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タルコフスキー監督の「サクリファイス」

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最近観たDVD(映画)で、あることに驚きました。旧ソ連時代の有名な映画作家、タルコフスキー監督が1986年に製作した「サクリファイス」に、東日本大震災の津波で生き残った「奇跡の一本松(陸前高田市)」が描かれていたからです(もちろん「符合した」という意味においてです)。この映画を観終わり、すぐにインターネット等で調べてみると、確かに多くの人たちが、そのような見方をしていました。タルコフスキーの映画は、「惑星ソラリス」が有名です。キューブリック監督の「2001年:宇宙の旅」と対照的に論じられる問題作ですが、惑星ソラリスの海を「知性ある存在」として描き、神聖なる宇宙、大自然の叡智、人間の本質について、より深く追求した稀有な作品に成っています。
「惑星ソラリス」では、バッハの音楽も印象的です。私はこの映画の中で、ソラリスの知性によって、主人公の(亡くなった)妻が再生し、その妻と(バッハの音楽と共に)無重力の部屋の中を浮かぶシーンが好きです。妻自身も、自分が「本当の人間では無い」ことを認識していて、この世の生命の儚さを感じさせます。そのタルコフスキーの遺作と成った「サクリファイス」とは、日本語で言うと「犠牲」という意味だそうです。声の出せない子供と一緒に、海辺に「日本の木」を植える男がいます。その日、世界で最終(核)戦争が起こり、全ては終わりに近づきます。男は、全てを捧げるから、家族を助けて欲しいと神に祈ります。そのためにあることを行い、目が覚めると、元のままの世界に戻ります。男はその代償(犠牲)として家に火を付け、全てを燃やし、精神病院へと送られます。最後に、「日本の木」に水をやる子供が声を発します。「初めに言葉ありき」と。
これはキリスト教の「生命の樹」をモチーフとした物語です。音楽も(ソラリス同様)バッハの、「マタイ受難曲」が使われています。けれども不思議なのは、主人公の男と声の出ない子供が、「日本」を尊敬し、日本に希望を託しているという点です。西洋のキリスト教的な物語で、なぜ日本なのか。そして、なぜ「日本の木」を植えるのか。しかも海辺に・・・。映画の最後に映る「日本の木」は、明るくキラキラと輝く水面の光を背景に、立派に立っています。核(原子力)の危機の後、海辺に立つ(たった一本の)「日本の木」が、未来への希望を象徴するのです。世界の終りが近づくと、なぜ人々は「日本」を思うのでしょうか。なぜ、タルコフスキーの脳裏に、海辺の一本の「日本の木」の映像が思い浮かんだのでしょうか。
この「サクリファイス」の完成直後、自国(ソ連)でチェルノブイリ原発事故が発生します。そして25年後の3月11日、日本で大震災と原発事故が発生し、陸前高田では一本の木が生き残りました。「未来への希望」のシンボルとして。25年前にタルコフスキーは、このことを予見していたのでしょうか。映画自体はタルコフスキー作品ですので、哲学的かつ難解です。一般的な意味において面白い作品では無いかも知れません。でもあの時代、ソ連の国民が映画を撮ることは命懸けでした。命を懸けても表現したいと言う「念」の力が、きっと時空を超えたのだと思います。タルコフスキーは、この作品を完成させたその年に、まだ54歳で亡くなります。あまりにも強い「念」を発し切ってしまったからでしょうか。そして私たちは25年という歳月を経て、その「念」の意味を理解するのです。
東日本大震災で生命を失った多くの方々の犠牲で、今日も私たちは生きて(生かされて)います。その感謝の思いを決して忘れてはいけないと思います。同時に、これからの日本に対する大いなる期待も背負って行かなければなりません。この大震災の経験を、「未来への希望」に昇華させる責務が私たちには在る様に思います。そしてそれは、決して日本の中だけの事ではなく、全世界からの期待の様に思えて成りません。タルコフスキーは日本を愛していたそうです。映画の中でも「前世は日本人」と言う表現がありました。だからこそ、今現在、確かに日本人である私たち一人ひとりが、「日本の木」として立派に立ち上がらなければ成りません。そのような(過去からの)強き「念」と「期待」を感じるのです。
最後に、東日本大震災の経験を「未来への希望」に昇華させる為、ぜひ(あくまで個人的に)観て欲しい映画と音楽をご紹介します。
1.映画「この空の花~長岡花火物語~」(大林宣彦)
2.音楽「イーハトーヴ交響曲」(冨田勲)
3.音楽「交響曲第1番<HIROSHIMA>」(佐村河内守)
4.映画「サクリファイス」(タルコフスキー)
また、私たちが取り組んでいる「日本の木」、つまり「加子母ひのき」への取り組みや日本の森を守る事業も、大きな視点で見れば「未来への希望」と結び付くと思います。伊勢神宮の御遷宮の年に、その御用材である「加子母ひのき」との御縁に感謝しつつ、日本や世界の未来について、もっと深く考えて行きたいと思います。映画「惑星ソラリス」のラストのように、巨大な自然界の叡智の中の、ちっぽけな存在の一粒として。