社長ブログ

「農」と「林」

西松建設事件が起きて、政治がますます混迷しているようですが、このままだと余りにも問題が山積しすぎて(かつ巨大すぎて)、もう政治家も国民も、思考が止まってしまう状態になりそうです。こういう時は、思い切って環境を変えるのが一番いいはずですから、やはり総選挙でもやって、何か動きを作ってみた方が日本全体のためにはいいと思います。でも、勝つためにやる以上、なかなかそうも行かないのでしょうね。何でもかんでも勝ち負け、競争を重んじてきた社会システムですから、考え方は当然よく分かります。
でももう、さすがにそういう時代ではないと思います。政党政治というあり方も、これからは変わっていくんじゃないかと漠然と感じます。かつてのように「自由主義vs共産主義」というような大きな対立軸も無いですし、多くの人々の考え方自体に、そんな大差も無いと思います。あるとしたら、知っている情報の量と質によるものか、宗教的な部分だけだと思います。ただ、これも徐々にインターネット等の発達によって、情報が行き渡り、是正されていくと思います。となると、やはり個人の発想やアイデアの時代であり、全員がリーダーの時代になるではないでしょうか。
政党ではなくて、いい考えを持った個人が集まって、ひとつひとつの事柄について、よい智慧を出し合い、ベストと思われるいくつかの提案を示す。それを受けて、国民が意見や要望をどんどん出して、最後は多数決で決めていく。こういうシステムになればいいのになぁと思います。まあ、実際は無理なんでしょう。ただ、今のような状況が続くとなれば、政党という価値観が見えなくなるとは思います。
一人ひとりが、自立して、生活をしていくということになると、やはり「農」は重要です。最近私は、ある取材の中で、「尊敬する人」を聞かれた時に、「農業に従事している人」と答えました。人間が生きていく上で、一番の基礎は「食」にありますし、「食」の基礎は農業です。さらに農業は重労働です。そういう聖職に従事している人たちへの尊敬の念をもたないと、バチが当たるような気がします。
また農業は、「林業」や「漁業」とも言い変えられます。岐阜県中津川にある「加子母」という森林では、木を守り、森を守っている素晴らしい人たちがいます。森を育てるためには、間伐をして、光をあてなければなりません。これも重労働です。しかしながら、「木を切ってはいけない」という間違った一般常識のおかげで、日本の森は今、非常に荒れています。森と地球に住むすべての動植物にとって、森は大切な資源であり、それらを地道に守っている人たちは、本当に凄いと思います。東京に居て、そのような方々の恩恵を受けながら楽な生活をしているのに、せめて感謝の念だけでも持たないと・・・。
不況が終わったら(いつか終わるとして)、どういう社会が来るのでしょう。住宅に関して言うと、例えば「持ち家」よりも、「賃貸(的)」が増えてくると思います。所有意識が薄れていくからです。人々の精神構造がまるっきり変わると思います。また事実として、過去の大恐慌の際も、「賃料」の低下はあまり起こらず、賃貸のオーナー(家主)にとって、安定的な時代になると思います。ただ、入居者重視の視点で建てられた住宅であるということが大前提だと思いますが・・・。
もうすでに、人々のモノに対する意識は変わりつつあり、(今、増えているらしいですが)物々交換のサークルも生まれてきているようです。住まいと「農」の一体化も始まってます(家庭菜園)。これから建築は、「エコ・自然素材・風水・建築医学・コーポラティブ・破格の安さ・変わった形・小ささ」等がキーワードになってくると思います。不況が終わったら、あらゆる産業が変わります。それまでに、私たちは「農」や「林」から、多くのことを学ばなければいけないと思います。