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内側の時代へ

フランス、パリにて大変なテロ事件が発生しました。多くの市民の方々が巻き込まれ、命を落とされ、負傷いたしましたが、今後も引き続き厳重な警戒体制が必要なのでしょう。テロ集団側は、今度は米国、ワシントンを狙うとの声明を出しているとのことで、欧米諸国(キリスト教圏)対イスラムの戦いは、このまま無限に続いて行く様相です。ここに大国、ロシアや中国が複雑に絡み合い、世界の新たな覇権争いが繰り広げられて行くのでしょう。フランス大統領が「フランスは戦争状態」と発言しましたが、そうは成らないことを心から祈ります。
そのような中、我が国日本も、確かに世界の一部として、その渦中に巻き込まれているのですが、それでも他国の状況に比べると、まだ安心で安全な状況を維持していると思われます。日本には特定の(1つの)国家的宗教は無く、八百万の神が在り、国民の多くは日々の日常の中で神社やお寺で手を合わせたり、自宅の神棚や仏壇に手を合わせたり、山や自然に特別な思い(畏敬の念)を持って生活をしています。ここに戦いという概念は存在しません。在るのはただ「感謝」ばかりです。けれども今、近隣国からの(物理的な)圧力や今回のようなテロ行為を目の前にして、ここで正しく対応して行かないと、国は守れないと思います。そういう危機感は在ります。
日本が世界の争いに巻き込まれない為には、目に見える(現実的な)防衛と目に見えない(精神的な)防衛の両面が必要だと思います。目に見えない防衛とは、まさに日本人の心の在り様です。今、国内では様々な事件や事故、災害が発生していますが、これらも大いなる気づきの1つ1つではないでしょうか。日本人の心の「建て直し」を(厳しく)促されていると感じます。最後に国を守るのも、自分自身を守るのも、一人ひとりの心の在り方1つで決まると思います。つまりは、良心に従って生きて行くということ。この精神を肝に銘じて生きることではないかと、あらためて実感します。
国内で起きている様々な出来事の1つとして、今、日本の建設業界では、先月発覚した大型分譲マンション(横浜市)の傾斜事故をきかっけとした、杭工事の不正問題が在ります。姉歯事件の時もそうでしたが、日々誠実に仕事をしている多くの業者や施工管理者、職人の方々にとっては、何とも悔しいばかりです。この厳しい業界で日々の仕事を全うしている人は、「(心から)良いものを造り、喜ばれたい」という思いひとつで、雨の日も風の日も、懸命に努力を続けています。「お客様の大切な財産を造らせていただく」という思いを決して失ってはいません。今後もこの心を強く持って行くことが大切だと思います。丸二の合言葉の1つである「迷ったら良心に問え」には、そのような思いが詰まっています。
それにしても、世界の情勢がこのまま行くと、相対的には、日本への信用が日々高まっていくと思われます。本当は我が国の財政状態もとても厳しいのですが、それでも他国に比べれば(日本は債権者が国民という事もあって)安心感は強いのでしょう。その結果として(今後は)「円高」に向かうのは自然の成り行きと感じます。けれども現在の景気浮揚の大前提は、政策的な「円安」「インフレ誘導」であり、この矛盾(衝突)が一体どのような形で現実化して来るのかは、それはそれで見てみたいと率直に思います。もしまた円高に戻れば、日本の輸出型産業は大きな打撃を受け、その関連の中小企業にも影響は出て来ます。産業の中心も「内需型」へと移行して行くでしょう。また、中国をはじめとする海外での人件費の高騰により、日本の製造業の生産拠点がいよいよ国内へ回帰しつつあるという潮流も生まれて来ているそうです。今回のようなテロ行為が海外で多発すれば、日本から外国への旅行者も減少するでしょう。逆に海外からは(相対的に安全な)日本への観光が増加していくと思われます。
こうして見ると、日本は新しい形の国内循環型の時代に戻って行くような気がします。それは江戸時代の鎖国とは随分違いますが、日本が自国を見つめ直し、その本来の文化や創造力を内側に蓄えて行く時代に成って行くのではないかと。そのような新しい日本の姿を観に、外国の方々が多くやって来るのが理想形です。2020年の東京オリンピック開催については、どちらかと言うと不安材料の方が多いと思いますが、これも日本の1つの運命と思い、(これを機に)日本が日本自身を見つめ直すための転換点に成ればと期待します。
人間も、国家も、やはり内側への意識が大切だと思います。外側でいろいろなことが起きると、どうしても意識が外へ向かって右往左往してしまいますが、そのような時だからこそ、地道な日々の生活の中で、自分自身の生き方や人生を見つめ直す時だと思います。建設業界も、今回の杭問題を契機に(また一歩)前へ進んで行くと思います。人生も同様で、起きたことを素直に見つめ直し、今日の日に生かしていくことの繰り返しです。外側が目まぐるしく動く時には、奇異なウルトラC(奇跡)などを期待せず、自らのこの日々の日常を、出来得る限り、誠実に生きて行くことしか無いと思います。けれどもその日々の積み重ねこそが、いつか(後に振り返って分かるような)目に見えない本物の奇跡を醸造して行くと思います。