MARUNIの社長ブログ

今月は米国大統領にトランプ氏が決まり、いろいろな意味で衝撃の走ったひと月でした。国内でも博多の道路陥没という(前代未聞の)大事故が発生しましたが、幸いにして怪我人はゼロ(更には)たった一週間での完全復旧と、その対応力の凄さに素直に驚きました。日本は確かにいろいろな問題がありますが、なんとかして乗り越えられるパワーを持っていると感じます。逆に言うと今、表に現れて来ている課題の1つ1つに対して(隠さずに)誠実に対応さえして行けば、きっと道は拓けて来ると思います。

豊洲の盛り土問題にしても、東京オリンピックの多額な開催費用にしても、所謂「ブラックボックス」を破壊したことで、(確かに)一時的な大トラブルの発生中ではありますが、そこへ「光」を当てたことによって、きっと物事は(思い掛けない)良い方向へ収斂して行くと思います。結果として、「見えない部分を明らかにして良かった!」と成ると思います。その答えが見えて来るまでの間は苦しいですが、きっと時間が解決してくれると信じます。

盛り土の問題、道路陥没の問題、そして(少し前の)傾斜マンションの問題等は全て、「目には見えない地下(基礎)」の由来する事象でした。私たちはこうして(目には見えない)反対側へと光を当てることで(もちろん様々な不都合が生じますが)、それによって大いなる飛躍への一歩が発生するのではないかと期待します。米国もトランプ氏のような破壊力のある異端が現れたことで、今まで抑え込まれていた(隠されていた)鬱屈したエネルギーがきっと表面に出て来るのでしょう。それはそれで(今までの)体制側にとっては大変困ったことかも知れませんが、飛躍へのために必要なプロセスになると思います。

トランプ勝利の一報を聞いた時は、ある種の衝撃と共に、今後の日米関係に対する不安と恐れが走りましたが、その直後、真っ先に日本の首相が面談し、個人的な人間関係を結んだことで、先ずはほっと、安心感が出てきました。今後の防衛に関することも、日本にとっては、真剣かつ現実的に「国(国民)を守ること」を考えられる良い機会になるかも知れません。TPPの問題、ロシアとの関係構築等、当面の様々な国際的な課題がありますが、その中できっと日本が主導権を握る可能性を感じます。本当に何か(危機)が起きた時の日本の対応力、団結力は、圧倒的と思うからです。

国内経済も、2020年の東京オリンピック後への不安もありますが、むしろオリンピック以後、本当の日本の隆盛が始まるような気もします。地球上にこんなに安全で、安心で、優しくて、思いやりがあって、四季折々の豊かな自然がある国が他にあるだろうか・・・と、世界が知る機会と成れば、2020年以後からの観光立国への道が拓けて行きます。都会も田舎も、文化も歴史も、そして何よりも人間性そのものが観光資源です。

結局、全ての物事には「見える面」と「見えない面」があり、この「見えない面」こそが大事であるという「物の道理」が、この世界を貫く軸に成ったのだと思います。見えない基礎(工事)がいい加減であれば、その悪事は必ず表に出て来る時代です。でもその悪事が表に出たことによって、状況は(逆に)良い方向へ変わって行くはずです。

人間も同様で、「見える面」の前に「見えない面」、つまり「人間性」という基礎の部分への意識を持って、そこに光を当てて行く時代に成ったのではないでしょうか。目には見えない「人間性」のリーディング・カントリーが我が国日本だと思います。そのようなプライドを持って、21世紀を素晴らしい世紀にして行きたいと思います。何か・・・世界の流れが一変する気運を感じます。そこには危機感と期待感があります。この目で「歴史」を見てやろうと思います。


※ゴッホとゴーギャン展

2016_goghandgauguin_b.jpg

先日、妻と「ゴッホとゴーギャン展」を観に行きました。あまり絵には詳しくないので、ゴッホとゴーギャンが南仏アルルで共同生活をしていたことも知らず、ただ気楽に鑑賞したのですが、この二人の違いは、「目に見える世界」を描いたゴッホと、「目に見えない世界」を描いたゴーギャンとの対比でした。目に見えない世界までを描いたゴーギャンの絵は、とてもエキゾチックで、幻想的で、大変な迫力を感じました。一方ゴッホは、目に見える世界(風景や自画像)をそのまま描いているのですが、私たち一般人の目に映る普通の風景とは何か違っていて、全ての光や色や形が(渦の様に)グルグルと揺れていました。

ゴーギャンの場合は、(実際には)目の前に存在しない「何か」を絵の中に(意図的に)描いたのだと思います。でもゴッホの場合、「彼の眼には、本当に彼が描いた絵の様に(全てが揺れて)見えていたのではないか」とも言われています。だから「自分の眼に目えたものを、そのまま描いた」のは、確かにその通りだと。

芸術的な優劣は全く分かりませんが、ゴーギャンが長生きし、ゴッホが自死したことを考えると(生き方として)ゴーギャンの方が健全だったことが分かります。でももし(本当に)「ゴッホの眼には、全てが(彼が描いた絵の様に)グルグルと揺れて見えていた」としたら、正常な精神を保ち続けることは難しかったと思います。いずれにしても、見える世界と見えない世界の不思議なバランスが、芸術を生み、人生を生み、この世界を創っているのだと感じました。


国際オリンピック委員会(IOC)会長のバッハ氏が来日し、小池都知事と会談を行いました。東京オリンピック開催に関わるコスト削減に積極的に協力して行くとの事です。オリンピック開催に関わるコスト削減は(東京大会のみならず)今後の大きな課題です。今回の2020年東京大会を機に開催国(開催地)の負担軽減への新たな道筋が生まれれば、これも1つの成果と成るでしょう。財政が豊かとされる東京都でさえも、オリンピック経費の負担が重い時代です。バッハ会長と小池都知事、そして日本政府が今後の新しいオリンピック概念を打ち出してくれることに期待します。

同時に、東京オリンピックや豊洲問題に関する闇(ブラックボックス)の部分の解明についても、決して手を緩めず、全てを明るみに照らし出して欲しいと思います。そう成れば、この潮流は東京から日本全体へ、そして世界へと広がって行くに違いありません。今、東京で起きている事が世界の雛形と成り、社会の浄化作業が始まるかも知れません。恥ずかしながら、先ずは東京から膿(生み)出しです。

ところでバッハ会長の名前ですが、(残念ながら)あの音楽の父ヨハン・セバスチャン・.バッハの血筋とは違う様です。バッハとは「小川」を語源とする、ドイツにはよくある苗字とのこと。東京都知事が「小池」ですので、小さい川と小さい池で、もしかしたら相性が良いのかも知れませんね。音楽家のバッハに対する私の(勝手な)イメージは、「超人的な知性」と「温かい人間性」と云うものです。実際はどうなのかは(もちろん)分かりませんが、バッハの音楽からはそのような印象を受けます。

「知性」という面では、まるで幾何学的と言うか、数学的と言うか、音楽が自然界に存在する数字の(冷徹な)組み立てで完璧に設計されているように感じるのです。それにも関わらず、響く音楽はとても温かくて、優しくて、おおらかで、ユーモアもあり、深く崇高です。「音楽とは数学だ」と誰かの評論で読んだ記憶がありますが、バッハの音楽を聴くとなんとなく分かります。

画家で言うと、ゴッホの絵も好きです。あのカラフルな色彩が細かくグニャグニャと揺らいで渦巻く描写は、一体どういうことなのでしょうか・・・。素人では全く理解できないのですが、そこには知性というよりも感覚(霊感)的な写実を感じます。バッハもゴッホも、自分自身のアンテナ(受信機)から得た「自然界や宇宙の実像(正体)」をそのまま写実したに過ぎないのかも知れません。もしそうであるならば、この世の中とは、バッハのような数学的な音が鳴り響く、ゴッホのような色彩が渦巻く、振動の世界なのかも知れません。

バッハの音楽もゴッホも絵も、まるで自らがキラキラと光を発している生き物のようです。このことを「自灯明」と言うのでしょうか・・・。IOCのバッハ氏の名前から話が脱線してしまいましたが、あらゆる問題や課題に対して、常に自らが灯を燈し(光となり)、まわりを明るくして行ける存在になって行きたいと思いました。宮沢賢治の言う「(わたくしという現象は)因果交流電燈のひとつの青い照明です」も、そのような意味なのかも知れません。政治家も経営者も、そのひとつの青い照明として、まわりをもっと明るくして行かねばなりません。その光の渦が大きく成れば、闇に光が当たって行くでしょう。


※映画「君の名は。」

85fda0a0710fdf1e.jpg

話題の映画「君の名は。」を妻と観に行きました。とても良質で感動的な映画でした。美しいアニメであること、東京の街の描写が素晴らしいこと、音楽が若者に人気のグループであること等がヒットの理由と言われていますが、それと共に、①魂の移動②時空の移動③宇宙的視座という3つの要因もあるのではないかと感じました。

①の「魂の移動」とは、主人公の男の子と女の子の心が入れ替わるという設定のことです。肉体と精神は別々のもので、魂は肉体を離れて飛んで行くことが出来る。そういう概念が見えます。②の「時空の移動」とは、お互いに時間と空間を移動することです。この①と②は、既に大林宜彦監督の「転校生」や「時をかける少女」をはじめ、広く様々な作品の主題になっています。③の「宇宙的視座」は、彗星という宇宙からの飛来物が大きな役割を果たしていることですが、これは自然、宇宙、もっと言えば神(天)の象徴のようです。物語の中には、神社、巫女、口噛み酒(はじめて知りました)、この世とあの世の境界、そして糸が出てきましたが、これらは日本の神事をイメージさせます。糸は、縦糸と横糸とが交じり合って宇宙を創造すると言われています。

総評としては、若者向けの軽快なアニメで、作品としての評価は(自分的には)まずまずでしたが、それ以上に、この映画には若者たちの(無意識の)深層心理に訴える「何か大切なもの」が内在しているように感じました。それは(要するに)目には見えない世界の存在感(リアリティー)です。つまり、この世の中の実像(正体)が違和感なく表現されているように感じたのです。魂、宇宙、そして生きることの素晴らしさ。そういうことを真剣に考えられる時代になって来たのでしょう。それはとても素晴らしいことです。同じく東宝の「シン・ゴジラ」は、これから日本を襲うであろう危機への警鐘を果たし、この「君の名は。」の方は、若者の意識の目覚めを喚起しつつあります。映画って本当に凄いです。

2週間程前の10月8日は丸二の創立記念日で、おかげさまで今年で満63周年と成りました。これもひとえに全てのお客様、地域の皆様、関係各位の皆様のおかげと心から感謝の思いでいっぱいです。小さい会社ながらも、様々な新しい取り組みに挑戦し続けている日々ですが、会社の成長と共に社員さん一人ひとりの人間的な成長もとても嬉しく感じています。

今、社内では「丸二品質」という合言葉の下で、技術・現場・仕事のあらゆる品質基準を高めて行く運動を行っていますが、その「丸二品質」の2つの視点が「心」と「技」です。「技」とは文字通り、技術であり、具体的な建築に関わる品質を高めて行くことです。けれどもその「技」と共に重要なのが、私たち一人ひとりの「心」「人柄」「人間性」ではないかと考えております。その1つの現れとして、(実は)私たちは多くの素晴らしいアスリート達から学んでいることがあります。

テレビでオリンピックやプロ野球等の中継を見ながら、いつも目が行ってしまうのは、日本の素晴らしい選手ほど自分自身のプレーするフィールド(グランド)への「礼」を行っている姿です。これは日本人固有の礼節や武士道の所作の1つであり、(もっと言えば)森羅万象への感謝という日本神道的な精神が隠されている様に思います。もちろん、実際に礼をする選手もいれば、心中で言葉を発している選手もいることでしょう。要は、自分自身が働く場(=聖地)に礼が出来ないようでは、本物のトップクラスには成れないということです。そのようにして丸二も、現場監督が現場への礼を行える建設会社に成って行こうと決意したのです。

礼の旧字体は「禮」というとても素晴らしい字で、神様(示)への豊かなお供え物の意味だそうです。まさに「天に生かされている」という深い感謝の念そのものです。このような天(お天道さま)に対する日々の感謝の意識こそが、(きっと)その人を最高のステージへと引き上げてくれるのでしょう。そして、聖地での最高のパフォーマンス(仕事、品質)を実現させてくれるのでしょう。丸二にとってのフィールド(グランド)はまさに現場です。私たちの現場への「禮」の意識が高まることで、最高の品質が実現できる・・・そう信じ、私たちの心の根幹に「禮」を置いて行きたいと思います。

同時に今、私たち丸二の現場では、「標語看板」を掲げています。これは、私たちが社内で使用している(ある種の)「合言葉」をそのままプリントした看板なのですが、例えば、「日々、1mmの前進」「良い縁、良い建築」「縁を結び、縁を繋ぐ」「正直、素直、謙虚」「現場は心の映し鏡」「迷ったら良心に問う」等があります。この標語(合言葉)を各現場にて(あえて)標榜することで、その現場で働く人々の意識に向けて、良い影響を与えて行けるのではないかと考えております。

もし丸二の現場を見掛けましたら、ぜひ「標語看板」を見つけてください。そこに書かれている言葉を胸に置いて、みんなで一生懸命がんばっております。この「標語看板」のバリエーションはこれからどんどん増えて行きますが、その言葉に恥じない仕事を行って参りたいと思います。こうして今後も丸二の道を歩んで行きますので、何卒よろしくお願いいたします。ありがとうございます。

戦争と平和

2016年9月27日

9月に入ってすぐ、北朝鮮による核実験が行われましたが、まさに自宅の隣で核兵器が製造され、その銃口が我が家の方向へ向いている現実に(あらためて)背筋が凍る思いがしました。相手が同じ日本人であれば、馬鹿な真似はしないだろうと静観も出来ますが、実際はそうではありません。政府としては、常に最悪の想定に基づく現実的な準備を行いつつも、そうは成らない為の外交努力を行っているはずです。私たち国民一人ひとりも、同様の防衛意識を持ちながら、日本国内の(それでも他国に比べれば)平和な毎日に感謝を送りたいと思います。

今思えば、日本の<昭和>とは「戦争」と「経済発展」の時代であり、<平成>とは「平和」と「経済収縮」の時代だった様です。天皇陛下の生前退位が実現と成ると、もうすぐ「平成」も終わりを告げます。この「平成」という元号には(文字通り)「平和に成るように」との国魂の念が強く込められていたと思いますが、そのおかげで戦後70年以上、私たちは戦争の無い(奇跡的な)時代を生き続けています。そして今後も平和を維持して行くためには、近隣諸国との緊迫した情勢に対する現実的な対応と共に、平和への念を(私たち国民が)更に一層強く持ち続けて行くしかないと思います。ニュース等で天皇陛下のお姿を見る度に、心が震えます。唯、国民の平和への一念のみを感じるからです。

今の日本にとって一番大事なことは、もっと個人個人が、この平和な毎日への感謝の思いを(強く)持つことではないかと感じます。平和とはまさに奇跡的な現象です。実際の現実は、個人と個人との間でさえ、日々争い事が絶えない世の中です。今日のニュースでも、また新たな事件が報道されているでしょう。家族や知人友人との間柄でも、何かしらの不平不満があるはずですが、実はそれも(ある種の)心理的な戦争の1つです。極端に言えば、デモ運動も一種の戦争ではないでしょうか。つまり私たちは(知らず知らずの内に)心の中で戦争を始めているのかも知れません。自己の正義のために、毎日毎日、他人(または自分)を相手に、心の中で攻撃を繰り返している。そしてそのエネルギーの集合体が本当の戦争と化してしまう。あるいは、自分自身の心(自らの命)への攻撃と成ってしまう・・・。いずれにしても、全て戦争の1つ1つです。

真の平和とは、常に自らの心を穏やかにして、鎮めて行くことなのでしょう。だからこそ非常に難しい・・・。けれども、そうと気づくことさえ出来れば、人間は(少しずつ)変わり始めると思います。昭和時代から平成時代を経て、私たち日本人は、地球上で一番「気づくことのできる場所」に居るような気がします。だからこそ、この戦後70年以上の平和への感謝の思いを持って、この日々を懸命に生きて行きたいと思います。

歩いて行く

2016年8月29日

イタリア中部で大地震が発生し、死者が250人以上に達しているとのことです。被災された方々へのご冥福を心よりお祈りいたします。特に被害の大きかったアマトリーチェという町は、イタリア有数の観光地とのことで、ニュースで見た(地震以前の)街並みの美しさには心動かされました。このようなヨーロッパの古き街並みは、それ自体が人類の遺産です。けれどもこうして一夜にして崩壊してしまうと、日本的な言葉で言う・・・「もののあはれ」を感じさせます。以前ヨーロッパに行った際、イタリアはローマ、フィレンツェ、ミラノ、ベニスを巡りましたが、どの町も歴史の重さを感じさせるノスタルジアに満ちていました。「日本もこうあって欲しかった・・・」と感じたのを覚えています。

日本は地震国です。建物の耐震性を非常に大事にします。そのおかげで、大きな地震が発生する度に、耐震基準が上がり、時代と共に建物の建て替えが促進されて来ました。それは同時に、古き良き街並み、美しい景観、歴史的遺産を失う歴史でもありました。だからこそ、ヨーロッパの街並みに対する強い憧れの思いがあったのでしょう。けれどもこうしてみると、人類の造った文明は(いずれ必ず)消えて無くなるものだと分かります。諸行無常とはまさにこのことなのでしょう・・・。結局、日本は(失うものも多かったと思いますが)世界一安全な国土に成ろうとしています。地球が大掛かりな地殻変動期に突入した今、日本人の先人たちの先見性に(あらためて)感謝いたします。

日本の建物は、世界で一番(断トツで)安全です。このことは今後大いに評価されて来ると思います。古き良き家並みが(時代と共に)失われたことへの寂寥感もありますが、今と未来を生きる日本人の生命と生活を守ることも何よりも大事です。目に見えるものはいつか朽ち果てて行きます。これからは目には見えない、決して朽ちない文明の時代に変わるのでしょう。それはきっと人間の精神文明ではないでしょうか。「日本人の心」が人類最大の(生きた)遺産に成って行くのではないかと期待します。もし将来、世界全体が大和の心を持ち得るとしたならば、きっと戦争も終わるのでしょう。

宮沢賢治が「農民芸術概論綱要」で述べた言葉の中に、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである」とあります。個人の幸福は、世界全体の幸福によって成されるのである。けれども世界全体の幸福とは、個人が自らの中に銀河系を置き、(そこに生まれる)個人の「(今)此処に生かされている」ことへの深い感謝の念(の集合体)によって成されるのである。禅問答の様ですが(要は)日本人一人ひとりの感謝の思いの蓄積こそが、世界の全体幸福への道を切り開く突破口と成るのではと期待します。今の厳しい現実(最悪の想定)に懸命に対処しながらも、明るい未来へ向けて、日本人(大和)の心を世界へ広げて行くこと。2020年東京オリンピックがその起点に成れば何より幸いです。

そして丸二は、日々(世界一)安全な建物造りに全力投球しています。その誇りと使命感を強く心に意識しています。まるで銀河系を自らの中に意識して、これに応じて行くかのように。そう思えば、日々建設現場で行われている工事作業の1つ1つが、まるで神事のように感じられて来るから不思議です。今日の1つ1つの仕事や作業が、住む人や街を護り行く所作の1つ1つに成るのではないかと・・・。あらゆる正しい仕事とは、このようにして(本来)とても畏れ多いものなのかも知れません。それが故に、仕事を「している」のではなく、「させていただいている」という実感が(自然に)生まれて来るのです。

私たちは、現場に対する「礼」の意識を大切にしています。スポーツの世界では、優秀なアスリートほど礼儀正しく、自らの競技フィールドへの入退場の際、一人静かに「礼」をしています。この姿に私たちは心動かされるのです。丸二もこの素晴らしい姿勢を見習って、「人や地域のお役に立ちます」と念じつつ、日々現場に対する「礼」の意識を持ち続けて行きたいと思います。そして、全体の幸福と個人の幸福の実現を目指しながら、日々1mmづつ、歩いて行きます。

リオデジャネイロ・オリンピックがいよいよ佳境と成って来ましたが、日本が善戦中で、まだまだメダル獲得に期待が持てます。先日は卓球女子の団体戦が終わり、日本は銅メダルを獲得することが出来ました(本当におめでとうございます!)。福原愛選手の「苦しかった・・・」という言葉と、目から溢れる涙には、何かとても清らかなものを感じました。もし日本の卓球界に彼女の存在が無かったら、石川選手や伊藤選手の出現も無く、もしかしたら男子の水谷選手の大活躍も無かったかも知れません(男子は団体で銀メダル獲得!)。本人としては悔しいオリンピックだった様ですが、(目には見えない)とても大きな力をまわりに与え続けたのではないでしょうか。

日本はもちろん、中国の人々からも愛される福原選手の人柄(人間性)の根源には、一体何が在るのでしょうか。最後の最後で、競い負けしてしまう試合もありましたが、それは彼女の人間性の深い部分に、どうしても隠し切れない程の何か・・・巨大な優しさが鎮座していたからでは無いでしょうか。勝負の世界では、それは弱さであり、徹底的に排除すべきものです。けれども彼女は、その自らの弱さを愛し、守りながら、厳しい勝負の世界に身を置き続けています。その潔い姿に温かな感動を覚えるのです。2020年の東京オリンピックへの挑戦を行うかどうかはまだ不明の様ですが、本人は「リオで最後」と心に決めているような感じもします。彼女の優しさは(むしろ)これからの日本と中国、韓国、台湾との心の架け橋と成ると思います。そして今まで以上に、世界に大きく羽ばたいて欲しいと心から期待しています。

この夏、日本は、オリンピック期間中に終戦記念日を迎えました。あれからもう71年が経ちます。地球の裏側では熱い戦いが繰り広げられています。けれども戦争に比べたら、本当に幸福な戦いです。TVに映るリオの風景の中に、あの有名な「コルコバードのキリスト像」 の(丘から)街を見下ろす姿が幾度となく現れますが、この美しくも幻想的な神々しさと、眼下の街に横たわる日々の生活の間には、きっと大きな乖離があるはずです。けれども、日本人もブラジル人も、共にその乖離の幅を(一生懸命)縮めて行く日々奮闘努力をしている最中なのだと、静かなる勇気と感動を覚えました。

今回のオリンピックでは、現地のブラジルの方々が私たち日本人選手を熱い声援で応援してくれています。それが本当に嬉しい。歴史的に縁の深い両国が、共に地球の裏側同士の縦軸と成って、またこうして強く結ばれて行くのでしょう・・・。2020年の東京オリンピックが本当の意味で「平和の祭典」に成る様、日本人の奮闘努力がこれから始まります。


※映画「シン・ゴジラ」

0d48af82.jpg

お盆休み中、妻と2人で話題の映画「シン・ゴジラ」を観に行きました。場所は新宿TOHOシネマズです。此処はかつての新宿コマ劇場の跡地であり、その隣には、子どもの頃によく来た映画館「新宿プラザ劇場」もありました。現在は立派な高層ホテルとシネコンの複合施設です。「新宿プラザ劇場」では、「未知との遭遇」と「スターウォーズ」の封切を鑑賞した思い出があります。子ども心に、果てしない宇宙に対する憧憬と好奇心で胸が一杯に成りましたが、今でもその思いは変わりません。

さてゴジラですが、これも子どもの頃、地元吉祥寺の古くて小さな東宝の映画館へ何度か見に行ったものです。一番記憶に残っているのは「ゴジラ対キングギドラ」。昔の普通の男の子は、みんな怪獣映画が大好きでした。その後TVでは「帰って来たウルトラマン」が始まり、それもすぐに夢中に成りました。そして時代は流れ、ハリウッド版のゴジラも製作されましたが、大人になって映画館でゴジラを観るのは今回が初めてでした。そして意外にも非常に面白く、楽しい時間を過ごすことが出来ました。

現在の東京に突如ゴジラが出現するという物語設定の背景には、今の日本が直面している危機管理(防災意識・防衛意識)を見ることができます。また放射能(原子力)に対する問題意識も描かれています。娯楽映画ですからそこに何かしらの意図や主張は無いのですが、必要な事は「今やるべきこと」と「将来の為にやるべきこと」を明確に分けられる思考力のような気がします。得てして「今やるべきこと」と「将来の為にやるべきこと」が相反することが多いからです。その巨大な時間軸を空間的に把握できる能力が、これからのリーダーには必要ではないかと感じました。

ゴジラ映画と言えば、伊福部昭氏が作曲したテーマ音楽が有名です。今回の映画でも使用されていましたが、特に最後のクライマックスで流れていた(古い音源のままの)戦闘的な音楽の爆演(!)は、最新技術の映像とのアンバランス感が凄く、それが故に不思議な高揚感を生み出していました。これは庵野監督の意図なのでしょう。伊福部昭という日本の作曲家のことも、今まであまり認識していなかったのですが、ゴジラ以外でも非常に多くの管弦楽曲等を作曲している正統的な現代音楽の作曲家と知りました。これを機会に他の曲も聞いてみたいと思います。

ゴジラのような怪物がなぜ長い間、映像化され続けるのでしょう。なぜ忘れた頃にやって来て、私たちの街を破壊して行くのでしょう。なぜゴジラの形態は、あのような恐ろしい(畏ろしい)姿かたちをしているのでしょう。ふと、そんなことを思います・・・。きっと日本人の心のどこかに恐れるべき(=畏れるべき)存在が常に内在しており、私たちがその畏れ(=畏敬の念)を忘れ掛けた頃に成ると、その「不安感」「危機感」の集合意識が物質化されて、日本人の前に突如出現するのかも知れません。伊福部昭氏の摩訶不思議な音楽を聴くと、それもあながち嘘では無いような気がして来ます。ゴジラとは、日本人みんなの心の中に住んでいる「鬼神」なのかも知れません。

優しいほほ笑み

2016年7月26日

半月前の参議院選挙は、大方の予想通り、与党が票を伸ばす結果と成りました。先の英国の(EU離脱を問う)国民投票のような番狂わせも無く、とても静かな選挙でした。また今回から18歳以上に投票権が与えられたことで、どのような変化が起こるかが興味津々でしたが、蓋を開けてみれば、18歳、19歳の投票先も他の年代とさほど変らなかった様です。一方、英国の若者たちの多くはEU離脱に反対でしたが、上の世代が賛成票を投じた為、離脱が決定してしまいました。このような世代間の主張の違いには、非常に辛い面が残ると感じます。また米国では差別を起因とする暴動が拡大化しています。

純粋な考え方の違いのみであれば、お互いに歩み寄ることが可能ですが、違う世代同士、違う人種同士、違う宗教同士の対立は、そうは行かない面があるのかも知れません。日本と云う国は、仮に考え方の違いはあっても、多くの若者は高齢者を敬い、人種問題も無く、宗教は何でも認めるというおおらかさがあります。選挙が静かということは、(逆説的には)成熟した社会の証なのかも知れません(投票率の低下は問題だと思いますが・・・・)。

けれども実際の世界情勢は、全く反対の方向へ動いています。先のバングラディッシュのテロ事件のように、日本人だからと言って安心安全な場所は無くなって来ました。動揺と緊迫の日常が世界中を覆っています。もちろん日本もその覆いの中に在る訳ですが、他国とは少し雰囲気が違うような感覚を持ちます。悪く言えば「大人しい」のですが、良く言えば(全てでは無いですが・・・)「大人」なのかも知れません。現在、東京都知事選の真っ最中ですが、おそらくこのまま大きな盛り上がりも無く、淡々と誰かに決まり、淡々とその結果を受け入れて行く都民がいることでしょう。「和」の心とは、きっとそういうものなのだろうと思います。

参議院選挙の結果を受けて、憲法改正論議が徐々に高まって来ていますが、日本の憲法と言うと、聖徳太子が作った「十七条憲法」を思い起こします。その第一条の「和を以て貴しと為す」には、日本人の心、精神、文化の全てが表現されていると思います。これは他国には無い概念なのでしょう。そのような面から日本の憲法を再構築していく道はあり得ると感じます。つまり、日本と云う国の成り立ち、日本人の特性、21世紀の日本国の役割を再認識しつつ、目の前の厳しい現実を直視する機会に成ればと思います。

その厳しい現実とは、(例えば)EU内の難民問題であり、世界中で発生中の組織的テロであり、東アジア周辺の緊迫した領土問題であり、地球環境の汚染や資源の枯渇問題も依然として在ります。最近では、まるで突然何かに憑かれたかのようにして、一人の普通の人間が(信じられないような)大事件を起こすことも増えています。今朝の相模原の障害者施設の事件もまた(まだ詳細は不明ですが)一人の若者による凶行のようです。

大地が揺らぎ、火山が揺らぎ、そして人々の精神が揺らぎ始めている時代においては、国家も、個人も、企業も、常に最悪を想定した危機管理に徹することで、平和で安心・安全な日々の生活が守られていくと思います。日本も確かに様々な重要問題が山積中ですが、他国に比べれば、(まだまだ)ありがたい暮らしが在ります。2600年以上(全く途切れず)継続している皇室の存在も実は非常に大きいと感じます。これからどんどん世界の人々が(相対的に)日本を羨ましく思うように成るのではないでしょうか(今の日本人は無自覚ですが)。その羨ましさが「尊敬」へ向かう人(国家)もあれば、妬みへ向かう人(国家)もあるはずです。この「妬み」に対する危機管理は、忘れては行けないと思います。

米国の新しい大統領がどちらに成るかは分かりませんが、今後の日米関係がより良い方向へ向かうことを祈ります。日本人としては、お日さまへの感謝の心を忘れずに、日々の仕事や生活に(笑顔で)努力して行きたいと思います。2020(ニコニコ)年の東京オリンピックへ向けて、ニコニコの日本、ニコニコの東京をイメージして行きたいと思います。


※喜劇役者

middle_1284835721.jpg

ニコニコと言えば喜劇ですね。私が好きな喜劇役者さんは、渥美清とバスター・キートンです。渥美清さんは今年が没後20年ということで、これからBSプレミアム等で関連番組が放映されますが、今からとても楽しみです。バスター・キートンさんは、偉大な喜劇王チャップリンの陰に隠れてはいますが、何があっても無表情で、それがとてもおかしいのです。代表作は「大列車追跡」と「セブン・チャンス」で、あの体を張った演技は、今の役者さんには到底真似できないでしょう。渥美清さん(松竹映画「男はつらいよ」)と藤山寛美さん(松竹新喜劇)は、お互いに尊敬し合いながら、共に映画と演劇の分野で、当時の「松竹」の屋台骨を支えていました。その重圧は大変なものだったらしく、(文字通り)2人は命を縮めて、役者人生を全うしました。バスター・キートンさんも、危険なシーンの撮影中に、首の骨を折ってしまったにも関わらず、そのまま撮影を続行し、後に骨折の痕が見つかったとのことです。一歩間違えれば、命を落としていたのに・・・。やはり後世まで残る人物とは、その瞬間、瞬間を、他の誰よりも懸命に(=命を懸けて)生きていたのだと思います。だからこそ、自らの命を削った「笑い」の中に、深い無常観と優しいほほ笑みが宿ったのではないでしょうか・・・。

自ずから歩み進め

2016年6月15日

先月は、伊勢志摩サミットが無事に終わり、オバマ大統領の広島訪問も予定通り行われました。先ずは大きなトラブルも無く、本当に良かったと思います。また今回のサミットでは、世界の先進国の首脳たちが伊勢神宮を訪れました。一人ずつ宇治橋を渡り、あの美しい小石の長い参道を歩き、内宮本殿の石段で記念撮影を行っていましたが、そのシーンを見た時、何とも言えない明るく清らかな気持ちに成りました。世の中では日々、本当に大変な事が起きていますが、各国の首脳がこうして今、日本の伊勢神宮に集まり、(仮に一時でも)晴れやかな表情を浮かべていたという事実が、何かきっと大きな意味を持って来るのではないかと期待します。オバマ大統領も伊勢と広島で何かを感じ、米国へ持ち帰ったのではないでしょうか・・・。

政治的、外交的には、日本はいつも負けてしまうのですが、諸外国の要人の方々が持つ、日本の皇室や神宮に対する並々ならぬ敬意は、(確かに表面的には抑えていますが)その表情や体中から滲み出ているように感じ取れます。今回のサミットで伊勢神宮の映像が世界へ配信されました。これから多くの外国人が訪れるようになるでしょう。多分きっと、「此処こそが世界の真の聖地だ」と感じてくれるかも知れません。地震国、火山国、そして世界唯一の被爆国という宿命を背負った日本と云う国の本当の姿を、世界が知る時代に成ったと思います。

話は変わりますが、今、NHKで「トットてれび」というドラマが放映されています。これは黒柳徹子さんのデビュー当時を描いたコミカルなお話で、なかなか面白いです。主演の満島ひかりさんが黒柳徹子さんを演じていますが、これがまた非常に似ていて、つい笑ってしまいます。また当時の仲間の中に(私の大好きな)寅さんこと、渥美清さん(中村獅童さんが演じています)がいて、これも興味津々です。と言うのも、実は黒柳さんと渥美清さんは当時、噂になったことがあるのです。けれどもこのお二人のことですので、とても面白おかしく取り上げられた様ですね。その辺の事は、後に「徹子の部屋」に渥美清さんと倍賞千恵子さんがゲストとして招かれた際に、いろいろと話していましたが、それがまた非常におかしかった。本当にお二人ともユニークな人です。

黒柳徹子さんは、子どもの頃は(今で言うところの)ある種の発達障害だったそうです。それでも持ち前の明るさと、努力に努力を重ねて、大きな人生を築いて来ました。長年、ユニセフ親善大使も務め、社会に大いに貢献しています。人生とは本当に分からないものです。ただ言えることは、自らのハンデを(明るく)乗り越え、見えないところで小さな努力や善行を積み上げて来た人に、本当の成功や幸福がやって来る様な気がします。イチロー選手にしても、大変な努力の積み重ねの結果、あれだけの天才技が出来るようになったはずです。でもこれは、実際にはなかなか出来ないことです。それでも私たちには、この日々を懸命に努力していく道が在ります。先ずはその一歩一歩を明るく歩み始めることではないでしょうか。

私たち一人ひとりが、明るく晴れやかな気持ちで、この日々を生きて行くことが先ず第一だと思います。世の情勢によって自分自身の気持ちが左右されるのではなく、どのような時でも、自分自身の気持ちを明るく晴れやかに保って行く時代に成ったと思うからです。そのような一人ひとりの明るい気持ちが大きな束と成って(初めて)、その集合体(国や地域)に本物の「光」が灯るのではないでしょうか。もう誰かに依存するのを止めて、自らの自立を目指すべきです。そう思えば、全ては自ずから歩み進むことによって、時代も明るく変化して行くでしょう。この夏、丸二はさらに明るい気持ちでがんばって行きたいと思います。


hqdefault.jpg

spirit_beehive_landscape.jpg

※映画「ミツバチのささやき」(1973年:スペイン)

スカパーの映画チャンネルで、1973年製作のスペイン映画「ミツバチのささやき」(監督:ビクトル・エリセ)を鑑賞しました。この映画の事は題名以外ほぼ知らず、先入観ゼロで見ることが出来たのですが、その全編絵画の如く美しい映像風景に大変心を打たれました。物語性という意味では起伏は小さく(内容的にも)一体何が主題なのかが少々分かりにくい面もありましたが、スペイン内戦の末の苦しい独裁政権下における、一人の少女の意識の目覚めが、全編夢のような暗喩世界として繰り広げられていたのではないかと感じました。

物語自体は、決して明るく楽しいものではありません。どちらかと云うと暗く、陰鬱で、物悲しく、そして荒涼とした寂しさすら感じます。けれども主人公の少女アンの持つ透明無垢な可愛らしさとスペインの厳しくも美しい広大な原野を吹き渡る風と光が、何故か不思議と明るい未来へと私たちを誘ってくれるような気がしました。最後に少女アナは、様々な経験をした後で、夜の窓を開き、神々しい光の中に立ちます。その後ろ姿に、未来への明るさを予感させます。

独裁政権に対する批判を直接表現できない時代だからこそ、このような作品が生まれたと思います。けれどもそのおかげで、(単なる批判・批評を超えた)人間個人の持つ崇高な意思の力と未来へ向かう明るい光の束、そして、それら全てを包み込む天の温かい眼差しを、(美しい映像風景として)同時にフィルムに焼き付けることが出来たのでは無いでしょうか。「ミツバチのささやき」はそのような映画でした。どんなに厳しい時代でも、どんなに苦しい時でも、自ずから歩み進み、自らの意志で窓を開ければ、誰もが「光を観る」ことが出来るのです。

上杉謙信を思う

2016年5月21日

三菱自動車が日産自動車の(事実上の)傘下に入ることが決まり、今回の不正問題から端を発した新たな自動車業界の再編が進んでいます。これで日本の大手自動車メーカー2社(日産・三菱)が実質的にルノー(フランス)に支配される構図となり、シャープに続き、日本企業の弱体化が目立つ様になって来ました。けれども実際はルノーの経営も低迷中で、日産が支えているとのこと。本来の企業としての実力がありながら、どうも日本は戦略的に負けてしまう面がある様です。これも日本人的と言えば、その通りなのかも知れません。

日本人は「和」を重んじる国民性なので、そもそも戦い(攻撃)は苦手です。日本の歴史の中で最も人気があるのが戦国時代ですが、日本としては極めて稀な(戦闘的な)時代だったが故に、関心度が高いと言われています。その後の明治以降の戦争も(基本的には)世界の覇権獲得の為と云うよりも、国を守るための防衛的(危機意識)な性格が強く、そうせざるを得ない、やむにやまれず、という面が時代の底流に横たわっていたのではないでしょうか。けれども戦争は戦争ですから、実際の戦場では勝つ為の戦闘行為しか無かったと思います。そして日本は敗戦を迎えました。

私自身、戦国時代をそれ程好きな訳ではないのですが、信長は確かに凄い革命家だったと思いますし、秀吉も相当魅力的な人物だったのでしょう。家康は江戸時代を築いたことで、その後の日本の歴史的な道筋と文化を造ったと思います。その他、実にたくさんの戦国武将がいて、今では人気ランキングなどもありますが、その中で私が密かに興味を覚える人物が、上杉謙信です。上杉謙信は、戦国時代の越後国の武将で、軍神と呼ばれた人物ですが、他の戦国武将、戦国大名とは少し違う性質を持っていたそうです。

あの時代の戦国武将は、自らの領土拡張や天下統一を唯一心に追い求めていました。それが権力の獲得であり、自らの贅沢と安全の担保だったからです。とどのつまりは「野心」「欲」のためです(世の統治による平和の実現という大欲も含まれていたとは思いますが)。けれども上杉謙信は、そのような自らの野心や欲は無く、苦境にある者を救う為の戦いのみに、自らの生命を掛けたと云うのです。つまり「無欲」の人だったのです。

上杉謙信は、衰えていた室町幕府(足利将軍家)を支え、あるいは信濃国を奪われた人々のために強敵・武田信玄と壮絶な戦いを繰り広げました(川中島の合戦)。仮に勝ったとしても自分自身の領土に成らないにも関わらずです。歴史作家の井沢元彦氏の本に、「だが、全国でたった一人だけ領土欲ではなく義(正義)のために戦争をする大名がいた。それが上杉謙信なのである」「謙信は常に利害あるいは損得ではなく、善悪で物事を考える」とありました。これが本当であれば、大変な人物だったと思います。井沢氏は、「武田信玄があと10年長生きしても天下は取れない」とし、一方「謙信があと10年長生きしたら天下を取っただろう」と言う人がいないことが実に不思議であると述べています。

「無欲」「野心がない」「義のため」・・・これ以上に強い(畏しい)存在は無いでしょう。あの織田信長でさえ、もし戦場で謙信に出くわしたら「戦わずに逃げろ」と言っていたそうです。また、「敵に塩を送る」という言葉がありますが、それは、敵対する武田領に塩(生きるために不可欠)が不足していると知った謙信が、人道的な配慮として塩を運んだことから生まれた言葉だそうです。実際に、信玄の死の直後も、謙信は武田領に攻め込みませんでした。にわかに信じがたい話ばかりですが、上杉謙信が子どもの頃から寺に預けられ、そもそも僧侶に成る人物だった事と知ると、そこには常人では計り知れない程の何か、特別な背後の意志を感じさせます。

ところで、上杉謙信には女性説があります。様々な史料から、いくつかの確かな証拠があるとのことです。あのような時代の中で、女性の武将など全く想像はできないのですが、けれども謙信が遺した様々な(極めて異質なる)言動や事実を思うと、確かに辻褄が合う様な気もするのです。信長が「謙信とは戦うな」と命じた件も、信長の(男としての)美学だったのかも知れません。そしてその後の日本は、戦争に負けながらも、世界に大いなる影響力を与える国家に成長して来ました。きっと日本人のどこかに、「無欲」「野心がない」「義のため」という遺伝子が残っていたからだと思います。

日本は今こそ、もう一度日本人の遺伝子をONにして、良い政治、良い経営、良い生活を始めて行く時なのでしょう。今、日本の歴史ある大企業の中で多くの不正問題が発生していますが、私たちは此処で再び、日本の「義」の経営を思い出すべきなのでしょう。戦国時代ならば、確かに上杉謙信のような生き方では、天下を取ることは難しかったと思います。けれども今は、損得から善悪で物事を考える時代に変わりました。ある意味、女性性の時代、母性の時代に成ったとも云えます。ここで、上杉謙信の女性説とも繋がって行くのです。

オバマ米大統領がもうすぐ広島を来訪されます。人と人、国と国が、「義」で結ばれる時代は果たして来るのでしょうか・・・。私は、「義」とは「良心」の事だと思います。あの凄惨なる戦国時代の最中においてさえも、確かに「良心」の世界が在ったのです。この事は、今を生きる私たちにとって、大いなる勇気と成ります。「義」も「良心」も、結局は勇気と共に発露されるものです。日本も、日本人も、勇気を持って、この日々を懸命に生きて行けば、必ず道が拓けて行くと信じます。


明日への記憶

2016年5月 9日

石原慎太郎氏の最新刊「天才」を読みました。昭和の大政治家、田中角栄氏の人生を一人称(「俺」)で語るという異色の作品でした。田中角栄氏が首相に成った頃と云えば、私自身はまだ小学生でしたが、おぼろげながらも記憶は残っています。とにかく「凄い総理大臣だなぁ」と云う印象を持っていたと思います。その後、ロッキード事件で政界から姿を消して行った事も覚えていますが、決して悪人の様には思えませんでした。世の中には、私腹を肥やす為のお金と、志(大欲)を実現させるためのお金とがありますが、田中角栄氏にとってのお金は、(今になって思うと)後者だったように感じます。田中角栄氏は、中国との国交を回復させましたが、米国との関係にヒビを入れてしまいました。そこに(ある種の)大いなる意志が関与したのでしょう。

田中角栄氏は、自らが地方の土建屋として、汗水流して働きました。まさに此処が氏の人生観の原点であると思います。国家とは、現場で汗水流して働いている人々のおかげで成り立っている。華やかな物事の裏側には、泥にまみれて働く人々がいる。此処に真実の労働(仕事)がある。田中角栄氏が唱えた「日本列島改造論」は、脈々と長い年月を経て、確かに新しい日本の建設へ導いたと思います。そこにはきっと大いなる志(大欲)があったのではないでしょうか。けれども同時に、志が高ければ高い程、敵が増えるのも世の常です。そのようにして、本物の政治家はだんだんと少なくなって来ました。今もし、田中角栄氏の様な人物がいたとしたら、東日本大震災の時、そして熊本大地震の時、一体何をしたのだろうと、ふと想像します。熊本のその後は、まだ厳しい状況の様です。心から早期の復旧と復興を祈ります。

ところで、この小説「天才」ですが、田中角栄氏の人生を簡潔に知る上では非常に為に成りました。特に田中角栄氏が愛した二本の映画のことが記述されていたので、とても興味を覚え、その内の一本をDVDで鑑賞しました。「心の旅路」という古い米国映画でした。現代の多くの小説や映画、TVドラマ等で多用されている物語設定として、「記憶の喪失」がありますが、もしかしたらこの映画はその元祖なのかも知れません。戦争で記憶を失った男性と、その彼を救った女性との物語で、最後はハッピーエンドの素晴らしい感動作でした。けれどもなぜ、人間同士の愛情や感動の描く為に、主人公が記憶を失う必要があるのだろうか。ふと、そんな風に思いました。

800px-Random_Harvest_1942_-_Japanese_poster.jpg

多くの映画やドラマの中で描かれる記憶を失った人間は、(大体)物語の最後で記憶が蘇るのですが、そこで衝撃(カタルシス)がやって来ます。自らが記憶を失っている間の全てを思い出し、真実を知ります。そこには只々、あふれる涙と共に、大いなる感謝の念(あるいは大いなる後悔の念)が現れます。何か・・・ここに私たちの人生(生き死に)の根源的かつ普遍的なテーマが隠されている様に感じます。私たちは「大いなる真実」の記憶を忘れて、この日々を生きているのかも知れません。その「大いなる真実」を思い出すこと自体が、我が人生の目的のような気がするのです。同時に、まるで映画の観客が如く、我が姿を(全てを知っている誰かに)観られている様な気もします。このようにして、記憶を失う物語は、人間の潜在意識を震わせるのでしょう。私たちは、その映画やドラマの主人公に自らを投影し、本当は私自身の「大いなる真実(=記憶)」を探しているのではないでしょうか。

816kG1Q6RvL__SL1500_.jpg

さて最近、大林宣彦監督の映画「野のなななのか」のDVDが発売され、映画館で数回の鑑賞を経て、この度あらためてTVで観ました。この映画は北海道の芦別を舞台とした、過去の戦争の記憶と、人の「生き死に」(輪廻)を描いた独特かつ奇妙な作品です。「なななのか」とは四十九日のこと。人間と死者とが並行世界の中で同時に「生き死に」を繰り返しながら、この世の無常観を現したものです。そしてそこには、決して忘れては成らない戦争の記憶と、決して思い出したくはない心の傷が共存しています。けれども私たち人間は、過去の人生があって「今の人生」を生きているのです。だからこそ、過去の記憶を忘れずに、そこからの教訓を胸にして、今を立派に生きることが大事なのでしょう。その先にきっと素晴らしい日々が待っていると思うからです。

今こそ日本の歴史(過去の記憶)をもう一度振り返り、そこから重大な何かを感じるべき時なのかも知れません。それほど、今と云う時代は歴史的な大転換点に在ると思います。同時に、自分自身の過去の生き様をも振り返り、自らの人生の意味を探りながら、「今を懸命に生きること」に全エネルギーを使って行きたいと思います。そのような日々の歩みの中で、何かきっと大切な記憶(大いなる真実)が蘇って来るかも知れないから・・・。

最良の建築をプロデュースします。

Copyright © 2010 MARUNI Co.,Ltd. All rights reserved.