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素晴らしき世界

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DVDで「ラビットホール」という映画を観ました。ニコール・キッドマン主演で、とても静かで地味な映画です。4歳の息子を事故で亡くした夫婦の物語で、その心の再生を描いたドラマです。けれども大きなドラマ展開があるわけでなく、日々の日常の中で、その悲しみの大きさを(少しずつ)小さくして行く姿を(淡々と)描いています。過去に生きるべきではない。でも明るい未来を描くこともできない。だから今を生きる。ほんの少しの先だけを見ながら。少しずつ重荷を下ろしながら。
映画の中で、その事故を起こした(加害者である)少年と(息子を亡くした)二コール・キッドマンが会う場面があります。もうそこには答えは無く、何か(良きこと)が生み出される可能性すらありません。でも、二人の心は通い合います。そして少年が描く「コミック」が完成するのですが、その主題は「並行宇宙(パラレルワールド)」。この今の現実とは別の世界が(同時並行的に)存在していて、そこでは私も息子も元気に生きている。きっとそういう世界があるはずだ。
この「パラレルワールド」は、多くの科学者によって研究されています。いずれにしても、「今をどう生きるか」によって、複数の未来への可能性が(今、同時並行的に)発生しているという意味においては、理解できると感じます。悲しんでいる自分がいる世界から、幸せな自分がいる世界へ移動すること。それは物理的に移動するという意味では無く、自分自身の意識を動かすことによって、それはきっと可能なことなのでしょう。良きことも、きっとどこかで(同時並行的に)存在していると信じて。
さて、4月13日の淡路の地震以降、三宅島、宮城と続き、同時に海外でもイラン、パプアニューギニアにて大きな地震が発生しました。その間、ボストンではテロ事件が発生し、北朝鮮のミサイル発射問題も収束していない状況です。この短期間でこれだけの重大な事象が起きていることを見ても、世界は「連鎖」していることが分かります。しかしながら「同時並行的」に、きっとたくさんの良きことも起きている「はず」です。何事も陰と陽の両面が在るからです。ただ人間は、どうしても不安と恐れの面だけにフォーカスを向けてしまいます。
例えば、今日(18日)はとても素晴らしい日和で、国分寺市内で地鎮祭を行いました。それはとても「ありがたき」ことです。今日という日が(本当に)やって来て、みんなが(予定通り)元気に集まること出来て、お天道様が暖かく迎えてくれて、無事に立派な祭式を挙行することが出来たのです。何て素晴らしいことでしょうか。でも私たちは、そのような事象を「当たり前」と思い、別の不足面の方ばかりに意識を向けようとします。終わったことを後悔したり、先々のことを不安に思ったり。結局、「いま」「ここ」の幸せを忘れています。これほどもったいないことはありません。
「いま」と「ここ」の素晴らしさに気づき、感謝の心を持って、今、ここで、出来る限りの最善を生きて行くこと。あるいは最善を「生きようとする」こと。その「生きようとする」意識と「動作」自体が、本当の幸せの「正体」のような気がします。世の中で起きている様々なネガティブな現象に意識を奪われたり、いつか来て欲しい物的な(あるいは静止した)「何か」を獲得することに魂を奪われたり・・・。それも確かに必要なことであり、生きるために価値あることですが、「そこだけに」生きてはいけないと感じます。今の自分自身の「良心」が向かっている「流れ」そのものが、私たちの目的(結果)ではないかと思います。
同時並行宇宙があるとすれば、それは自分自身の中に(既に)存在しているのではないでしょうか。だから(一瞬のうちに)どんな世界へも移動できる。確かにそこに、失われた人は(物理的に)存在しないかもしれませんが、「良き思い出と共に在る」という充足と感謝があるかもしれません。今の世の中、いろいろと大変なことが起きていますが、それと同時並行的に起きている「はず」の、たくさんの「良きこと」にこそフォーカスをして、今を思い存分「味わう」こと。そう思えると、今は本当に「素晴らしき世界」です。