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愛すべき今日

先月の大雨による鬼怒川の決壊で、大変多くの方々が被害に遭われましたことを、あらためて心よりお見舞い申し上げます。今回の災害を振り返ってみると、人為的な要因もあった様ですが、東日本大震災の時と同様、水の猛威の前に人間は成す術も無く、ただ鎮まるのを待つ他ありませんでした。防潮堤にしても堤防にしても、「万が一」の防災意識が無ければ、その整備や管理には(なかなか)本腰が入らないものです。実際に、このような大自然の猛威に対抗して行くだけの智慧と財源が不足しているのも事実でしょう。今後は、人が居住するに相応しい安全な地域と避けるべき危険な地域とを明確に調査区分し、(数百年を掛けてでも)自然と共生できる社会を造り上げて行くべきなのでしょう。当面は出来る限りの防災対策を強化しながら、最悪のケースを想定しつつ、そうは成らないための準備と計画の継続だと思います。
ところで「自然との共生」と言うと、一見とても優しくて耳触りの良い言葉ですが、実際には「A(自然)とB(人間)がお互いに歩み寄って共存して行くこと」では無く、「絶対的なA(自然)に対し、B(人間)が完全に合わせること」でしょう。自然側が人間側に歩み寄って来る訳が無いからです。人間(人類)の出方次第で、自然界は(その反射としての)対応を(自動的に)決めているだけです。だから「自然との共生」とは、人類の(自然界に対する)「無条件降伏」とすら言えそうです。そこには、人間の都合等に一切耳を貸さない厳格さと凄みが在ります。つまり「自然との共生」とは理念とかビジョンのためのお題目ではなく、人類全体としての「義務」なのかも知れません。
日本は(先の戦争で)「降伏」によって、(結果的に、後に)「幸福(平和)」を手にした類稀なる国です。東日本大震災も、今回の洪水も、自然界からの(ある種の)警告であり、日本人に対し「自然界への降伏」を呼びかけているような気がします。自然の猛威が減少する暮らし方や生き方を(先ず日本から)始める道が示されている様に感じます。私たち人間が、真に降伏すべき相手は「他国」では無く「自然界」なのでしょう。その分、自然界への敬意や畏怖の念が本物であれば、自然界は必ず応えてくれると思います。そういう意味で最も「信頼」できる相手です。ところが、これが人間同士、国同士と成ると、そうは行かないのが現実です。
先月は、懸案の「安保法案」が大混乱の末に可決されましたが、「言うことを聞かない」「話が通じない」「信頼できない」「暴力的な」相手が存在する現実を目の前にして、「平和国家である日本は、これからどうすべきか」が問われている様な気がしました。安保法案の賛成派も反対派も、「日本を守るために」という(方法論としての)指向性は共通していると思います(お互いの持つ情報と判断基準が全く噛み合ってないと感じますが・・・)。先ずは、とにかく、現在の正しい情勢(=真実)を(国全体で)共有し合うことが大事だと思います。
さて、この一カ月は、ラグビーのワールドカップで日本代表が大活躍をしましたが、日本人と日本を愛する外国人の混成部隊が1つの大和魂と化して、巨大な相手に立ち向かって行く姿は、あまりにも感動的でした。その中心的存在である五郎丸選手は、「今を変えなければ、未来は変わらない」という信念の下で、自分自身と闘っていたとのことです。やはり、日々の努力が明日(未来)を造るのですね。だから、今を大事に、今できる事に最善の努力をし続けること・・・これ以外の成功法則は無いのでしょう。個人も会社も国家も、目の前にある困難や苦労こそが(実は)後の「上昇」の種であると知り、同時に、目の前にある順調や成功が(実は)後の「落下」の種であると気づくべきでしょう。今回、ノーベル賞を受賞された大村智氏も、「人の役に立つこと」だけを考え、日々地道な努力(苦労)を積み重ねて来たとのことです。日本は今、大いなる上昇の種をたくさん生み出していると言えます。
3.11直後のあの日々を、もう一度、思い出したいと思います。全ての日本人が謙虚に成って、質素に成って、深い祈りを捧げ続けました。街の灯りを少しだけ落として、贅沢を(気持ち)節制し、喧騒の中にも静けさを設け、うるさいTVがやや落ち着きを取り戻し、人々は家族や仲間と共に今日の日を生きられる実感を味わいました。あらゆることを、他者のせいにせず、ただ淡々と現実を受け入れ、目の前にある今日を懸命に生きました。そこには、日本人の「こころ」がひとつになった日々があったのです。ラグビーの日本代表が(世間から注目されることもなく)こころひとつにして、大変厳しい日々の練習(訓練、修行)と懸命に闘い続けた4年間も、きっとそこから始まっていたのでしょう。日本人は、あの日々を忘れてはいけないと思います。きっと自然界はそこを観ていると思います。
※「ロマンティック」と「愛すべき今日」
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クラシック音楽が好きで、時々、古い録音のCDを買うのですが、今回はブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」/ヨッフム指揮&アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1975年)を聴き、とても感動しました。ライブならではの臨場感と高揚感があって、この曲の素晴らしさがとても良く分かりました。ヨッフム指揮のブルックナーは、他にも5番、7番、8番、9番の(晩年の)ライブ録音がありますが、全部大好きです。ヨッフムの奏でる音楽は、決して美音ではなく、ゴツゴツした岩山ように感じられます。まるで外観を飾らない「無骨な人間」の姿の様です。けれども、その内側(内観)には、美しく優しい川が流れているような気がします。外観が洗練されていても、すぐに飽きてしまうモノが多い中で、決して地味で目立ちませんが、いつまでも光り輝く存在だと思います。
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日本のロックバンドの「エレファントカシマシ」も(相変わらず)地味で目立たない存在ですが、ごく普通の人と同じような苦労と挫折に幾度と無く遭いながらも、遂にデビュー25周年を超え、先月には新曲「愛すべき今日」を発表しました。「どんなときも歩くのさ 雨の日も風の日も」「現れろ 新たなる 闘いの神よ」と歌われる歌詞には、「どんなに苦しくても、今日の日を生きて行こう」とする前向きな根本思想を感じます。そこには(少し大げさですが)宮澤賢治の「雨ニモマケズ」にも通じる世界観が在る様な気もします。悩みや苦労は絶えないけれど、それでも今日と言う日を愛し、この日々を(努力して)歩いて行こう・・・。この様なあまりにも無骨すぎるテーマに対し、今の若い人はセンスを感じないのでしょう。でも、私は好きです。
※丸二のホームページ、ぜひ見てください!
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