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無言の視線

東京の緊急事態宣言の解除まで、あともう少しのところです。現段階で、日本の死亡者数が(世界に比べて)桁違いに少ないという事実に対し、心から感謝したいと思います(亡くなられた方々には、心からご冥福をお祈りいたします)。この要因については、今後様々な検証が成されると思いますが、(今後の為にも、世界の為にも)出来るだけ早く、要因の特定を望みたいところです。日本政府の打った手、逆に(あえて)打たなかった手の、一体何が功を奏したのか。何が無駄で、何が不足だったのか。非常に興味があります。前例の無い未知なる脅威に対して、被害を最小に食い止めたのであれば、その背後に何か特別(不思議)な力さえも感じます。今回の日本モデルが海外にも応用され、同時並行で治療薬やワクチンが開発されれば、世界はコロナウイルスを乗り越えて行くことに成ります。
今回のコロナウイルスへの各国の対抗策は、「ロックダウン」「外出自粛」でした。日本も緊急事態宣言が出されましたが、他国に比べて、遅く、緩いものでした。そのことと死亡者数との関連が検証されれば、今後は経済へのダメージを最小化できる基準も見えて来るかも知れません。これからは各国が様々な経験をし、その検証をしながら、次の最善を見つけていくプロセスが必要です。そのためにも、批判や責任追及に意識を向けず、お互いに労う気持ちをもって、事実のみを見つめ、時には「仕方なかった」と許し合い、「では、次はこうしよう」と、共に歩き出すのが一番のお得だと思います。
今後の日本は、米国、英国、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドの英語圏5カ国との連携を強化し、中国に頼らない経済体制を再構築し、内需拡大へ向かうと思います。マイクロソフトのビル・ゲイツ氏のように、(世界で一番安全な)日本に定住する外国人も増えて来るでしょう。そのような意味で、今回のコロナウイルスによって、国の方向性が明確に成ったとも言えます。そして私たち日本人は、とにかく感謝の心が大事だと思います。なぜだか分からないけれど、日本には(今でも)ゆるやかな神風が吹いている様に感じます。思うように行かないことが起きても、なぜか逆に成って、「塞翁が馬」と成る。世界から羨望と嫉妬の目で見られている私たちが感謝しないで、誰が感謝するというのか・・・。私たち日本人は、天に唾することのない様、お天道様への感謝と謙虚を忘れないで、生きて行かねばと思います。
そして丸二は、これから国内で発生が想定される猛烈な自然災害に耐えうるRC(鉄筋コンクリート造)住宅・マンションを日々造り続けています。地球環境の激変によって、世界も日本も、住宅の強靭化が絶対条件に成って来ました。そういう意味では、まだまだ安心安全の強固な住宅戸数はむしろ大幅に不足していると言えます。丸二の私たちは、日本人の生命と生活を守るため、今日も1mmの前進で、建物の建設作業とリフォームに全力投球しています。
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※デカローグ/クシシュトフ・キェシロフスキ監督作品
ゴールデンウイークは、ポーランドの映画作家、クシシュトフ・キェシロフスキ監督の「デカローグ」を観ました。各1時間の全10話で構成された、聖書の十戒をモチーフにしたドラマですので、当然合計10時間に及ぶ訳ですが、非常に面白く、見終わってしまったのが寂しいほどです。各エピソードのテーマが十戒の戒律に(順番に)対応していますが、そのような難しいことは抜きにしても、非常に分かりやすく美しい作品でした。
その全10話のほとんどの回に、必ずちょっとだけ登場する若い男がいます。セリフも無いし、何かをする訳でもなく、ただ主人公を観ている無言の存在です。これが(聖書上の)神の視点なのか・・・。私たちも日々人生を歩んでいる中で、ふと、「見られている」という意識を持つことがあります。何かの視線を感じる。でもそれは、決して「監視されている」という意味では無く、むしろ「見守ってくれている」という感覚です。「ちゃんと見てあげているからね」という無言。その存在の視線があるから、もちろん悪いことはできない。むしろ(誰もいないけど)良い行いを(ちゃんと)観ていてくれる安心感。日本の場合は、人の姿よりも、お天道様のような存在かも知れません。
我が人生に文句を言うのは、その無言の存在(お天道様)への文句(不信感)と同義である。観てあげている側とすれば、「せっかく見守ってあげているのに」「なら勝手にすれば」と成る。そして厳しい結末を迎える。だからこそ、無言の存在を意識し、感謝し、安心して生きて行く・・・此処に、西洋の「デカローグ」の通奏低音の主題を感じ取りました。そして私も、我が日本の「お天道様」への想いを寄せて、感謝の五月を過ごして行きます。さて「デカローグ」の次は、スウェーデンの映画監督、イングマール・ベルイマンの作品を数本、観る予定です。