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歩みを止めない

今年もあと二十日で大晦日を迎えますが、この一年を振り返ると、様々な出来事が高速で(目の前を)過ぎ去って行った様に感じます。凄いスピードで、凄い密度で、一気に(知らない間に)時代の重要な分岐点を通過して行く。「気が付いたら過ぎていた」「ふと窓の外を見たら、まったく違う景色になっていた」・・・まさに、そのような一年でした。今後も時代のスピードはもっともっと加速し続けて行くのでしょう。こうなってくると目先の物事や利益をいくら追いかけていても、もはや変化の高速スピードに追い付いて行くことはできず、何をやっても「遅かりし」の状況に成ってしまうでしょう。
テレビ番組や雑誌、あるいはネット等で取り上げられている新しい商品や人気のお店等を見ても、その人気がこの先10年以上続くのだろうかと考えてしまいます。10年、20年、30年と長く続いて行くものには、間違いなく普遍的かつ本質的な価値が内在されていると思います。今見直されている日本の「和」の文化こそ、普遍的かつ本質的な価値があります。けれどもその普遍的かつ本質的価値さえ在れば生き残っていける程、世の中はそうは甘くないのも事実です。その時々の時流に乗って行かなければ、継続が難しい面も確かにあります。
大切なことは、普遍的かつ本質的な価値を強固な基礎として、その上に時流を乗せて行くという「二重構造」を持つことだと思います。けれども(今年の様に)上に乗せる時流のスピードがどんどん加速してくると、それはもう目先の一瞬の移動距離が(今までの1km、2kmから)100km、200kmになって来てしまい、そうこうする内に基礎(長距離)の普遍的かつ本質的価値とそんなに変わらない時間軸に成ってしまう(一体化してしまう)気がするのです。今までは、時流さえ追いかけていれば、なんとか間に合い、むしろ(その方が)上手く行った時代でしたが、これからは普遍的かつ本質的価値の方が、時流そのものに成る(一体化する、時流を飲み込んで行く、時流を追い越して行く)様に成ると思うので、要は一気に基礎側(普遍的かつ本質的価値)に比重(主導権)が移ったのではないでしょうか。
このまま時流だけを追いかけて行けば、異常な速度で激しく移り変わる窓の景色に(秒単位で)対応しなければ成りません。それは人間の能力ではもう不可能な領域です。けれども、基礎側の方を完全に確立させることができれば、どこをどのようなスピードで走ろうと、まるで天からの視座(俯瞰)のごとく、間違いの無い方向へゆっくりと進み行く自らの姿を(感覚的に)観ることができると思います。つまり今年は、その「上」と「下」とが(知らない間に)逆転した一年だったのではないでしょうか。出来事のスピードが加速すればするほど、比重はどんどん基礎側(意識の世界)へと移動し(重心が下がり)、基礎の安定こそが(自分自身や会社の)安定、成長、平静と成るはずです。
基礎側である普遍的かつ本質的価値とは、一体何かと言うと、とどのつまり「人間性」ではないでしょうか。会社で言えば、社員ひとり一人の人間性です。会社や組織とは、結局のところ、構成する社員(メンバー)全員の人間性の総和であると思います。その基礎を強固なものにして行くことが最も大切な時代に成って来ました。今年発生した杭工事の不正問題は、言うなれば、「基礎」に対する軽視無視であり、人間性の否定と理解します。このような事が同じ建設業界で起きてしまったことを心から恥ずかしく思うと同時に、私たちは自分自身の人間性を磨いていくことに更に意識を向けて行きたいと思います。建設業は、最後は「人」です。本物の人造りこそが、本物の建物造りであり、普遍的かつ本質的価値であり、新しい本流です。
※モーツァルトとRAINBOW
音楽の場合、普遍的かつ本質的な方向へ向かって行くと、どんどん純化されて行き、美しい輝きと深い瞑想性を保つようになって行きます。モーツァルトやバッハの音楽には、潜在意識に刻まれて行く程の高い次元で、そのような響きが含まれているのでしょう。ベートーヴェンの場合は、むしろその一歩手前で踏みとどまり、自我との闘いと向き合っています。そのどちらも崇高かつ力強い魂の力を感じます。
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モーツァルト: アヴェ・ヴェルム・コルプス
クーベリック指揮/バイエルン放送交響楽団
私がモーツァルトの曲で(実は)一番好きなのは、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」というほんの3分程度の小さな宗教曲です。この曲の美しさと静かな瞑想性には、何とも言えない感動を覚えます。最近、何かのCMで使われていたような気がしますが、この曲を聴くと一瞬思考が止まり、静かな寂寥感と幸福感とが入り混じった不思議な感覚に成ります。まさに覚醒の音楽です。モーツァルトの人生は、決して幸福なものではなかったと思います。その人柄にもいろいろと問題が多かった様です。けれども彼が天上世界に流るる音を集めることができたのは確かだと思います。その音を譜面に書き写し、この世で音化させた功績は大変なものだと思います。
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エレファントカシマシ:RAINBOW
私が密かに聴き続けている日本のロックバンド「エレファントカシマシ」の最新アルバム「RAINBOW」はとても素晴らしいです。エレファントカシマシは、結成から既に25年を超え、アルバムも今回で22枚目とのことです。つまり彼らは結成から25年以上(継続して)新しい音楽を造り続け、新しい歌を歌い続けているのです。まさに音楽が人生そのものですね。ニューアルバム「RAINBOW」を聴くと、今までとは違う、浮遊するスピード感と鮮やかな色彩感覚、それに静かな瞑想性を感じます。アルバム全体が1つの世界観で統合されています。
今までのエレカシを(自己と闘う)ベートーヴェン的と言うならば、今回のエレカシは、そこからモーツァルトやバッハの棲家が在る(自己と離れた)世界へと向かう中間地点を歩いている印象があります。エレカシの歌には「歩く」という言葉が数多く出て来ます。「雨の日も、風の日も、晴れの日も、霧の日も、歩みを、歩みを止めません」と歌われる世界観は、まさに「歩く瞑想」です。私たち人間は、この日々の生活を懸命に生き抜くことでしか、目覚めることはできない。決して山に籠ったり、自分探しの旅に出ることではなく、この毎日の生活、毎日の仕事、毎日の暮らしという日々の「日常」を懸命に歩いて行くことが、実は最も素晴らしいことである。歩いて、歩いて、歩き続けて行けば、きっとどこかでフッと違う次元へ行くことができる。どんな時代の中でも、この日々の地道な努力と歩みを止めさえしなければ、必ず自身の基礎は固まり、覚醒の道が開けて行く・・・。「RAINBOW」は、そういうアルバムです。