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大晦日(自由について)

今日は2015年の大晦日です。今年もおかげさまで素晴らしいご縁に恵まれた良い一年でした。これも全てのお客様並びに関係者の皆様、地域の皆様のおかげと、心から感謝いたします。本当にありがとうございます。年末のTV番組の中では、世界の異常気象を取り上げていましたが、地震、洪水、竜巻、山火事、気温上昇等、人間の日々の生活を脅かす自然災害が世界中で頻発していることがよく分かります。これも元を辿れば、人類が有限な地球資源を「我れ良し」の姿勢で(自由気ままに)使い続けて来た結果なのでしょう。その恩恵を受けて生活をしている身としては、とても複雑な思いがあります。
自由という言葉にはとても難しい面があります。例えば、この有限なる地球資源を大切に守って行こうとする自由もあれば、どんどん勝手に使い果たしてしまう自由もあります。人類には、そのどちらも選択できたのだと思います。けれども選択には必ず因果応報が付いて回ります。結局、資源を使い果たして異常気象を招いているのも、人類の自由な選択の結果なのでしょう。人間がいかなる智慧を使っても資源を活用できない(ある種の物理的な)不自由があったのなら、逆にこのような異常気象はなかったと思います。そういう意味で人間とは、因果応報付きの自由を持たされているのでしょう。
心理学者アドラーの法則で言うと、今の自分の現実はすべて自分自身の自由な選択によるものだそうです。引きこもりの人は、不安だから外に出ないのではなく、外に出たくないという目的達成のために不安という感情を(自ら)生み出していると言います。また、いつも怒っている人は、「怒りたい」という強い感情(=目的)があり、そのために怒る相手(対象・事象)を一生懸命探しているとのことです。少し難しいですが、「あのことが起きたから、こうなった」というのは逆で、本当は「こうなりたいから、あのことが起きた(起こした)」と言う訳です。つまり共に「こうなりたい」という目的は達成されているのです。そこには選択の自由があります。
私たちの人生は、全て「やろうと思えばやれる自由」が与えられています。だからこそ、この自由なる身の中で、自らの意識と行動を静観し、良いと思える道を選択して行かなければ成らないのでしょう。私たちはそこを見られている(試されている)と感じます。逆に言うと、不自由とは、「私はそれを選択しない」という意志の表れなのかも知れません。多くの過去の偉大な賢者たちが、極めて不自由な生活をしているように見えても、それは本人が自ら選択した道であり、本人にとっては正しい道を行く喜びの日々だったのではないでしょうか。
NHKの「100分で名著」という番組で、今回は「良寛さん」を取り上げていましたが、その清貧なる生活の姿の中に、良寛さんの嬉々とした喜びを感じました。このような生き方を選択できるのも人生なのですね。地球の異常気象がますます加速して行けば、日々の生活を守ることが第一に変わって行きます。あるいは、隣国の指導者が誤った選択をすれば、生命を守ることが第一に変わって行きます。このような時代の中で、私たちの自由なる意思が選択すべきは、良いと思える道(良心の道)を行くことと、安心安全な生活(住まい・暮らし・家族・経済)を守って行くことだと思います。明日から2016年が始まりますが、この我が身に自由を与えられていることへの深い感謝と、その自由を正しく理解し、正しい道を行くことで、日々の喜びを感じて行きたいと思います。来年も何卒よろしくお願いいたします。ありがとうございます。