社長ブログ

桜咲く日本の春

今年も桜が満開と成り暖かい春がやって来ました。桜の季節に成ると映画「男はつらいよ」第一作冒頭の寅さんのナレーションを思い起こします。「桜が咲いております。懐かしい葛飾の桜が今年も咲いております。思い起こせば20年前、つまらねぇ事でおやじと大喧嘩。頭を血の出る程ぶん殴られて、そのままプイッとウチをおん出てもう一生帰らねぇ覚悟でおりましたものの、花の咲く頃になると決まって思い出すのは故郷の事。ガキの時分、鼻ったれ仲間を相手に暴れ回った水元公園や、江戸川の土手や、帝釈様の境内でございました。風の便りに両親も秀才の兄貴も死んじまって、今たった一人の妹だけが生きてる事は知っておりましたが、どうしても帰る気になれず、今日の今日までこうしてご無沙汰にうち過ぎてしまいましたが、今こうして江戸川の土手に立って生まれ故郷を眺めておりますと、何やらこの胸の奥がぽっぽと火照ってくる様な気が致します。そうです、わたくしの故郷と申しますのは、東京、葛飾の柴又でございます」。
美しい江戸川の桜の景色をバックに、寅さんが20年ぶりに故郷の葛飾柴又に戻って来るところから全48作の寅さんの旅が始まるのですが、その背景には、古き良き日本各地の姿が映し出されています。物語はとても可笑しく楽しいものですが、観終わる度に静かな郷愁と寂寥感が残ります。これは一体何だろうか・・・。今でも寅さん人気は根強く、最近では「旅と鉄道」という出版社から、「寅さんの列車旅・映画『男はつらいよ』の鉄道シーンを紐解く」と「旅と鉄道2018年増刊4月号・寅さんの鉄道旅・人情と聖地巡礼編」の2冊が本屋さんに並んでいます。私もいつか寅さんの様に、古い鉄道に乗って日本を巡ってみたいと思います。でもそれまで日本の美しい姿は残っているでしょうか・・・。
先日、「ミッドタウン日比谷」のプレオープンに行く事が出来、最新の商業ビルの素晴らしさを目にして来ました。高級な飲食店やブランド店が並ぶ中に、不思議なレトロな一画があり、そこに昭和初期のようなデザインの理容室がありました。それが何とも言えない懐かしさで心惹かれたのです。江戸、明治、大正、昭和、平成と続く日本の近代化の中で、日本文化と西洋文化の融合が成されて来ました。そのお陰で私たちは世界有数の経済的に豊かな生活を手にすることが出来ました。先ずはこのことに大いに感謝すべきだと思います。同時に江戸時代までに完成された素晴らしい日本人の「智慧の文化」が徐々に失われて来た面もあると思います。
現在の経済的かつ技術的な基盤を更に進化させながらも、古き良き日本人の心、精神、智慧、自然の回復が次代のテーマに成って行くのではないでしょうか。古くて新しい文化・商品・サービスの時代が始まるのではないかと。今はインターネット全盛の時代ですが、だんだんとSNSやフェイスブックに疲れ(憑かれ)始め、他者の視線に支配される生活から、己自身と対峙する生活へと変化して行くと思います。昔ながらのアナログを懐かしむ方向性も生まれ始め、アナログレコードも大復活しました。建築も同様に、現代の最新技術による品質や安全性を確保しながら、古き良き時代の智慧を融合させていく道が見えて来ると思います。
※南方熊楠
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最近BSの番組「英雄たちの選択”知の巨人”南方熊楠の闘い~熊野の森を守れ!」を見ました。南方熊楠(みなかた・くまぐす)という人物の名はよく聞くのですが、あまりにも巨大過ぎてその人物像をよく把握出来ずにいましたが、今回この番組を見ることで熊楠という人間のほんの一面を知ることが出来ました。南方熊楠とは慶応3年生まれの博物学者、生物学者、民俗学者で、粘菌の研究で有名です。世界各国の言葉が解り、中国の孫文とも交流があり、昭和天皇からも愛された人物でした。でもその言動や性格は人並み外れたもので、要は大変な「変人」だったようです。
番組では明治の終わり頃に始まった「神社合祀」に対する熊楠の反対運動を取り上げていました。神社合祀とは各集落毎に数々ある神社を合祀して、一町村一神社を標準とせよというものです。つまり多くの神社を取り壊せという令です。熊楠は併合された後の神社林が伐採され、自然風景と貴重な生物が絶滅することを心配し反対運動を開始しました。その異常な熱意は、当時民俗学者で内閣法制局参事官であった柳田國男を動かし、ついに約10年後「神社合祀」は廃止されました。この間多くの社殿や森、原生林が姿を消してしまいました。その後、熊楠は和歌山県田辺湾の神島をはじめ貴重な天然自然を保護するための運動を続けたとのことです。
昭和天皇が和歌山県田辺湾の神島に訪問した時、熊楠が粘菌や海中生物についての御前講義を行いました。その際、熊楠は自分で作った「粘菌標本」を(勝手に)天皇に献上したとのことです。しかもその標本を入れた箱はボロボロの「キャラメルの箱」でした。周囲は驚き慌てたらしいのですが、天皇がとても喜ばれたとのことです。その33年後、昭和天皇が再び和歌山を訪れ、神島を見てこう詠まれました。。。
「雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」
普通、天皇がひとりの個人の名を詠むことは無いでしょう。熊楠とは、それ程の人物でした。日本の自然を愛した先人達のお陰で、今の日本は未だ現存しています。この先も素晴らしい日本の姿を守って行く為に、私たちは日本人の心を大切にして行きたいと思います。この満開の桜がこれからも咲き続ける様に。