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中央突破

時流に乗ることが不可能な時代になってきました。バブル崩壊の頃までは、政治も景気も、上なら上へ、下なら下へ、右なら右へ、左なら左へと、(どっちに行くかを予測するのは難しくても)必ずどちらか一方向に流れていたように思います。その波にうまく乗れれば、時流に合った生き方や経営が出来たわけですね。でも今は、政治も景気も社会も個人も、それぞれが全く違う方向に向かっていて、行ったり来たり。それらを細分化すれば細分化するほど、さらに個々が違う動きになっていて、もうグチャグチャ状態。「時流」という大きな流れ(うねり)自体が消滅しているような感があります。
人により、地域により、年収により、規模により、業種により、気候により、時間により、場所により、考え方により、性別により、年齢により、情報により・・・みんながそれぞれ違う状況に置かれていて、みんながそれぞれ違う方向性を望むようになって来ました。そのような時代背景の中で、家族あるいは会社の社員さん一人ひとりが、もし(仮に、非常におおまかであったとしても)同じような方向性を向いているとしたら、その組織体は、(大小に関わらず)奇跡的な価値を有しているのではないかとさえ思います。
曼荼羅(マンダラ)は、中心と八方位に分かれている図象です。もう、どっちにも行けない状態を「八方塞(ふさがり)」と言いますが、まさに今は、ニッチもサッチも行かない八方塞状態ですね。でも、周りの八方位が全部ダメでも、最後の手段がある。そうです、九番目の方位・・・中央(真ん中)です。「八方塞になっても心配するな、必ずもうひとつの道がある」と、教わったことがあります。「必ず」を強調して。これからは、中央突破の時代ですね。時流を見て、右へ行くか、左へ行くかを決めるのではなく、どんな状況であろうと、中央突破。
中央突破とは、本物志向で王道の道。いつの時代でも変わらない、普遍的な価値の追求。ここに風穴を開けていくしかありません。ただ、目先のことを考えると、なかなか中央突破は難しい。でも、誰でも八方塞になれば、嫌でも中央突破に向かうしかない。今多くの人は、いったい誰が先に、この中央突破に向かって走り出すのかを、固唾を呑んで見守っているのかもしれません。誰かが行ったら、自分も行くぞと。私たちは、今、やっと助走をし始めた段階でしょうか。あとは、ただひたすら、走れ!走れ!走れ!
※「走る」小説家
はるき.bmp
『ねじまき鳥クロニクル』
村上春樹
第1部 泥棒かささぎ編
第2部 予言する鳥編
第3部 鳥刺し男編
「走る」で思い出したのは、村上春樹氏。有名な小説家です。一般的に作家というと、普通の人と違って、大酒飲みだったり、昼は寝ていてダラダラしていたり、作家仲間とだけ付き合ったりと、あまり常識的でない生活習慣を持っているというイメージがあります。確かにそういう人が多いようです。でも、この村上春樹氏は、極めて常識的な人のようで、朝早く起きて、マラソンをして(走る!)、普通の人と同じように、太陽が出ている間に仕事(机に向かって、小説を書くこと)をし、夜は早く寝るという、超健全な小説家なのです。同業者(作家たち)とも、ほとんど付き合わず、何とか賞の選考委員になりたいとかどうとかという、ドロドロとした作家業界から全く縁の無いところにいるので、業界的には、「面白くない人」という評価のようです。よって、自作の本が売れないと、業界の中における政治的な強みが全く無いだけに、あっという間に消えてく可能性がある人です。ところが、出す本すべてが超ベストセラーになるので、業界としては黙っているしかない。つまり、村上春樹氏にとって唯一大切なのは、業界の評価ではなく、純粋な読者の評価だけなのです。
そんな村上春樹氏の小説を、私は多分、全部読んでいますが、すべて面白い。どこが面白いかというと、一言では言えませんが、現代小説なのに普遍的な価値と空間性を感じてしまうところ・・・でしょうか。つまり、この人は、業界でただ一人、とっくに中央突破してしまった人なんだと思います。
「ねじまき鳥クロニクル」は、3部作の長編小説。かなり、読み応えがありますが、読みながら「終わらないでくれ~」と思える小説家だから、長編物が好きです。他にも、「羊をめぐる冒険」「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」、有名な「ノルウェイの森」や「海辺のカフカ」も好きです。