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良い方向へ流れている

今週の月曜は、「また・・・」とため息が出た福田総理の辞任がありました。総理大臣と言えば、国家における家長のようなもの。誰よりも力を持っていて、責任を持っていて、頼りにされる存在です。でも、今や「家長」という言葉は死語となり、多くの一般家庭でも父親の威厳が失われているように、国のリーダーの存在もいよいよ軽くなって来ました。「羞恥心」というグループが受ける時代ですから、これは国民全体の意識の投影であり、(良いか悪いかは別にして)今の日本という国の真実の姿なのでしょう。でも、家長がコロコロ変わっても、日々の日常生活は淡々と進んでいるわけですから、日本(=国民一人ひとり)の努力と底力とは、本当に大したものだと驚嘆します。だから、日本は(逆説的に)進歩発展していると言わざるを得ません。強く立派なリーダーが居なくても、国民一人ひとりが真剣に生きている。これからの共生の社会づくりへ向けての、意味のあるプロセスが始まったのかもしれません。
とは言うものの、私たちの中には、まだまだ政治やマスコミに「力」があるという幻想(錯覚)が残っているので、どうしても大勢に流されやすい。TVにたくさん露出している人は「偉い人」と刷り込まれ、その人の発言になびいてしまったりする。その「偉い人たち」に気に入られようと、芸能人やニュースキャスターも必死に摺り寄り、媚を売り、自らの立場を守ろうとする。本当は、視聴者の方を向いた番組を作らなければいけないのに、その「偉い人たち」に喜ばれることが第一になってしまった。もう本当は・・・偉くもないし、強くもないし、力もないし、軽い存在でしかないのに・・・。メディアの洗脳効果は、本当に怖いと思います。
そこには、視聴者(=国民、お客様)よりも、自分と自分の組織(自社、業界)を守ることを優先させてしまう視野の狭さがあります。そういえば前首相の辞任会見の時、驚くべきことに、「我が党へご迷惑を掛けた」とは言ったけど、「国民の皆様に大変ご迷惑をお掛けした」とは言わなかった。また今回の辞任劇においても、その目的は「我が党を守るため」であり、「国民を守るため」ではないことも明白。次の総選挙は、私たちの国民一人ひとりの見識が試される最初で最後の選挙だと思います。その結果は国民が全責任を負うことになる・・・。
だから、TVを見て判断しないようにしようと。もう今の時代、主なニュースはインターネットや情報誌等で充分把握できますし、CMスポンサーである大企業(=体制)を守るためのテレビ局の意図的な報道は、国民の判断力を誤らせます。当然、各局の同じようなバラエティー番組の数々は、国民の認識力を低下させるために一役買っています。だから、TVを見ないで、よ~く考えてみよう。それだけで、日本人のレベルはさらに飛躍的に上昇するかもしれません。これから世の中で何が起きようとも、すべては良い方向へ流れていくと思います。外側の情報に左右されずに、自分自身の認識力を高めさえすれば・・・。面白い時代です。
※ゆったりと流れて・・・
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ブルックナー/交響曲第8番 
ハイティンク指揮/ウィーン・フィル
最近買ったCDで、最高に良かったもの。ハイティンクのブルックナー8番です。ブルックナーの交響曲第8番は、この作曲家の最高傑作と言われていて、非常に長大かつ巨大。なかなか最後まで聞き通すことが難しい作品です。私も実は、全曲じっくり聴けたことがありませんでした。いわゆる名盤と言われるヴァント盤、チェリビダッケ盤、アーノンクール盤、テンシュテット盤等、数枚を持っていて、何度か挑戦したのですが、全然ダメ。ハッキリ言って、そんなにいい曲なの!と逆ギレ状態だったのです。ところが最近読んだ本でこのCDを推奨していたので、ダメモトで買って聴いてみたら、最後まで面白くてしかたない。背筋がゾクゾクしたり、鳥肌が立ったりする瞬間もあって、「ヤッター!」という感じになりました。でも、演奏自体は特別な特徴や強烈な個性があるわけでもなく、チェリビダッケやアーノンクールのような独特な雰囲気も無い。未だに論理的な説明は不可能です。音楽とは不思議なものですね。多分、「枝葉末節」にこだわる表面的な個性は、長きに渡って人の心を打ち続けること出来ず、常に最後に残るのは、「本質・根本」が真っ当な、目立たなくて、穏やかなものなのでしょう。この演奏も、静かで、ゆったりと流れていて、穏やかなものでした。こういう雰囲気の人が、政治の世界でも出てくるといいなあ。