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前夜祭にて

先日、(私と娘たちが卒園した)地元の幼稚園の園長先生が亡くなられ、昨日(教会式の)「前夜祭」に参列させていただきました。神父様がお話されていましたが、八十八歳という御歳で亡くなられた方の前夜祭としては、とても多くの方々がお集まりになったとのことで、教会は満席状態でした。祭式は教会式でしたので、オルガンの演奏、讃美歌、神父様のお話や祈りの言葉があり、最後には献花をいたしました。とても温かく、穏やかで、厳かな会でした。
園長先生には、私(姉たちも)もお世話になり、そして娘たちもお世話になりましたので、もう四十年来のお付き合いになります。本当に長い間、ありがとうございました。人間の成長にとって、幼少の頃の教育、経験、思い出はとても大切なものだと思います。私はとても弱くて、幼稚園ではよく泣いていました。それでも、幼稚園の日々の記憶は、今でも色鮮やかに、温かい温度で、体中に蘇って来ます。それもきっと、園長先生の持つ優しさのおかげだったのだと、今、感じます。
昨日の神父様のお話の中で、「幼稚園での教育は、記憶に残らないから良いのだ」という主旨の言葉がありました。なるほど、と思いました。大人になってからの教育や経験は、それなりに記憶に残り、誰から何を教わったのかも覚えています。それ故に、恩師に対する感謝の気持ちも持ち得ます。ところが、まだ幼少の頃のことは、本人自体がほとんど覚えていないのが普通です。誰から何を教わったのかも記憶には残ってないでしょう。だから、その恩を感じることも無いのかもしれません。
けれども、その人の心(潜在意識)は、すべてを覚えているはずです。小さな時、親から離れ、友達と触れ合う初めての共同生活で、本当にその後の人生を左右するほどの「何か」を身に付けたはずです。そしてそれは、大人になってからも確かに存在している。ただ、本人はその源泉を覚えていないだけのことです。そこには、目には見えない、存在を感じさせない、ある種の力を感じます。それは、目に見える、存在を感じさせるものよりも強いものです。
私たちは、きっと園長先生や幼稚園から「何か」を得たのだと思います。それは、今の自分自身を構成している心や体のどこかで「作動」しているはずです。感謝されることを期待しない「ただ与えるだけの愛」に生命をかける方々のおかげで、人間は一人ひとり、大人になって行く。四十年という長い歳月を経て、その御恩への感謝を献花に託すことができました。両親、恩師、そして御先祖の皆々様方。私たちは、その方々からの無償の愛のおかげで、生かしていただいている・・・。
さて世の中の方は、東電社長のお詫び、焼肉店社長のお詫び等、人間の生命に関わる重大事故を通じて、様々な人間模様が浮き彫りにされています。被災者の方々、被害者の方々、そして被害を出した側の責任者。お互いが地獄の苦しみの中にいるのではないかと思います。もう二度とこのようなことが起きない社会にしたいと、心から思います。多分きっと、世の中の仕組みがどこかで間違ってしまい、その仕組みの中で多くの人々が迷い、苦しんでいるように感じます。
2011年は、これから全く新しい社会を築き上げることを、皆が決心する年になると思います。それは「見返りを求めない精神」が基軸になると思います。名も残らないし、記憶や記録にも残らないけど、(何かできることを)やってみる・・・。園長先生の前夜祭は、小さくとも、大きな出来事でした。必ず良き時代への「前夜祭」にしてみせます。