライマックスは、眼前の夜空を横一線の大輪で彩るフェニックス花火。TV画面からでもあの日の感動が蘇って来ました。戦争も災害も二度と起きて欲しくない。でもまたいつか起こるかも知れない。常にそのような最悪を想定しつつ、平和と安全を祈り続けたいと思います。

また今年の8月12日は、日航機123便の事故から33回忌でしたが、偶然にも同時刻、同航路、同地点で、123便と同様の異常が全日空機で発生し、急遽羽田へ戻る事態が発生しました。今回は無事で本当に良かったのですが、やはりお盆にはこのような不思議な現象が起こるのでしょうか。前回は陸(山)側へ旋回しましたが、今回は海側へ旋回して無事に戻って来ることが出来ました。機長の瞬時の判断に何か意味があったのかも知れません。明石家さんまさんは、あの日123便に乗る予定だったそうです(当日急に収録が中止となってしまい、いつもより早い便で帰ったとのこと)。人の一生とは分からないものです。分からないからこそ、今を懸命に生きて行きたいと思います。

毎年の夏は、戦争、災害、事故、慰霊、復興を思います。子どもの頃の夏と言えば、家の中から外の庭を眺めている映像が思い浮かびます。エアコンは無く、家の窓は開け放しで、風が通って気持ちがいい。電気を付けない暗い部屋の中から、外の庭の明るくキラキラと輝く眩い光のシャワーを観ている。母が植えた花壇の花々、ひらひらと舞う蝶々。猛烈な蝉の声。夕方になれば蜩が鳴き、突然の雷と夕立。稲妻の光に怯えながらも、雷鳴にワクワクした記憶。そのような平和なる日々がありました。日本の夏は、まるで時空の門が開く、不思議な時間帯のような気がします。そこには幻影と現実が入り混じり、過去と現在と未来とが繋がり合います。だからこそ(心静かに)未来の平和を祈りたい。長岡花火の白菊のように、静かに、質素に、清らかに・・・。


※ハイドン「天地創造」

515lnLfsl4L.jpg

クラシック音楽の中で、ハイドンは非常に地味な存在ですが、104曲に及ぶ交響曲はどれも元気で清々しく、まるで心が洗われるような曲ばかりです。そして今回聴いたオラトリオ「天地創造」(アーノンクール指揮)も大変素晴らしかった。ハイドンを聴いていると、無色透明な自然界の音響(そのもの)を感じます。バッハほど高尚、緻密でなく、モーツァルトほど天国的、精妙でもない。その分、大らかさと親しみやすさがあります。ハイドンの音楽はBGMとしても最高です。自己主張が無く、聴いている人を(空気のように)優しく包み込んでくれるからです。無名の画家の美しい風景画を見るが如く、上質な音楽を味わえます。そのような地味で質素で清らかなハイドンが、私は大好きです。

WOWOWで放映していた連続ドラマ「宮沢賢治の食卓」(全5話)を観ましたが、実際の宮澤賢治の実像に比べると、随分明るく軽やかなホームドラマに仕立てていた為か、妹トシとの深い絆の真意(理由)があまり描かれていないような気がしました。なぜ賢治はあれほどまでに妹トシを思い、慕い、彼女の死に接しては、自己の死までを覚悟したのか・・・。その背景を知らずに、宮澤賢治の思考と行動の表層だけ見ても、常人では理解し得ない奇怪なものにしか映らないと感じました。

宮澤賢治は(実は)とても裕福な家で育ちました。けれども父親の商売を嫌悪し、父や家族と対立し、家を出て、あえて家族とは別の宗派に入信し、自ら貧乏な暮らしに身を置きながら、夢や理想ばかりを追い求め、誰からも肯定されない苦しい人生を歩んでいました。けれどもその中で只一人、賢治を信頼し、尊敬し続けたのが、妹トシでした。トシだけは、賢治が入信した宗派に一緒に入り、賢治の書いた童話や詩を褒め、どんな時も賢治の心の支えで在り続けました。そのトシが結核に倒れ、24歳の若さで生涯を終えた時、賢治は真の意味で天涯孤独(宇宙でただ一人)を感じたのだと思います。

妹トシが亡くなった日の朝を描いた「永訣の朝」という賢治の有名な詩があります。この詩を読むともう涙が出て仕方ありません。窓の外は降りしきる雪。今にも息を引き取ろうとする妹トシが、息も絶え絶えに繰り返す「あめゆじゅとてちてけんじゃ」とは、「雨雪(みぞれ)を取ってきてください、賢治兄さん」という意味だそうです。自らの死を目前にして、人生最後のお願いとして、最も信頼する人(兄、賢治)に、自分の最後の食べ物(お椀一杯の雨雪)を頼んだのです。妹トシは、父親でもなく、母親でもなく、「わたくし(賢治)にたのんだのだ」。トシの死を自らの死と捉えていた賢治に対し、トシは「Ora Ora de shitori egumo」と言います。それは、「わたしはわたしで(先に)ひとりいきます」「兄さんは(死なないで)世の為、人の為に、まっすぐ生きてください」というメッセージだったそうです。お椀一杯の雨雪(天上のアイスクリーム)と、この言葉によって、宮澤賢治は(死よりも)生きる希望を見出しました。

「宮澤賢治『永訣の朝』の授業~トシへの約束」(石黒秀昭著)という本を読み、この様な「永訣の朝」の真の意味を理解することが出来ましたが、賢治は、妹トシの死によって、自らの信じる(正しい)道を明るく強く歩み始めたのだと思います。その後、賢治自身が病に倒れ、死を迎えようとした時、最後まで激しく対立していた父親から(初めて)「お前は立派だ」と言われます。賢治は「お父さんにとうとう褒められた」と大変喜び、そのまま息を引き取りました。賢治の人生が最も明るく光り輝いた瞬間だったと思います。宮澤賢治のほとんどの作品は死後になって発表され、有名な「雨ニモマケズ」は、賢治の手帳に書かれたメモの中から発見されました。

私が宮澤賢治に惹かれる理由は、この様な無様で不器用な生き方の一つひとつに在ります。誰にも評価されなくても、デクノボー(木偶の坊)と呼ばれても、自らの信じる道(世の為、人の為)をまっすぐに歩み続ける。涙を流しながらオロオロ歩き、恥ずかしい姿を晒しても構わない。それでも懸命に生きて行く。それこそが本当に美しい生き方なのだろうと思います。これからの時代は、国家や企業や個人のメッキが剝がれて行く時代に成ると思います。いくらカッコ良く繕っていても、必ず正体のバレる時代。人も会社も、カッコ悪くても構わないから、正しい道を歩んで行くことが大事に成ると思います。そのような大きな理想を胸に抱き、今日も一歩一歩、1mmの前進をして行きたいと思います。


※映画「わが心の銀河鉄道」

51ZpbBgBf2L.jpg

宮澤賢治を描いた作品は数多くあると思いますが、今までで一番良かったのは、緒方直人主演の映画「わが心の銀河鉄道」です。賢治の人生を走馬燈のように観ることができます。ほんとうに苦しい人生だったのだなあと感じると同時に、誰よりも真の幸福に近づいた一生だったのではないかと深く感じ入ることが出来ました。それにしても「雨ニモマケズ」は凄い詩です。賢治は「雨ニモマケズ」を作品としてではなく、自らの信条(戒め)として手帳に書き留めました。その詩の最後には、彼の信仰のお題目が記されています。ほんとうのさいわいを求めて生きた一人の人間の凄まじい生き様に、ただ心が震えるのみです。

人類の夜明け

2017年6月23日

東京都議会議員選挙が始まりました。豊洲市場への移転と築地の今後については様々な意見がぶつかり合うと思いますが、これを機に(2020年の東京オリンピックに向けて)良い道筋が見えて来て欲しいと願うところです。「禍いを転じて福と為す」とか「人間万事塞翁が馬」と言いますが、目の前の問題に懸命に取り組んでさえ行けば、きっと新たな智慧が生まれて来るはずです(思わぬ副産物も出て来るかも知れません)。その為にも、私心を捨て、世の中の為を思って、真摯に考え行動して行くしかありません。国政においても、現在多くの問題が露呈しているところですが、国民の生命と安全を守り抜くという大きな道筋を見失わず、1つ1つの課題に向かって真摯に取り組んで行けば、日本の道筋はきっと見えて来ると思います。

一方、近隣国の最近の動向については、大いなる緊張感があります。核ミサイルへの不安があるからです。平成時代があと一年半で終わろうとする中、このまま何とか平和が維持されるよう心から願っています。欧州の混乱、中国やロシアの苦境、米国の激変、世界的テロの多発・・・世界は相当な状況に陥っていると認識できますが、その分(逆に)日本の安定が(あくまで相対的に)際立って来ると感じます。世界が更に混沌へ向かう中、相対的に日本が上昇発展する時代に成るのではないか。同時に狙われる(巻き込まれる)可能性も増えて来るのではないか。確かに多くの問題が山積している日本ですが、世界全体から見れば極めて恵まれている国です。そのことへの感謝の意識を持って、世界の激しい潮流の中で、警戒心を強化しながら、唯一光り輝く黄金の国を築いて行きたいと思います。

話は変わりますが、最近友人から「映画の見方がわかる本」(町山智浩著)という本を貸していただき、大変興味深く読ませていただきました。その中に、スタンリー・キューブリック監督の代表作「2001年宇宙の旅」製作に関わる多くの(裏)情報が書かれていて、(キューブリック・ファンとして)とても面白かったです。映画の冒頭、「人類の夜明け」のシークエンスから400万年後の宇宙へジャンプするシーンで、猿が空高く投げた(武器としての)骨が、宇宙船に変わる有名なカットがあります。その宇宙船(のようなもの)は、人類の進歩と叡智の象徴であり、技術の進化を意味するものだと解釈されていましたが、本当は(そんな美しい意味ではなく)実は「核ミサイル」だったと言うのです。

133429576429713208852_vlcsnap-2012-04-13-14h41m02s48.jpg

キューブリックは今から50年も前に、将来の核保有国の増加と核戦争の発生への警告を鳴らしていた訳です。このシーンには、ヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」が流れていたので、まさに人類の平和と進歩が印象付けられていました。でも実際には、「恐怖」の裏返しだったのです。この映画には元々(全編に)ナレーションが付いていたそうですが、最終的には全てがカットされました。ナレーションをあえて無くすことで、映画を意図的に分かりにくくさせたかったからとのこと。つまり、観客を訳の分からない状況に陥らせ、摩訶不思議なマジック体験へ連れ込んだのです。それは確かに成功したと思います。いろいろな解釈が、この映画に新たな生命を吹き込み続けているからです。この本には、他にも多くの映画の面白い裏話が書いてあるので、また今後も感想を書いてみたいと思います。

人類は本当に進歩しているのだろうか。技術は進歩したが、精神は進歩していないのではないか。その結果が今の混沌とした世界ではないか。映画「2001年宇宙の旅」は、最後に新たな人類(スターチャイルド)が誕生して終わりますが、今、私たちは、まさに時代の生まれ変わる瞬間を生きているのではないか。いろいろな場所で、いろいろな事態が発生していますが、それらが「禍いを転じて福と為す」「人間万事塞翁が馬」と成る道筋を見つけて行くことが大事だと思います。そのためにも人類の精神的な進歩が必要と思います。2019年に始まる日本の新天皇の時代、そして2020年の東京オリンピックの開催。このタイミングが単なる偶然とは思えないのです。日本人が真に(精神的に)世界をリードする時代の始まりではないかと感じます。映画「2001年宇宙の旅」(1968年)の製作から来年2018年で50年。これも1つのタイミングかも知れません。

古き日本の風景

2017年6月21日

今年の東京の梅雨は(いつもの梅雨らしくなく)晴れ間の多い天気が続きます。仕事柄、雨が少ないのはとてもありがたいのですが、自然の摂理としては、これも1つの異常気象なのかも知れません。けれども雨の休日もなかなか良いもので、自宅でゆっくり映画鑑賞などは最高の贅沢です。最近は古い日本の映画が面白く、溝口健二作品、成瀬巳喜男作品はもちろんのこと、水上勉原作の「雁の寺」「越前竹人形」の二本もとても良かったです(原作も読み、素晴らしかった)。

古い日本の映画の良さのひとつに、昔の日本の原風景や情緒ある町並みが観られる点があります。昔の東京下町の風景、京都の町並み、旧家の続く小径やお寺、鐘の音、山や川の農村の風景、そして木造の日本家屋。日々の生活や商売のシーンも興味深くて、不思議な懐かしさを感じます。それに何しろ言葉の美しさ。日本語の「音」としての響きの素晴らしさは、まるで西洋のクラシック音楽を聴いているかのように、心地良いものです。決して多くを語らない、寡黙さの中に、美しくも粋な音階を感じます。

古き日本の風景は、今からほんの数十年前と同じ場所なのに、別世界。まるでノスタルジックなワンダーランドです。要はそれ程、日本の高度成長とは物凄い変化だったのでしょう。そのおかげで私たちは便利で快適で長寿の生活(人生)を得ることが出来ました。それはとても素晴らしいことであり、ありがたいことです。けれども一方では、古き良き日本の風景への郷愁も強く残っています。梅雨の休日に観る日本映画が、この忙しい時代を生きる日本人の心のバランスを整えてくれるかも知れません。

古い日本の匂いは(映画だけでなく)小説からも感じ取れます。「雁の寺」の水上勉の小説からは、京都や越前の風景。夏目漱石や永井荷風の小説からは、東京下町の風景を伺い知ることが出来ます。森鴎外からは同じく江戸東京、そして留学地の独逸、有名な「山椒大夫」では裏日本の風景が印象的です。最近、森鴎外の小説を読み返していますが、短編の「高瀬舟」「最後の一句」「舞姫」はやはり素晴らしく、また「杯」という(ほんの8ページ程の)短編の美しさには心から感銘を受けました。言葉だけなのに、透き通るような「映像美」を感じました。

先日、「エレファントカシマシ」という日本のロックバンドの30周年コンサートに行きました。基本的にロックは大の苦手です。でも彼らが鳴らす音響の果てには、古き日本人の情緒(寂しさ、悲しさ、清らかさ、恥ずかしさ、無骨さ、やせ我慢など)や郷愁(ノスタルジア)が聴こえるような気がします。例えば・・・有名ブランドの立ち並ぶ大都会の表通り、そこから一本奥に入った裏道りの一角に、小さな古い団子屋さんが在る。そこの店主は、只々、己自身の最高の団子を作ることにしか興味がなく、世間には背を向け、遊ぶ暇があったら黙々と汗だくになって団子を作り続けている。売るための商品パッケージや宣伝にも無関心。それなのに(本心は)表通りの賑わいへの憧れを抱き、時には嫉妬し、悔し涙を流す。「売れたい」という正直な本音も隠さない。苦労に苦労を重ね、幾度か潰れそうになりながら、必死で乗り越えて来たが、気が付いてみると、表通りの店はほとんどが入れ替わっているのに、自分の店はなぜか30年以上も続いている・・・。この立派な老舗団子屋さんが彼らのイメージ。努力を積み重ね、困難と苦労を乗り越えて行く愚直な姿勢こそに、ある種の(転んだり、よろけたり、オロオロしたりの)恰好悪さも含めて、愛すべき(尊敬すべき)何かが在るように感じるのです。

さて、その30周年コンサートですが「歴史」という曲で始まりました。この歌は森鴎外のことを歌った曲です。ロックで森鴎外を歌うなどという発想は、なかなか無いと思いますが、一人の日本の文豪の「生き様」と「死に様」への憧憬が詠われていて、とても好きな曲です。この歌の歌詞に、「名作『山椒大夫』そして『渋江抽斎』に至って輝きは極限」とあります。この「渋江抽斎」という作品はとても難解の様ですが、鴎外の最高傑作とのことで、いつか挑戦してみたいと思います(※渋江抽斎とは、江戸時代末期の医師・考証家・書誌学者で、森鴎外が歴史小説として発表し、広く世に知られるように成った)。

古き日本の風景と現代の豊かな生活との間には、(戦争を含めた)様々な歴史が流れています。その時代、その瞬間、只々懸命に生き抜いて来た先人達の歩みの積み重ねが、今日の豊かな日本を実現させたに違いありません。ならば今の私たちの歩みの蓄積が、もっと素晴らしい日本の未来を築いても良いハズです。けれども実際には、世間は右往左往の毎日を繰り広げているばかり。だからこそ私たちは、自らの人生の道筋のみに集中し、真摯に、愚直に、懸命に、胸を張って歩んで行くしかないのでしょう。古い日本の映画の登場人物は、皆(悪人も善人も)「今」を懸命に生きています。苦労をしても、無様な恰好でも、自らの道筋を只ひたすら歩んで行くこと。此処に日本人の美の極限を感じます。

ミュシャ展にて

2017年5月15日

今年のゴールデンウィークは、とても気持ちの良い天気が続きましたが、5月も半ばに成ると、ゆっくりと梅雨の季節が近づいて来ます。それでも雨が降ることで、日本の清らかな水資源が蓄えられ、豊かな自然界と人間の生活が維持されます。「自然との共生」と言いますが、それは自然と人間が、別個の(対等の)存在同士というニュアンスを感じさせます。でも本来は、自然界の中に人間が含まれる訳で、人間は自然の摂理に従わねばならぬ「従」の存在のはずです。ここにまだ(人間側の)驕りが残っており、未だに地球規模の自然災害が発生している真因に成っているように感じます。日本人には、八百万の神、自然信仰のDNAが残っているので、「自然界に含まれている」という感覚は、日本人が一番よく理解できるはずです。自然界はとても厳しく、摂理と道理によって運行されています。人類は「自然との共生」から、「自然への感謝」「自然への畏れ」へと回帰すべきなのでしょう。

Mucha14.jpg

さて今年のゴールデンウィークは、妻と一緒に六本木の国立新美術館「ミュシャ展」へ行きました。ミュシャという画家の名は全く知らなかったのですが、いくつかの美しいポスターや装飾パネルを見たことがありました。けれども今回の展覧会のメインは、彼が晩年に描いた「スラブ叙事詩」という巨大な大作群です。チェコ出身の彼が(パリで)華やかなポスター画等によって成功を得た後、故郷に戻り(縦6メートル、横8メートルの!)巨大な20枚の油彩画を描きました。これが古代から近代に至るスラヴ民族の苦難と栄光の歴史の大絵巻、「スラブ叙事詩」です。実際に観た印象は・・・もう、壁一面の巨大キャンパスに描かれた風景、人物、精神からの圧倒的なエネルギーを感じ、この20枚の大作を(一生ではなく)たった16年で描き上げたことが信じられない程でした。

slavepopejhp01.jpg

slavepopejhp02.jpg

slavepopejhp07.jpg

日本も世界も数々の戦乱や動乱、自然災害を乗り越えて、今の時代に至っています。確かに理想的な状態にはまだ程遠い場所に居ると思います。けれども過去の戦争の時代よりも、明らかに今は豊かで幸福な時代を生きています(生かしていただいています)。私たちはこのことに、深く、深く感謝しなければ成らないと思います。その上で、この厳しい自然界の中で、この厳しい世界情勢の中で、懸命に生きて行くしかありません。ミュシャの描いた「スラヴ叙事詩」の中に、じっとこちら側を見つめる人物が何人かいました。その鋭い眼の奥の方から、「甘えるな。今を懸命に生きろ」という声が聴こえたような気がします。二人で美術館を出てから、近くのお店で美味しいランチを食べて、家に帰りました。それがどんなに幸福な時間なのか。深く、深く、思いを巡らせることのできた素晴らしいゴールデンウィークでした。

四月の風

2017年4月 7日

桜が満開の東京で、あたたかい四月の風が吹き始めました。日本でも世界でも、色々な(あまり嬉しくは無い)出来事が毎日報道されていますが、結局のところ(私たち人間は)、自分自身の最善の道を懸命に歩んで行くしか無く、その時間と努力の積み重ねこそが、唯一無二の真の(無限の)財産に成って行くのだろうと思うのです。世の中の現象(騒ぎ)に惑わされず、常に本質を見つめて行くこと。このような日々の生活の中にこそ、美しい幸福が見えて来るのではと思います。まして日本に生まれたことへの感謝の気持ち(実感)が、これからますます強烈に成って行くに違いありません。それほど諸外国の現状は恐ろしく厳しいものと想像します。

そして我が丸二ですが、今年は3名の新入社員さんが入社しました(本当に嬉しいことです)。右肩上がりの時代を知らない世代にとって、実社会に出るということは、大いなる不安との背中合わせなのかも知れません。けれども、そのような時代だからこそ、自分自身を見失わず、自らの人間としての成長を目指す道を(真っ直ぐに)歩んで行けるのではないか。人生で一番大切な何かを見つけられるのではないか。建設業と言う大いなる仕事(使命)と向き合う中で、一人ひとりが立派な社会人に成長する様、みんなで応援して行きたいと思います。

さて最近、単行本の新刊を(吉祥寺の「ブックス・ルーエ」さんで)数冊買いました。高村薫の「土の記(上・下)」、(話題の!)村上春樹の「騎士団長殺し(第1部・第2部)」、安部龍太郎の「家康(自立篇)」です。先ずは、「土の記」を少しずつ読み始めたところですが、なかなか面白いです。「土の記」は現代小説家の中で最も好きな高村薫の最新作なので、非常に興味深く読んでいます。高村薫の作品はどれも異常な程の細部に渡る描写があり、圧倒的なリアリティーと共に、超微細な世界に宿る作者の強烈な情念を感じます。恐らく一冊の本を書く為に、気が遠くなるほどの取材と調査を重ね、その世界に自らの一切合切を委ねることによって(架空の世界に実在する)生身の人間たちが自ずと動き出すような感覚がします。今回の作品も農作業に生きる男の日常と記憶、そして自然界の森羅万象が克明に綴られており、読み手を奈良県は大宇陀の山中へと瞬間移動させます。けれどもそこは(決して異界ではなく)地に足の着いた確かな現実世界です。今は下巻の途中ですが、時間を掛けて、ゆっくりと読み進めて行こうと思います。

また先月の大相撲春場所ですが、大きな負傷を負った新横綱の稀勢の里が見事逆転優勝を果たしました。普通なら休場するところ、強行出場しただけでも驚きだったのに、まさか千秋楽で二番とも勝つとは。本当に深く感動しました。「自分の力以上のものが出た。見えない力が働いた」という本人の言葉通り、確かに見えない力の応援があったと感じます。けれどもそれは「横綱としての最初の場所、みっともないことはできない」という本人の強い意志と勇気、日々の努力があったからなのでしょう。来場所以降も素晴らしい相撲を見せてくれるものと心から期待します。

時間は掛かるけれども、この様な日々の「1mmの前進」の蓄積が、後に偉大な結果を呼び起こすことが(実際に)あると思います。今回の稀勢の里関もそうでしょう。スケートの羽生選手の大逆転劇もそうでしょう。仮にあと一歩及ばないことが続いても周りの評価などを気にせず、日々の「1mmの前進」を(淡々と)続けて行くことさえ出来れば、そのエネルギーは確実に蓄積し(決して漏電せず)いつか必ず確かな実を付け、大いなる花を咲かせることと思います。芽や花や草木が毎日気づかない程の(ほんの少しの)成長を継続しているが如く大自然の摂理(秩序)に従った生き方や働き方をして行けば、必ず「自分の力以上のものが出た。見えない力が働いた」という実感の得られる日々がやって来る。そのようなことを感じさせてくれる四月の風の中で、私たちは今日を歩いて行きます。

お伊勢参り

2017年3月 5日

2月の末にお伊勢参りに行かせていただきました。前回の伊勢神宮参拝は3年前、会社の創立60周年記念で(その翌年に)社員全員で参りましたが、今回は妻と二人です。朝早く近鉄名古屋駅を出て、伊勢市駅で下車。そのまま歩いて外宮まで行きました。外宮は内宮に比べて参拝者の数は少ないですが、非常に神秘的な森の中に在り、けれどもとても明るい光を感じさせます(上空から巨人に見られているような感覚です)。今回は特別参拝(御垣内参拝)をさせていただきました。御正宮の参拝後は、反対側の小さな山の上へと続く階段を登って(重要なお宮と言われている)多賀宮を参拝。後はゆっくり歩きながら、伊勢市駅まで戻りました。普通ならそのまま(バス等で)内宮へ向かうコースですが、今回は時間があったので、また電車に乗って(少し遠い)伊雑宮まで行きました。

伊勢市駅からさらに賢島方面へと下り、上之郷という小さな無人駅で降ります。そこまでの電車は二両編成のワンマン電車。駅員がいないため、切符は電車内の回収箱に入れてから下車します。そのようにして(誰もいない)上之郷駅を降り、普通の民家の間の小道を3分ほど歩くと、小さなお宮が在りました。そこが伊雑宮です(内宮の別宮です)。いろいろな識者や専門家のお話によると、全125社ある伊勢神宮の中で(内宮・外宮はもちろんですが)伊雑宮は最も重要なお宮とのこと。そのようなことを知り、確か10年程前(夏頃)の伊勢参りの際にも一人で来たことがあり、その時の印象がとても良く、また今回も参りました。本当に小さなお宮なので、参拝者の数も2~3人ほど。けれどもその森の参道の奥に在る御正宮の回りには、暖かな光のシャワーと鳥のさえずりが集まっていて、何とも言えない(原始的な)静寂空間でした。参拝を終え、隣にある御神田も観ました(此処で伊雑宮に奉納する米の田植えを毎年6月に行なう御田植式は、香取神宮・住吉大社とあわせて日本三大御田植祭とのことです)。

再び上之郷駅に戻り、一時間に二本の各駅停車に乗ってゴトゴトと上り、今度は五十鈴川駅で下車。タクシーに乗って内宮まで行きました。特に特別な行事の無い平日にも関わらず、やはり内宮の賑わいは凄かったです。駐車場を待つ車の渋滞もありました。此処で時間が正午を過ぎていたので、おかげ横丁でお昼を食べ、そしていよいよ内宮へ。あの有名な木造の長い橋(宇治橋)を渡り、玉砂利の参道を行きます。内宮は「右側通行」と書いてあり、皆、参道の右端を歩いて行きます(確か外宮は「左側通行」と聞いたことがあります)。外宮も内宮も参拝者の多くが、参道の端を歩くことや鳥居の下で(立ち止まって)一礼をすること等をごく自然に行っていました。他に気を付けるマナーとしては・・・御神木に手を触れない、石等を持ち帰らない、写真は正殿の正面からは撮らない、きちんとした服装でお参りする等があり、決して不敬にならないように神経を使います。決して観光気分では歩けない参道です。

御正宮への石段を一段一段と上がり、内宮も特別参拝(御垣内参拝)をさせていただきました。外宮も内宮も御垣内に入っての参拝は本当に緊張します。その瞬間まるで太古の日本へとワープしたかのような感覚がします。そして参拝後は御神楽を上げていただきました。雅楽の太古の響きにはいつも「厳しさ」を感じます。日常の人間同士の甘えとは程遠い世界が在り、身の引き締まる思いがしました。このようにして外宮~伊雑宮~内宮にて、それぞれの御札をいただき、そのまま真っ直ぐ帰路に着き、翌朝には自宅と会社の神棚に新しい御札をお祀りさせていただきました。ここで(やっと)ほっと一息です。古い御札を持って出かけて、新しい御札を持って帰り、新たにお祀りするまでの間(無意識にですが)ずっと緊張していたように思います。これがきっと伊勢神宮なのでしょう・・・。また来年以降も御礼参りに行けるよう、この日々を懸命に歩んで行きたいと思います。そして会社の創立70周年(2023年)の際は、また社員全員でお参りに行きたいと思います。確かもうその頃は・・・新しい天皇の時代、新しい元号の時代なのですね。次の式年遷宮に向けての神事もどんどん進んでいる事でしょう。さあ、新しい日本の風が吹く時代へ行きましょう。きっと素晴らしい時代に成ると信じて!!

最良の建築をプロデュースします。

Copyright © 2010 MARUNI Co.,Ltd. All rights reserved.