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オンリーワンの道へ

今朝のワールドカップ「ブラジル対コロンビア戦」で、ブラジルのネイマール選手が相手選手の膝蹴りで(腰を)骨折したそうです。結果はブラジルの勝利でしたが、ネイマール選手の本大会の残り試合への出場が絶望的と成り、ブラジルにとっても、サッカーファンにとっても、なんとも悔やまれる事態に成りました。サッカーであれ、何であれ、これからの新しい時代を切り拓いて行くのには、その分野での若きスターの存在が必要不可欠です。まさにネイマール選手は、世界のサッカー界の若きスターでしょう。今後の選手生活に影響のない怪我であって欲しいと思います。ブラジルは、かつて多くの日本人が夢を賭けて向かった地。日本とは地球の反対側という位置関係にありますが、直線距離(思いの距離)にしたら(むしろ)近い国かもしれません。共に次代を担う若き世代を育てて、この地球運動の左右のバランスを保って行きたいものですね。
このようにして、どのような国でも、どのような分野でも、常に若き世代の勢いが誕生するものですが、なかなか実際の現実社会では、新しき者の中に希望の光を見出すことよりも、過去の栄光に縋りながら、時代の変化を極度に恐れ、既得権益を守る意識を優先させることの方が多いように感じます。年齢と言う物差しにおいては、確かに(一生)年長者を超えることは不可能ですが、人間の「中身」という視座を持つことが出来れば、若者にも同様のチャンスが与えられるべきでしょう。幸いスポーツの世界では、「勝負」という客観的な評価基軸が存在するため、若手の台頭への道がオープンに拓かれています。これは素晴らしい事だと思います。
そこには、「競争社会」という一面が表現されていますが、(同時に)この世界を形造っている「ありとあらゆる(森羅万象の)」領域において、優秀な人材に光を与え、評価すると言う意味においては、「みんな」が(何かしらの領域で、既に)光り輝く「勝利者」であると言えます。要は、受験や出世や試合や運動会(という、ごく一部の領域)で一番に成った人だけが「勝利者」ではなく、既にみんなが(何かしらの競争に勝っている)オンリーワンの存在であると云う事。ただ、自分が一番の試合(競技)が、全くメジャーでは「無い」だけのことだと思います。だから競争とは、(突き詰めれば)結局「共生」であり、全員の存在価値の「実現」だと思います。
ただ、この「全員がオンリーワン」を勘違いして、自身を成長させる努力をしないことは、また別の問題と思います。「オンリーワン」とは、あくまで(天から与えられた)「素地」としての備えであり、それを現実生活の中で、発露させ、活用し、さらに磨き続けることが生きる上で最も大切なことだと思います。良く言う「競争ではなく共生」とは、確かに真理と思いますが、それは、「人との競争を主題に置くのではなく、それをある種の副旋律(あるいはベンチマーク)として活用し、自身のオンリーワンの発見と開発と成長に生かし、さらに磨きを掛け、社会の為に役立てること」ではないでしょうか。ネイマール選手は、まさにそのようにして、若くして「個」として確立しています。みんなが(それぞれの領域で)自身のオンリーワンを磨き続け、一番の「個」として存在することで、その「総和」が良き社会を形造る。誰ひとりとして、「オンリーワン」を持っていない人はいないでしょう。持っているが故に、生きている(生かされている)。人類全員、絶対的に(誰にも)負けない何かが在る。それがたまたま、誰にでも評価できる領域(試合)になっていないだけ。ただそれだけのこと。
この世界では、ネイマール選手という超有名なオンリーワンも存在すれば、一方、地球のどこかで目立たずに生きるオンリーワンもいます(ほとんどの人がそうでしょう)。そこに宇宙的な意味での「差」は存在しないと思います。もし違いがあるとしたら、自身の「オンリーワン」の素地に気づき、そのことに(心から)感謝し、それを磨く努力をしているかどうかです。だから私たちが「生きる」とは、(他者に負けない)自分にしかできない何かを発見し、それを育てていくこと。仮に誰にも気づかれず、全く評価されなくても、お天道様は知っている。そう信じて生きて行くこと。そのようにして、この日々を超えて行くこと。そのような人々が光り輝く「場」こそが、本来の地球の在り様だと思います。その「光」を独り占めにして、他者に与えることを恐れることが、格差、差別、戦争に結び付いているに違いありません。子どもたちの未来や、若い人達の希望にこそ光を当てて、彼らの経験不足の面をサポートしながら、みんなが光輝く世界を作って行く。それこそが、今の大人たちの役割なのかもしれません。
さて、ワールドカップの日本代表についてですが、FIFAの世界ランキングで46位の日本が、それより(相当)上位の3チームに勝つことができなかったのは、確かに実力の通りであり、最も可能性の高かった結果だったと思います。サッカー素人の私としては、日頃のマスコミの報道だけの情報によって、日本と同グループの他国3チームの実力は同格か僅差程度なのだろうと、勝手な思い込みをしていましたが、今に成って各国のランキングを認識し、(今さらながらに)そもそもが確率の低い厳しい戦いだったことを理解しました。そういう意味では、(むしろ)よく健闘した方なのかもしれません。ただ、どんなに実力の差があっても、それ以上の力を発揮することも可能なのが勝負の世界です。日本のサッカーファンは、(まさに)「そこ」への大きな期待を掛けていたのでしょう。日本にとっての「そこ」とは、やはり「和の力」ではなかったでしょうか。チームワーク、あるいは勝利へ向けて「みんなの心」が1つに一致団結すること。「個」では負けても「和」では勝つ。その可能性は絶対に在ると。今回の3試合を経て、私たちが感じた何とも言えない喪失感とは、むしろ勝敗よりも、日本独自のオンリーワンの「和の力」が封じ込められたことだったような気がします。
3試合を通しての日本代表チームの姿は、確かに何かチグハグな感じで、本当に全員が勝利を望んでいたのかと思う程のカオス(混沌)状態だったように見えました。日本のマスコミ報道も、「互角に戦える」「勝てる可能性が高い」という印象を国民に煽りすぎたのでは無いでしょうか。確かに希望的観測も大事ですし、楽観的なのはとても良いことなのですが、決して現実を見失ってはならない。むしろ、ランキング上位の相手チームの方が、実力が上にも関わらず、下位の日本相手に謙虚な姿勢で、緊張感と危機感を持って、懸命に戦っていたのではないでしょうか。日本代表としては、本来なら負ける相手だけれども、その中にでも、どこかに勝機は在るはずだ。そういう厳しい現実(事実)を正直に直視した上で、それでも勝つ確率を1%でも高めて行く努力をしていたのだろうか。要は圧倒的な「弱者」として、なりふり構わない程の懸命さを持って、本当に「勝ちたい!」と熱狂する選手だけを集めたチームだったのかどうか。「大丈夫、勝てる」という事実誤認の空気(ムード)の塗り重ねが、日本代表チームを取り巻くすべての環境をミスリードしてしまったような気がします。
日本は目を覚まさなければ成らないと思います。サッカーは負けても次の大会がありますが、国家運営や個人の人生では、そうは行きません。私たちは今、本当の現実を直視しているのだろうか。本当に事実と真実を認識できているのだろうか。あらゆる危機を想定できているのだろうか。そのための計画と準備を行っているのだろうか。その上で、そうはならないように努力をしつつ、明るく感謝して生きているのだろうか。ワールドカップで他国の試合等を見ていると、生活が苦しい国の選手たちの方が、とても明るくニコニコしていました。何があっても驚かない程の厳しい現実を生き抜きながら、あるいは覚悟をしながら、懸命に闘い、けれども同時に幸福な心で生きている・・・。
日本は平和すぎたのでしょうか。勘違いし過ぎたのでしょうか。このままでは負けてしまう。今回のワールドカップを見ていて、そういう危機感が募りました。だから今こそ目を覚まし、幻想を捨て、現実を直視する。その上で、(楽観的に)何が在っても明るくニコニコ、感謝の心で生きる。そういう方向転換の為に、今回の敗戦は大きなシグナルと成ったと思います。かつて蒙古襲来の時に神風が吹いたように、日本は純粋な心で1つにまとまると、実力以上の「風」が味方する国だと思います。今の日本人にとっての純粋な心とは、まさに「感謝の心」ではないでしょうか。世界で一番恵まれているのに、現実から目を背け、日々の小さな出来事に心を奪われ、暗い顔をして、夢と希望を失っている日本人。今こそ、日本独自の強み、「オンリーワン」を思い出し、感謝して、それに磨きを掛けて行こう。「和の国」への回帰を、今こそ。