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医・職・十

今回の大震災を経験し、私たちの価値観は大きく変わりました。とにかく生きていくこと。もうそれ以上の幸福はない・・・。今ここに、生かして頂いていることに、心から感謝いたします。そして、生きるために必要な「衣・食・住」の産業に関わらせていただいていることに、強い誇りを感じます。と同時に、もう一つの「イ・ショク・ジュウ」=「医・職・十」の大切さを、ひしひしと感じているところです。
この「医・職・十」は、いま思いついた当て字ですが、最初の「医」はまさに医療(医学)に従事する方々のことであり、今現場で数多くの被災者を救っているお医者さん、看護婦さん、スタッフの方々をはじめ、病院・医薬品・健康医学・代替医療・東洋医学・福祉等に関わるプロフェッショナルの方々のことです。この存在無しに、人々の命を救うことは出来ません。
次の「職」とは、職業的使命感を持ち、その責任を自らの命に代えてでも全うしようとする真の英雄たちのことです。今回の福島原子力発電所の復旧には、自衛隊、消防、東京電力等の方々が、まさに命を掛けて取り組んでいます。その勇気、その職業的使命感は、私たち日本人の誇りです。本当に頭が下がる思いと感謝の思いでいっぱいです(ありがとうございます)。一方、我が国の政治家たちは、この期に及んでも、責任のなすり合いをしている模様です。
最後の「十」は、ちょっと無理な当て字なので、うまく説明できないのですが、つまり心、精神、あるいは信仰的な部分です。誰の心にもある祈りの心。ぜひ無事でいて欲しいと祈る心。(残念ながら)お亡くなりになられた方々のご冥福を祈る心。できるだけ被害が大きくならないように祈る心。これからの人生が明るく元気で希望に満ちたものになるよう祈る心・・・。
「ジュウ」という音に合いそうなのが「十」(=キリストの十字架、あるいは日本という文字の中に隠れている十字架)でしたので、この文字にしてみましたが、(図らずも)多くの日本人が持っている(宗教ではなく)「見えない力」を信じる心を表現しているような気がしました。いま全ての人に必要なのは「心の支え」です。それは祈りと行動という両面で導かれるものと思います。
さて話は変わって、プロ野球の開幕時期をめぐってのドタバタがありましたが、私は個人的には(あえて極端に言うと)、プロ野球自体を中止にした方が良いと思ってます。資本主義的な競争社会がもたらした今回の大災害を見て、もう競争(=戦い)の時代は終わったと思いましたし、そうであるならば「戦い」で稼ぐプロ・スポーツ業界の役割もここで終わったのではないかと感じます。
人々の潜在意識の中にある「戦い」や「競争」への欲求の代替えの場として、プロ・スポーツ業界は発展しました。そして、贔屓の選手(チーム)が勝つことによって、日頃のストレスを発散していたと思います。でも、もうそのような(心の)代替え戦争は不要になると思います。今後は、スポーツは一般の人々が、あくまでゲームとして楽しみながら(お金を稼ぐためでなく)健康維持や自己成長を図る本来の目的に回帰していくものと思います。だから高校野球は、(もしいろいろな環境が整えば)開催しても良いと思います。
また八百長問題で混乱している大相撲は、(どちらかと言うと)そもそも勝ち負けを争う競技という見方よりも、その競技自体を一種の文化として鑑賞している面があると思います。あくまで興行であり、むしろ文化・芸術・舞台鑑賞に近い感じがします。だから本来、勝敗は二の次で、そういう下地があったから、お互いの「リハーサル」があったのかもしれませんね。大相撲は日本の文化として、今後も残って欲しいと思います。何しろお相撲さんが近くにいると、何となく安心します。ホッとします。笑顔が生まれます。それに力持ちです。これは、とても大切なことだと思います。
天皇陛下が今回の震災について、国民に対する温かいメッセージを出されました。平時の時は何も感じないのですが、いよいよこのような国難が迫って来た時、皇室の存在(心の支え)は非常に大きいものだと感じます。(仮に)どんなに政府の対応が悪くても、「日本には皇室がある」という事実が(もちろん無意識ではありますが)日本人の見えない「柱」になっているように思います。絶対に大丈夫と信じられる根拠、「心の柱」があるように思います。